特別対談
『幻と想 03-25 大槻ケンヂ自選詩集』
刊行記念対談 大槻ケンヂ×和嶋慎治 (後編)
「たくさん文庫を読んだ時代があるから歌詞が書ける! 」
文法上間違えていても「詞」はかまわない
和嶋 大槻くんの詩集は本にするにあたってけっこう直されたんですか。
大槻 直しました。そのままだとちょっと色々いけないってことがあるじゃないですか。
和嶋 うん(笑)。事情がありますよね。
大槻 で、そこは変えたほうがいいというので、じゃあ、ちょっと変えようと思ったら、なんかいっぱい変えちゃった。その作業が面白くなっちゃって。言葉尻を変えただけのものあるんだけど。
和嶋 いいんじゃないですか。すべてと言っていいぐらい、ショートショート読んでるみたいな感じになりましたよ。
大槻 やっぱりメロディや歌詞の制限があるので伝えきれなかった部分があって、そこを補っていったらほぼショートショートみたいになっちゃったっていうのがあって。「ニーナ」とか「坊やの七人」っていう曲なんかは、相当変えて、ストーリーにしちゃいましたね。
和嶋 意図的だったんですね。
大槻 意図的です。だからようやく完成を見たっていうか、やっぱり音楽によって相当補強されていたんだなっていうこともわかる。
和嶋 ああ、そうですよね。この行間わかってくれよみたいになっちゃうんだよね、音楽をつけちゃうと。
大槻 うん。銃声がしたみたいなことを書きたくても、行数がなかったとして、録音の工程でそこに銃声を一発入れてくれれば、それで説明できちゃうとかあるじゃないですか。詩集で音楽がない場合は、こう銃声がしたとか、1行入れなきゃなみたいなこと考えていたら、かなり直してて。もっと心象風景的な散文詩的な、よく分からないものもいっぱいあったんだけど、今回は物語として読める詞を多く選んでるところもあります。詩集って、難しいじゃない? そこがいいんだけどどうとも解釈できるわけだし。
和嶋 物語性のある歌詞が大槻くんは得意だというのが僕の認識なんだけど、それが遺憾なく、発揮されたんだなと。
大槻 ぼくはそれでよくメーカーの人に、ラジオだと一番しかかからないから、一番で完結するような詞を書いてくれってずっと言われてたんだけど(笑)。
和嶋 いや、全然いいじゃないですか。一番の後は次週続くみたいなもんだから、その後想像できて良いと思いますけどね。
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──和嶋さんも詩集を作るときは歌詞はだいぶ変えたんですか。
和嶋 僕はそこまで直しはしてはいないんですけど、いわゆる文法的におかしいところは直しました。ちょっと古臭い言葉回しが好きでよくやるんですけど、けっこう文法の間違いを犯してて(笑)。あと漢字の表現で、ここは違う漢字を当ててたほうがいいなとか、そういうのを直したり。そのぐらいじで、1行とか2行プラスするとか、そういうのはやってないです。
──歌ってる時はそのまま、元のまま歌ってるんですよね?
和嶋 そうですね。間違った文法のほうを歌ってます。
──紙の詩集になるということで正しい文法にしようと?
和嶋 きちんと国語力のある方が読んだら違和感があるだろうなっていうところは直したんです。ただ、大槻くんもそうだと思うんだけど、文法上間違ってても詞は全然いいと僕は思っていて。思いません?
大槻 思います。
和嶋 雰囲気がいいほうがいいと思うんだよね。あと耳障りのいいほうがいいというか。
大槻 「ダンウィッチの怪」の歌詞にヨグ=ソトホートなんていうのが盛り込まれてて、すごいな。「幽霊列車」も好きなんだよね。「幽霊列車」すごくいいよね。
和嶋 ああ、ありがとうございます。
大槻 これは曲もとてもいい。
和嶋 大槻くんの歌詞で思うのは第三者がよく出てくるじゃないですか。僕の歌詞ってあんまり出てこないんですよ、第三者。で、女性みたいな第三者が出てきて、当人は人としてぶれてるっていうのかな、悩んでるわけだけど、僕の歌詞だとぶれぶれのまま終わるんですよ。ここで自分で解決しなきゃみたいになるんですけど、大槻くんの歌詞は、あたしがいるよ気づいてって、誰かが横にいる。
大槻 そうなんですよ。
和嶋 その人との優しいやりとりっていうのがすごく多い。ああ、ここが大槻くんの個性なんだなと。
大槻 それは思えばそうかもしれない。その状況を見つめている人とか助言をする人っていうのがよく出てくる。「1000年の監視者」っていうのは、いろんな人々が苦しんでいる。それをずっとただ見ている神の視点の人が出てくるっていう、なんかそういうのはありますね。
和嶋 ひとつの詞の中で、私という人の言葉と第三者の言葉が出てくる。そこがひとつの大きな個性なんだろうなと思って。
大槻 まあ、でも、音楽に助けられてきた作詞家人生だったなと思ってね。やっぱり、思うなあ、なんか、サウンドがあったればこその歌詞であるなあと思うよね。
高校生の頃に読んだ本が歌詞に影響を与えた
──おふたりとも文芸に影響を受けたロックという立ち位置なわけですけど、高校生の頃ですか、乱歩とか横溝正史とかラヴクラフトとか、三島由紀夫、柴田翔、星新一、筒井康隆など、弘前と東京でわかれて、同じようなものを読んでいたそうですが。
和嶋 そうですね、遠く離れて。
──そういう本は歌詞に何らかの影響を与えてますか。
和嶋 なんていうかアンダーグラウンド感みたいなものは絶対あるんじゃないかな、乱歩の影響で。そういうほうがかっこいいって、思ったりしませんでした?
大槻 思いました。そういうの読んでる自分がかっこいい。
和嶋 そう、そういうのもあるし。
大槻 読書少年としての矜持というか、プライドというか、みたいなものはありました?
和嶋 ありましたよ。
──それは歌詞を作る時に?
大槻 というか、蓄積として、自分には中高生時代にたくさん文庫本を読んでいた時代があるから書けるんだっていう気持ちはもちろんありました。読書と、あと、僕は東京だったので名画座というところにいっぱい行って映画を観てたし。そういうものでしたよね。
和嶋 読み方なのかもしれないな。たとえば乱歩だって、読書好きな人だったら全員読んでるはずですからね。でもみんながみんな乱歩っぽくなるわけではない。内容はもちろん面白いとして、そういうアンダーグラウンド、危ういもの、特異な感じ、それが自分は好き吸収したんだなとか思って。ラヴクラフトも僕、そんな気がして。ラヴクラフトは怪奇小説としてすごい面白いんだけど、自分の読み方としてはラヴクラフトはある種、私小説みたいに読めるんですよ。書いたご本人はものすごく非社交的で孤独で、家庭生活も失敗してるじゃないですか。で、孤独に死んでいったんだなっていうのが、行間からありありと読めるなと思って。ラヴクラフトの小説、いろんな登場人物が出てくるんですよ。でも、心の交流がまったくないのね。本当にこの人寂しい人なんだなと思って。そこを読むのが面白いんですよ。そういうところに共感しちゃったりしたのでこういう音楽になったっていうのかな、私は(笑)。人によっていろんな読み方がきっとあるんでしょう。で、その人の表現になるんだと思うんだよね。
──でも乱歩もラヴクラフトもモダニズムみたいなのを感じるじゃないですか。
和嶋 モダニズムあります。
──それは和嶋さんの「人間椅子」にもありますよね。
和嶋 はい。乱歩がすごいのは普遍的なんだよね。なんて言うのかな。たとえば横溝正史だったら、逆にもう土臭すぎるっていうか。大下宇陀児っていう作家がいたんですけど、同じ時代にね。その人はもう古臭くて、読めないなと思ったんだけど、乱歩は新鮮なんですよね。舞台が大正昭和なだけで、感覚はもう全然今でも同じ、通用するっていうか。そういうところがいいなと思いますよ。そこは学びたいと思うんですけど。それで言うと大槻くんは、やっぱりタイトルが強烈なんだよね。
大槻 ありがとう。
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和嶋 筋肉少女帯の楽曲のタイトルで小説書きましょうっていう本を出したじゃないですか。あの時、タイトルが強烈すぎて、世界観が強すぎてさ、どうすればいいんだろうって悩んで、なんとなく自分の中にあるものと合わせられるのが「福耳の子供」だったんだけど。強烈なんだよ。「ゴミ屋敷の王女」とかって、普通タイトルつけられないですよ。このタイトルはすごいなと思いました。
大槻 でも、ワジーもだけど、いっぱい本を読んだり映画を観てきたりすると、そういうタイトルの付け方とか、勉強になるところがあるっていうか、過去のあれから付けようとか、こういこうとか。
和嶋 そうですね。小説っぽいタイトルにしようみたいな感じに。
大槻 タイトルは重要ですよね。
和嶋 重要だよね。重要だと思う。
大槻 逆に気をつけなきゃなっていうのは、いい大人になると、詞が偏って政治的になったりするじゃないですか。あと俺ら同世代頑張れソングを作りがちっていうのがあるでしょ。その俺ら同世代頑張れソングがあんまりっていう場合が多いんだよなあ。まあ、「楽しいことしかない」なんて曲もそれに繋がるのかもしれないけど。そこらへんはちょっと気をつけようと思って作ってるところはありますね。
和嶋 それは僕も。自分は、たぶん同世代に向けてってよりは、すべての世代というか、どっちかっていうと若い世代をイメージしてやってるんですよ。少年って、すごく若いエネルギーを感じるじゃないですか。自身、やりたいと思ったのが10代の頃だから、青春の発動な気がするんだよね。若い人に向けて伝わればいいなと思ってやってるところはありますね。
大槻 難しいよね。ぶっちゃけ、今後、まだまだ作詞をするエナジーっていうようなものは和嶋さんはふつふつとありますか。
和嶋 まあ、60歳になって、暦一周回ったって気がして、これはこれですごく新鮮だなと自分は思ってるんですよね。もう一回赤ん坊で生まれ変わったっていうことじゃないですか。新鮮な気持ちにもなったので、たとえば恋愛を匂わせる歌っていうのは僕らあんまり多くないんですけど、そういうのも逆に書けるなとか思ったり。リアルに恋愛してなくても、恋愛の記憶とか経験はあるので、それを作品として新鮮な気持ちでやれるっていうのかな。もう60歳だから、本当に純粋な創作として恋愛ソングを楽しんで書けるんじゃないかなとか思ったり。書こうと思ってるんですよ、恋愛。
大槻 もう思い出せもしない。
和嶋 (笑)。そんなことないでしょ、詞にいっぱい出てくるのに、そういう女の子。
大槻 いや、だから今回の詩集は区切りで、58歳までの作品が入ってるんだけど、その後、60歳になったくらいで急激に変化したというか、なんか今、書くべきテーマは恋愛じゃないしなあって思って。恋愛じゃないし頑張れソングもなんだし...。
和嶋 頑張れソングは我々には合わないと思うよ(笑)。
大槻 ちょっとね、今、書くべきテーマっていうのが見えない時でもあるので、詩集を出すには良き時だったかと思う。もし四作目の詩集を出したらガラっと変わってるかもしれない、僕の詞の傾向が。
和嶋 ある意味、年を取ったならではのものになるかもしれませんね。若干の達観した感。
大槻 いや、難しいでしょう。やっぱりミック・ジャガーとか矢沢永吉さんなんかも歌ってはおられるけど。
和嶋 おられますよ。
大槻 でもどうだろうなあ、もうなんか、「ゲッノーサティスファクション」っていう気持ちではないと思うんだよね(笑)。ミックもそうだと思うんですよ。ロックってやっぱりこう、世への不満であるとか、そういうものを歌うじゃないですか。そういう意味ではもうないじゃないですか、ギラギラしたものっていうのが。
和嶋 そうですね。
大槻 だから、60、70の人がギラギラしてるのを歌うのは変だよなって、ちょっとだけ思ってて。
和嶋 ギラギラしなくてもいいとは思いますよ、僕も。
大槻 でも、その60、70の同年代の人たちに、まだギラギラしてますよっていう、そういう生き方もありますよってことを提示して差し上げるのも務めなのかなと思って。
和嶋 まあ、そうでしょうね。永ちゃんはたぶんそういう枠ですからね。頑張ってる永ちゃんを見てっていう。
大槻 ね。やっぱりそこを歌わなきゃいけないんじゃないかな。だから本当に60歳過ぎて以降のロックの歌詞は何を歌うかっていうのは、かなり重要なことなんじゃないかなと思ってて。歌うべきことを、ちょっと今、ぼくは見えなくなってるかなあ。
和嶋 でも、僕、大槻くんの今回の詩集の解説エッセイを読んで、いいなと思った部分があるんですけど、アダムスキーがコンタクティになったのが61歳じゃないですか。だからまだまだこれからって書いてある。ここから別の人生っていうか、まだまだ伸びしろっていうか、なにかあるはずなんですよ、60過ぎてから。
大槻 やなせたかしさんが、アンパンマンを描いたのが50歳になってから。
和嶋 だから不朽の名作はこれから生まれるかもしれないですよ。松本清張も『点と線』を書いたのが50直前で、そこから量産していくから。
大槻 伸びしろが。うん。
和嶋 いいものだって書けるし、胡散臭いことがこれからやれるっていうことじゃないですか。すごく励まされました、この解説エッセイ。これからAIが音楽も映像も、もちろん文筆もやるんでしょうけど、AIに書けないものを書きたいなと頑張っていきたいなと思ってるんですよ。文法が間違っててもいいと思うんだよ。そういう人間ならではの不条理なものに、可能性があるような気がしてるんですけどね。なので大槻くんも第四詩集をきっと出すと思いますし、お互いに頑張っていきましょう。
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【対談者プロフィール】
和嶋慎治
1965年12月25日、青森県生まれ。大学時代に高校の同級生だった鈴木研一とハードロックバンド「人間椅子」を結成。1990年、デビュー。以来、紆余曲折を経ながらもバンド活動を続け、これまでに24枚のオリジナルアルバムを発表。ライブには多くの熱狂的ファンが詰め掛け、海外での評価も高い。エフェクターマニアとして名高いほか、文学、落語、バイク、キャンプなどへの造詣も深い。本書は初の自選詩集。本人曰く、詩作品に関して、山頭火、宮沢賢治、高橋新吉、夢野久作、そして江戸川乱歩らの影響を受ける。
大槻ケンヂ
1966年、東京都生まれ。ロックバンド「筋肉少女帯」のボーカルとして活動を開始。物語性とユーモア、狂気を併せ持つ独自の歌詞世界で特異な存在感を示してきた。
音楽活動と並行して、エッセイ、小説、詩など文筆活動も展開。著作は各方面で高く評価され、星雲賞を2年連続して受賞。歌と文章のあいだを自在に行き来する表現は、多くの読者に支持されている。



