
作家の読書道 第220回:辻堂ゆめさん
大学在学中の2014年に『いなくなった私へ』(応募時「夢のトビラは泉の中に」を改題)で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、若手ミステリー作家として注目される辻堂ゆめさん。小さい頃からお話を作っていた彼女をミステリーに目覚めさせた1冊の本とは? アメリカで過ごした10代前半、兼業作家となった後に取得した免許など、読書遍歴はもちろん、今の彼女を形作るあれこれをうかがいました。
その2「アメリカでの読書生活」 (2/7)
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- 『金田一少年の事件簿 File(1) (週刊少年マガジンコミックス)』
- 天樹征丸,金成陽三郎,さとうふみや
- 講談社
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- 『二つの祖国(一)(新潮文庫) (新潮文庫 や 5-45)』
- 山崎 豊子
- 新潮社
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――ああ、ご家族で図書館に通う生活は続いていたのですね。
辻堂:小学校3年生まではそういう生活をしていたんですけれど、小4で辻堂に戻ってきて、そこからは自分で図書館に行って自分の図書カードで好きなだけ借りていました。それでルパンのシリーズを端から読んだように思います。
――この連載でお話をうかがっていると、ミステリーの原体験がルパンやホームズの方はたくさんいるんですけれど、辻堂さんくらい若い世代になると、はやみねかおるさんや漫画の『金田一少年の事件簿』だという方が一気に増えるので意外といえば意外です。
辻堂:青い鳥文庫のはやみね先生の小説も読んだんですけれど、中学校以降なんですよ。たまたま、小学生の頃に自分が図書館で見ていた棚にはなかったんですよね。
――中学からはアメリカでしたっけ。
辻堂:父の転勤で中学1年になってすぐにアメリカに行きました。その前からアメリカに行くことが分かっていたので、英文法だけはざーっと勉強したんですけれど、ぜんぜん単語をおぼえていないし聞き取れないし喋れないしで結構大変でした。
――となると、読む本も限られてきますよね。
辻堂:英語の本はもう、学校で与えられるもので精一杯でした。でも、アメリカは移民が多い国だし、わりと英語が話せない子にも理解があって、他の授業がAとかBといった成績がつくなかで、国語の授業は「P(Pass)」というのがついて、免除してもらえたんです。最初の1年くらいは、そういう特別措置を受けていました。
で、読めるようになった頃から、学校の課題図書もみんなと一緒に読んだりするようになって。ただ、やっぱり、あんまり自発的に英語の本を読むようにはならなかったですね。
――日本語の本は入手方法が限られてくるかと思いますが、いかがでしたか。現地校のほかに日本人の生徒が通う補習校にも通っていたのでしょうか。
辻堂:そうです、土曜日に補習校に通っていたんですが、私が通っていたニュージャージー補習校は親たちがボランティアでやっている図書室がものすごく充実していたんです。駐在で向こうに行っている親の中から図書委員になった人たちが予算の中で子どもに読ませたい本を購入して、補習校が開かれる時だけ本棚をロビーに出して、ちょっとした図書室ができあがるようになっていたんですね。週3冊まで借りられたので毎週借りて、「中学の棚」というのをほぼ制覇しました。むしろ、そこで日本の本を相当読んだかなっていうくらい(笑)。
向こうも車社会なので、日本みたいに子ども同士が気軽に遊びに行けなかったんです。だから結局家にいる時間が多くて、補習校で借りてきた本を毎週必ず3冊ずつ読んでは返すというのを繰り返していました。その時に、はやみねかおる先生とか、松原秀行先生のパスワードシリーズといった青い鳥文庫が「中学の棚」に並べられていて、もう片っ端から読みました。
――ああ、エンタメもいろいろ揃っていたんですね。
辻堂:はい、青い鳥文庫はたくさん置かれていましたね。でもなかには、弁護士さんの自伝のような本もありました。そこで借りたのかちょっと忘れてしまいましたが、中学の時には一時期、戦争文学みたいなものをばーっと読みましたね。藤原ていさんの『流れる星は生きている』とか、山崎豊子さんの『二つの祖国』とか。『二つの祖国』は日系アメリカ人の話で、自分もまさにアメリカにいる日本人だったのですごく感情移入しながら読みました。浅田次郎先生も『日輪の遺産』とか、辺見じゅんさんのノンフィクション『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』とか、あとは荻原浩先生の『僕たちの戦争』とか。戦争文学系は自分が全然知らない話があるので、心揺さぶられました。アメリカにいるからこそ、いろいろ考えるきっかけになりましたね。
――幅広く読むなかで、自分はこういうものが好きだなとか、こういうものは苦手だなと感じるものはありましたか。
辻堂:多少つまらなくても最後まで読もうとする質ではありましたね。ただ、今でも憶えているのが『竜馬がゆく』。歴史ものも、織田信長や豊臣秀吉の話など全5巻くらいのものを読んでいたんですよ。『竜馬がゆく』は確か親の薦めで読んだんですけれど、中1の時に全8巻読もうとして、なぜか、8巻の途中でやめちゃったんですよ。あと少しなのに。自分は歴史ものはそんなに好きじゃないのかもしれないと思いました。
――現地校の授業では、英語の本を読む機会があったのでは。
辻堂:国語の授業では長篇1冊をドンと出されて、チャプターごとに分けて読んでいく授業になるので、英語が読めるようになった中学2年から高校1年まで何冊も授業で読みました。「P」の成績がつかなくなってはじめて読んだのが、ロイス・ローリーの『The Giver』(※『ギヴァー 記憶を注ぐ者』のタイトルで邦訳あり)。すごくSFぽい話なので、こういう本が授業の課題図書になるんだという衝撃をうけた憶えがあります。高校になるとアメリカ文学、「American Literature」という授業を履修して、『二十日鼠と人間』とか『グレート・ギャツビー』とか、『緋文字』といった本を、アメリカの歴史を学びながら読みました。あとは別の国語の授業でディケンズの『大いなる遺産』とか、『ロミオとジュリエット』とかを読みました。『ロミオとジュリエット』は原文を読まされて、親に泣きついてどうにか日本語訳を日本から送ってもらったりして、泣きながら日本語訳を読んでいました。『グレート・ギャツビー』は村上春樹先生の翻訳が出ていたので、それも読みましたし、『二十日鼠と人間』も日本語訳に助けられながら読みました。どれも大変でしたが、面白かったですね。