『牛を屠る』佐川光晴

●今回の書評担当者●東京堂書店神田神保町店 河合靖

 僕がまだ小学生の頃、父親が当時勤めていた職場の近くに食肉処理所があった。今は東京都中央卸売市場食肉市場または通称「芝浦と場」という。

「仕事をしている最中、しょっちゅう牛や豚の断末魔の悲鳴が聞こえてきて気になって仕方が無いんだ」という話を父はよくしていた。

 子供心に良く分からないなりにも何か恐ろしい事が起こっているに違いないという想像は膨らみ、父親に詳細を尋ねた思い出がある。

 その時父親が話してくれた内容は凄まじく、「食肉にするために生きたままの何百頭もの牛や豚が毎日送られてくる。そしてまずは大きなハンマーで殴り殺してから体を切り刻むのだ。聞こえてくる悲鳴は殴られて絶命する間際のものなんだ」と。俄かに信じがたい話であったが大人になってもその事は頭の片隅にこびり付いていた。

 しかし事実はもっともっと怖かったのである。
 実際の解体作業は繋留場から一頭ずつ引かれてきた豚は電気ショックで悶絶させるが体の大きな牛の場合は銃で眉間を撃ち抜く。銃に込める弾には圧縮ガスが充填されている。その弾が破裂した勢いで銃口から鋼鉄製の芯棒が飛び出し牛の頭蓋骨に直径1cmほどの穴を開ける。衝撃で、牛は四肢を折って倒れる。それからナイフで喉を刺し、頸動脈を切る。喉の切り口から血液が滝のように流れ落ちる。血抜きが終わったら各部位を切り分ける作業が始まる。(「牛を屠る」の文中から引用)なんと凄まじい仕事なのか!

 今回紹介する作品は佐川光晴さんが1990年から2001年まで実際に大宮市営と畜場(当時)で働いていた時の自伝的エッセイである。

 僕がこの本に出会ったのは2009年。新刊の入荷検品をしている時、解放出版社刊行の『牛を屠る』という何とも悩ましいタイトルの本に作業の手が止まった。純文学作家の佐川光晴さんが書いている事に興味を持ち即購入した。新潮新人賞に輝いた小説家デビュー作「生活の設計」は食肉処理所で働く青年が主人公の小説であったがこちらは正真正銘のノンフィクションである。

 現在は加筆修正したものが双葉社の文庫で読める。更に文庫版は巻末に平松洋子さんとのロング対談が収録されており、これだけでもすごく面白い。

 佐川さんは25歳のとき食肉処理所の作業員になった。北大を出て出版社に勤めたがわずか1年で辞め、ふた月ほど工事現場で働いた後この職に付いている。屠畜という仕事を選んだのは単なる偶然であると強調されている。

 作業がオートメーション化されていない大宮市営と畜場だったから、それぞれに悔しさを抱えた人間たちが発散させている気迫が充満している空間があり、ラインで牛が送られてくるのではなく自分から牛の方に飛びかかっていって押して倒してひっくり返して牛を捌いていくのが面白かったと佐川氏は書いている。

 このエッセイには牛を捌く日常の他に、屠畜業従事者の結婚事情や当時の賃金形態(給与明細)など興味深い話も多く出てきて読み始めたら止まらない。

 佐川氏はこの職場での経験を小説として書き上げる決意し10年間の食肉処理所勤務にピリオドを打つ。前述の「生活の設計」で鮮烈な作家デビューを果たすのである。

 最後になるが、「牛を屠る」をお読みいただいた読者に食肉処理所を扱った本で1冊猛烈にオススメしたい作品がある。

 写真家・本橋成一の写真集『屠場』(平凡社)である。このオールモノクロの写真集は大阪松原屠場での仕事の現場の記録で写真集になるのは例が無いといわれている。

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東京堂書店神田神保町店 河合靖
東京堂書店神田神保町店 河合靖
1961年 生まれ。高校卒業後「八重洲ブックセンター」に入社。本店、支店で28年 間勤務。その後、町の小さな本屋で2年間勤め、6年前に東京堂書店に入社、現在に至る。一応店長ではあ るが神保町では多くの物凄く元気な長老たちにまだまだ小僧扱いされている。 無頼派作家の作品と映画とバイクとロックをこよなく愛す。おやじバンド活動を定期的に行っており、バンド名は「party of meteors」。白川道大先生の最高傑作「流星たちの宴」を英訳?! 頂いちゃいました。