『六号病棟・退屈な話(他5篇) 』チェーホフ

●今回の書評担当者●ブックデポ書楽 長谷川雅樹

  • 六号病棟・退屈な話(他5篇) (岩波文庫)
  • 『六号病棟・退屈な話(他5篇) (岩波文庫)』
    チェーホフ
    岩波書店
    972円(税込)
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「あなたの人生を変えた1冊はありますか」という質問に「ない」と答える人は多いのではないだろうか。自分(これを書いている私)のことはさておき、たった1冊の本がすべてを変えてしまうことは、私もそうそうないと思う。

 敢えて言うなら、1冊の本で人生の方向性を決めたり、変えたりするのは、ちょっと危うい。なぜなら、もっと違う視点・違う意見で、別の気付きを与えてくれる本が他にあるかもしれないのに、その1冊にこだわることは、それ以外の可能性を捨ててしまう可能性につながってしまうからだ。

 あらゆる本を読み、あらゆる知識・感動を得て、あらゆる可能性を模索し、ときに反面教師にして、自分で考える最良の人生の選択、その助けにしていくことが大切なのだと私は思う。

 しかし。ここまで言っておいてなんですが、先に謝っておきます。申し訳ございません。残念ながら(?)、私には「人生を変えられてしまった1冊」が、あります。いつも物事を考えるときの土台にしている本、世界文学に触れるきっかけになった本が。それは、ロシアの作家チェーホフの『六号室』という作品です。

 読んだのは中学生か高校生のときだったと思う。当時はそこまで読書少年でもなかったゲームっ子の私は、ファミコンのファイナルファンタジー3、ラストダンジョンのクリスタルタワーを3時間ぐらいぶっ通しでプレイした挙句、ラスボスに負けてパーティの状態がリセットされた瞬間放心状態に陥り、電源を再投入してやりなおす気にならず、ただ鬱々とした日々を過ごしていた。あまりにやることがないので手に取ったのが、母がなぜか全巻注文していた集英社ギャラリーの世界文学全集「世界の文学」(※現在は絶版)のロシア編。そしてそれが、その中に収録されていた『六号室』との出会いだったのである。

 ざっくりとしたストーリーはこうだ。田舎の病院の院長をやる傍ら、空いた時間で哲学書をよみふけっている主人公が、ある日、精神病棟に隔離されている1人の患者と対面をする。最初は見下していた主人公だったが、患者と話をしていくにつれ、その高い教養、深い思索、当を得た発言に驚き、共感するようになる。周囲から後ろ指を指されるようになっても、毎日患者との哲学的な対話に没頭するようになった院長。そして最終的には、院長自身が狂ったとされ、病棟に入れられてしまう......。

 読後の感想として「頭をガツーンと殴られたような気がした」という表現は、使い古されておりどうもこそばゆいのだが、申し訳ない、おそらくそれが一番正しいと思う。読み終わってくらくらした。よくわからないが「自分はこのままではいけない」という強迫観念にとらわれた。ずっと信じて疑わなかったこの社会に、疑問を感じた。たぶん目つきが鋭くなった。とくに自分の核になるものがなかった当時の自分には、もう、とにかく、刺さりに刺さった。数々の読書体験を振り返っても、これ以上のものはない。

 時が経ち、齢を重ねて、SNS、ミニブログを開けばそこに沢山ついている「いいね」を、何も考えず押す私が今ここにいないとは言わない。ただ、なんとなく「いいね」をつけようとするとき、この作品を思い返して踏みとどまることが、よくある。「正しい」と言われているものは、果たして絶対的に正しいものなのか。社会が決める「正しい」「正しくない」の、あまりにも揺蕩っている境界線のこと、そして「おそらく正しそうなもの」であっても、「正しくないと見える人たちがそこにいる」可能性のことを、常に考える。誰かに迎合していないと、一夜にして迫害される可能性がある社会に対し、流されず声をあげることに、とかく不安がつきまとう現代だからこそ、本著は再読するに値すると考える。

 ちなみに物語にとくに救いはない。答えもない。インテリゲンチャが敗北し最終的に病棟に押し込められる話なのだから、なおさらだ。だが、読めば今まで見えなかったものが見えてくる。そしてそれは、私にとってはかえって、あらゆる存在、また選択可能性を認めるきっかけになった。

 私があらゆる書に書かれたあらゆる表現の自由を認めることが当然と思い、そこが絶対に揺るがないのは、「正しさ」という言葉の危うさを教えてくれた、この本のおかげである。冒頭で「あらゆる本を読み、あらゆる知識・感動を得て、あらゆる可能性を模索(すべき)」と書いたのは、そういうわけだ。

 インテリゲンチャと当時のロシア社会を皮肉ったアンチテーゼである本作本来の読みとはズレているかもしれないが、どうあれ本著は、私にとって「生きるとは」を考えさせ、今も常にこの本のことが頭から離れないようにさせてしまった、凄まじい本であった。きっと誰にとっても、社会とは、大衆の中の個である「私」とは何者かを、考えるきっかけになることだろう。

 短い話なので、まずは気軽に読んで頂きたい。一気読みは確実である。気分が重くなるかもしれないが、そういう読書も、たまにはいいと思う。それもまた、読書だ。本の力だ。存分に叩きのめされて戴きたい。

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ブックデポ書楽 長谷川雅樹
ブックデポ書楽 長谷川雅樹
1980年生まれ。版元営業、編集者を経験後、JR埼京線・北与野駅前の大型書店「ブックデポ書楽」に企画担当として入社。その後、文芸書担当を兼任することになり、現在に至る。趣味は下手の横好きの「クイズ」。書店内で早押しクイズ大会を開いた経験も。森羅万象あらゆることがクイズでは出題されるため、担当外のジャンルにも強い……はずだが、最近は年老いたのかすぐ忘れるのが悩み。何でも読む人だが、強いて言えば海外文学を好む。モットーは「本に貴賎なし」。たぶん、けっこう、オタク。