
作家の読書道 第209回:吉川トリコさん
2004年に「ねむりひめ」で第3回「女による女のためのR-18文学賞」で大賞と読者賞を受賞した吉川トリコさん。以来、映像化された『グッモーエビアン!』や、あの歴史上の女性の本音を軽快な語り口で綴る『マリー・アントワネットの日記』、そして新作『女優の娘』など、女性、少女を主なモチーフにさまざまな小説を発表。その作風に繋がる読書遍歴を語ってくださいました。
その2「転校による環境の変化」 (2/7)
――児童書は読みましたか。
吉川:寺村輝夫さんと岡本颯子さんの「こまったさん」シリーズが好きでしたね。いろんなご飯を作るシリーズ。ただ、活字の本の記憶があまりなくて、その次に憶えているのは江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズ。あれを図書館で片っ端から借りて読んでいました。
そういえば、小学生の時に学級会の劇で『若草物語』の脚本を書きました。ベスが死ぬところですよ。今思いだいました。
――山場ですね。それが初の創作物。
吉川:そうかもしれません。その後は少女小説ブームがきて、小学5~6年生くらいから、コバルト文庫のシリーズを読むようになって。その頃いちばんすごかったのは藤本ひとみさんですよね。みんなは講談社のティーンズハートの折原みとさんとかを読んでいて、そっちも読みましたが、私はコバルトのほうが好きでした。
――何が違ったんですか。
吉川:改行。ティーンズハートのほうは当時よく「下が全部メモとして使える」と言われるくらい、下側に空白がありました。「トクン......。」みたいな擬音だけの1行あったりして。だから30分くらいで読めちゃうんです。今思うと、悲惨な目に遭う女の子の話も多くて、携帯小説っぽい感じがあったのかな。恋に特化したものが多かった。で、コバルトはもうちょっとバリエーションがあったんです。ティーンズハートもミステリーはあったけれど、コバルトのほうが、氷室冴子さんみたいな人がいるからか、もうちょっと文芸寄りというか。
当時コバルトにハマりすぎていて、先生に出す作文に「私の彼はイツキ君です」って、二次創作というか夢小説みたいなものを書いて出したことがあって。本当にあの過去は消しに行きたい(笑)。あれを読まされた先生、どんな気持ちだったんだろう......。
――それが初小説といえるかもしれない(笑)。
吉川:実際、小説もその頃書き始めたんです。文集にも「将来小説家になりたい」って書いていたと思います。最初はクラスの子に見せて喜んでもらっていたんですけれど、中学2年生の時に引っ越したんです。都会の学校からわりと田舎のほうに引っ込んだら、田舎の子のほうがませているというか。わりともう、みんな恋して付き合ったりしていたんです。それで、仲良くなった子に書いた小説を見せたら、「え、何。こんなの書いてどうするの」みたいに言われて。「作家になるつもり?」って。ハッとなってノートを引き上げて、「もう誰にも見せない」ってなりましたよね、その日から。「あ、そうか。小説を書くことって恥ずかしいことなんだ。作家になりたいって思うって、馬鹿みたいな夢なんだ」って。それまでは天真爛漫だったんだけれど、そこでハッとなりました。
――ああ...。でもそこで「もう書かない」とはならず、こっそり書いていたんですね。
吉川:そうそうそう。もう癖みたいになっていて。作家になった後で「どうして小説を書くのか」みたいなことって考えるじゃないですか。ずっと答えが出てなかったんだけれど、最近分かったんです。書いちゃうから書いているんだなって。昔からそうだったからなんだなって。
――少女時代から、書くことが当たり前だったわけですね。では中学校時代は転校がありつつ、読書生活に変化はありましたか。
吉川:相変わらず漫画とコバルト文庫をすごく読んでいました。それと、まったく本を読まない母が、2冊だけ本を持っていて、それがサガンの『悲しみよこんにちは』とカポーティの『ティファニーで朝食を』。
――へえ!
吉川:すごいチョイスですよね? いまだに「母、そのチョイスすごい」って思います。そのときそれを読んで、意味も分からないけれど「ああ、なんかいいな。なんか好きだな」と感じました。これも大人になって買い直して読んだら、やっぱりすごく好きでした。