『スリップの技法』久禮亮太

●今回の書評担当者●ブックデポ書楽 長谷川雅樹

「長谷川さん、アルバイトさんが教えてくれたんですが、今度出る『スリップの技法』って、知ってますか? 書店員にとって、とてもためになりそうな本ですよ」文庫担当のNが私にそう話しかけてきてくれたのは、おそらく発売の1カ月前あたりだったと思う。「ふーん」とさも興味のなさそうに返事をした覚えがあるが、実は、知っていた。そして、驚いていたし、嬉しかった。アルバイトさん、やるじゃないか。『スリップの技法』。それは、私も発売を楽しみにしていた本だったからだ。

『スリップの技法』(苦楽堂)。久禮亮太さんという、18年のキャリアを持ち、今もフリーで働いておられる伝説的な書店員の書かれた本だ。(※スリップとは何かを説明すると、書店で立ち読みをする時に挟まっている、煩わしい細長いアレ。我々はお客様に本をお買上げいただくと、レジでアレを抜きます。売上カードとも。抜かれたスリップは「この本が売れた」という証拠になり、我々が確認できるのです)。

 一冊の本をお客様にお買上げいただく。売上スリップを見て、久禮さんはそこに直接いろんなことを書き込んでいく。「こんな本を隣に置くべきでは」「この本はもっと積むべき」「このお客様にはこんな著者が提案できる」......1枚の売上スリップから推理し、ときに妄想し、買っていただいたお客様の姿を思い浮かべながら、発注し、売り場に反映させていく。そのメソッドが、実例とともに事細かに書かれているのが、この『スリップの技法』である。

 そもそも私は書店員の書いた話というものにあまり興味がない。嘘だ。とても興味がある。めちゃくちゃに興味がある。だが、興味がないフリをしている。自分よりも光を浴びて輝いている書店員、著者さまと繋がってニコニコしている書店員のキラキラした感じがどうも苦手で(そういえばこの前もとある縁あって著者を囲む会みたいな会合に参加させていただいたのだが、先生のことが畏れおおくてモジモジとしている自分を尻目に難なく先生と仲良くコミュニケーションをとられている方々を見て『あー......つらい......』と泣きそうになった)、つまるところ羨ましさを感じていながらも自分とは違う、自分はああはなれないとヘソを曲げているところもあるが、理由の根幹はそこではない。書店員は、書店業界においてつねに裏方であるべきで、主役はお客様、そして著者であるべきで、常に一歩引いた存在であるべきという信念が自分にはあり、書店員が前に出て何かすることに懐疑的だからである。前に出るのがあまり好きではない自分だが、じつはこのコラムは、この文章が書きたくて引き受けさせて頂いた。書店の主役はお客様だ。

 だが、この『スリップの技法』は、読むとすぐ気がつくが、久禮さんの好みがどうだという的な話は特にでてこない。いや、人間である以上そのセレクト(選書)には人生観やそのジャンルに対する想い、これまでに辿ってきた読書の歴史が色濃く反映されるのは当然なので、久禮さんのオススメがないという意味ではけしてないのだが、あくまでも主役はお客様だ、ということがよくわかる。お客様に押し付けがましいところは何もない。「この本をこういう買い方で買われるお客様がいらっしゃったから、次はこのお客様の嗜好に合うであろうこの本を、この本の隣に置いてみよう」。常にその視座は、お客様のことを考える、その一点にある。

 もちろんそれは書店の売上を上げるために必要なことなのでやっているわけだが、それだけではない。そこには、愛がある。お客様、そして本に対しての愛だ。お客様と本とをつなぎたいという、愛だ。『スリップの技法』に挙げられた実例ひとつひとつに、その愛が、あたりまえに凝縮されている。そしてその愛が、書店をかたちづくっていくさまを感じ取れるのが、この本の興奮するところなのだ。ベストセラーしか置いていない金太郎飴みたいな書店が増えてつまらなくなった、という批判を浴びることが少なくない書店業界だが(じつはこういう批判をよく浴びていた以前とは、今、だいぶ状況が変わってきていると思う。書店も変わりはじめている)、久禮さんが関わってきた書店は幸せだな、と感じた。

 あまりにも書店業界向けっぽい本という紹介の仕方になっており、一般の方にとっては読みづらい本なのかなと思われてしまうともったいないので付言するが、この本、同じく苦楽堂から出版されている『次の本へ』と似たような感じで読めるブックガイドとしても読むことができます。久禮さんの脳内にある膨大な知識の片鱗によって生み出されたその選書へのコメントで、読者である私たちは知識をつけることができるので、本の知識を体系化して捉えたいと感じる方には必読の書となることでしょう。まず読み物として面白いのです。

 自分はクイズを趣味としているのもあり、「知らない」ことに対する恐怖を、知っている。「知らない」ということはつまり、「お客様に提案ができない」ということだ。知識があるからこそ、提案の選択肢が広がる。お客様の「こんな本、置いてない?」という問いに応えられる。久禮さんのすごい所は、ジャンル横断してすべてに詳しい、というところだ。以前も書いたが、書店員はすべての本について詳しく有るべきだと、本気で思っている。自分もそうあるために、日々お客様のために、研鑽を続けていきたい。お客様に喜んでいただける棚を、つくりたい。そう思う。

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ブックデポ書楽 長谷川雅樹
ブックデポ書楽 長谷川雅樹
1980年生まれ。版元営業、編集者を経験後、JR埼京線・北与野駅前の大型書店「ブックデポ書楽」に企画担当として入社。その後、文芸書担当を兼任することになり、現在に至る。趣味は下手の横好きの「クイズ」。書店内で早押しクイズ大会を開いた経験も。森羅万象あらゆることがクイズでは出題されるため、担当外のジャンルにも強い……はずだが、最近は年老いたのかすぐ忘れるのが悩み。何でも読む人だが、強いて言えば海外文学を好む。モットーは「本に貴賎なし」。たぶん、けっこう、オタク。