第220回:辻堂ゆめさん

作家の読書道 第220回:辻堂ゆめさん

大学在学中の2014年に『いなくなった私へ』(応募時「夢のトビラは泉の中に」を改題)で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、若手ミステリー作家として注目される辻堂ゆめさん。小さい頃からお話を作っていた彼女をミステリーに目覚めさせた1冊の本とは? アメリカで過ごした10代前半、兼業作家となった後に取得した免許など、読書遍歴はもちろん、今の彼女を形作るあれこれをうかがいました。

その3「一時帰国で出合ったあの本」 (3/7)

――アメリカにいたのは高1まででしたよね。帰国して、日本の学校にはすぐ馴染みましたか。

辻堂:高2の時に日本の公立高校に転入しました。日本の高校は宿題がなくて天国だなと思いました(笑)。すっごく楽しかったです。アメリカの学校は1日6時間あったらどの授業も必ず宿題が出て、もう毎日ひいひい言いながらやっていたので。日本の高校は「青春」って感じでした(笑)。
 ただ、アメリカに4年もいたので文化的に分からないところはありました。自分の精神年齢が日本にいた小学生の時のまんまだったりして、馴染むのに大変な時期はありました。

――読書生活は。

辻堂:高1の最後、家族で日本に帰る直前に、日本の高校に転入するための面接を受けに一時帰国したんですけれど、その時に書店に湊かなえさんの『告白』がすごく積まれていて。たぶん、単行本が大ヒットしている時期だったんですよね。それを成田空港で親に買ってもらって、帰りの飛行機で読んだらめちゃくちゃはまってしまって。はじめてミステリーにはまったのがそこだったんです。それで、自分でもミステリーを構想したり書いたりもしました。
 ただ、日本に帰ってきてからは、ぱったり本を読まなくなってしまったんですよね。書くのもやめたと思います。というのも、もともとアメリカには高校卒業までいる予定で、帰国生入試で日本の大学を目指すつもりだったのが、リーマンショックが起きて早く帰ることになっちゃったんです。向こうで卒業しないと帰国生の資格がなくなってしまうから、親にも「ごめんね、一般受験になっちゃう」って謝られたりして。まあ、私は日本の高校が楽しかったので全然いいんですけれど。
 それで、日本に帰ってきた時に、アメリカの学校ではやらなかったことも追いつくように勉強して一般受験をしなければならないという危機感があって、趣味の読書をしていると時間が無限に奪われてしまうので自分で決めて、ぱたっと読むのをやめてしまったんです。それが2年間。
 帰国してからの高校時代は、ちらっと部活に入った時期もありましたけれど、結局ほぼ勉強に時間を割いていました。日本のみんなは高1で勉強したけれどアメリカではやらなかった数学の範囲とかをずうっと勉強したりして、遅れを取り戻すのに精いっぱいで。高3になったらもう受験突入なので、本は本当に読まなかったですね。

――遅れを取り戻して東京大学に進学したんですからすごい。

辻堂:最初は東京大学を目指すつもりはなかったんですけれど、危機感のままに高2の最初にすごく勉強したら、意外と追いつけてしまって。もう記憶が定かじゃないですが、本当に気合を入れて勉強したんだと思います。そこからは普通の受験勉強になったんですけれど。

――では、大学に入ってから読書生活は再開しましたか。

辻堂:はい。中学くらいまではやっぱり学校なり親なり補習校なりの影響を受けて読んでいる本が多かったんですけれど、ここからはもう、本当に自分の好きな本を読むようになりました。それで、湊かなえさんの『少女』などの既刊の本や、東野圭吾さんや辻村深月さんをぱーっと読み始めて。ただ、空白の2年間があったせいか、あんまり読書量は戻りませんでした。東野さんや辻村さんは著作も多いので、おふたりの本を読んでいるだけで大学が終わった気がします。

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