『小林カツ代と栗原はるみ』阿古真理

●今回の書評担当者●農文協・農業書センター 谷藤律子

  • 小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)
  • 『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)』
    阿古 真理
    新潮社
    842円(税込)
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 これは新しい視点の戦後史、そして女性史だ。(後半、男性も入ってきますが。)
 タイトルは二大人気料理家ですが本文では土井善晴、有元葉子、城戸崎愛、コウケンテツなど時代に沿って多数登場します。その時々にどんな料理家が人気になるかで時代が見えてくる。このフェーズの切り取り方はがなんとも斬新で面白い。

 本物の西洋料理を指南した江上トミや飯田深雪が人気だった高度成長期は「女の本分は家庭にあり」。お嫁にいって家庭に入り、子育てをするのが女の王道の時代ですね。江上のビーフシチューは調理に2時間。専業主婦であること、なおかつ「家族のために手間は惜しまぬ」という意識がなければできないでしょう。都市に次々建設された大型団地のステンレスの台所で女たちはローストビーフ、ブイヤベースといった西洋の味に親しんでいく。

 80年代はファンシーな料理の時代。85年の人気ドラマ「金曜日の妻たちへ」では繰り返しテラスで開くホームパーティの場面が登場する。そうでした、そうでした。憧れましたよ、郊外のセレブ生活。あのテーブルにのるのがお煮しめやすしであるわけがない。テリーヌやカルパッチョでなきゃね。もちろんほとんどの家庭においてはこんなの「絵空事の日常」ですが、テレビや雑誌で消費される料理はこういうものでした。

 一方でこの頃から働く女性も増え始める。彼女たちの心の支えとなったであろう人気料理家がタイトルにも掲げられた小林カツ代。「毎日作るんだから100おいしいことを目指さなくてもいいのよ。80おいしければいいじゃない。そうしないとやってられないわよ」。「本当に時間がなくてそれでも殺伐とした食卓にだけはしたくないと思っている人が、時々はおそうざい売り場を利用してもいいではありませんか」もうこのセリフには泣きましたね。ここ泣くとこか?と男性諸氏には言われそうですが、泣くとこですよ!

 仕事に追われ育児に追われヘトヘトの働く主婦にも、一日家にいるんだから家庭料理には手を抜けないと肩に力の入った専業主婦にも、小林は「もう少しラクになっていいのよ」とやさしく語りかける。調味料は順番でなく一緒にいれて煮立ててしまう、ホワイトソースなど手間のかかるものは缶詰を利用する、などの「時短料理」はどれほど多くの女性たちの支えになっただろう。悩みまどう彼女たちにささやきかける聖母の声とすら思う。そして「ラクしていい」と慰めるだけではなく堂々とその手法をテレビや雑誌でやってみせたのだ。それは「これでいいのだ」という既成事実を社会に積み上げていくことでもあっただろう。

 全編とおしてうっすら脳裏に浮かぶのはひとりで黙々と台所に立つ女性たちの姿だ。もちろん愛する家族のために料理するのは至福でもあろうし、一人暮らしでも料理を楽しむことはある。でも彼女たちは孤独に闘っている。毎日食べて食べさせて「今日のごはん、これでよかったかな」とつぶやいては必死に生きている。おいしいと言われて笑い、焦がしたと言っては落ち込む彼女たちが必死に手をのばす先に、その時代時代の料理家たちがいてレシピを差し出す。
 つづられているのは副題のとおり「料理研究家とその時代」なのだが、浮かび上がるのは彼らを必要とした無数の女性たちの横顔だ。

 後半ケンタロウ、栗原心平ら「料理を楽しむ男子たち」も登場してちょっとなごむ。彼らは「主婦であるからには」「母であるからには」的プレッシャーと無縁なのでほんと自由。これもフェミニズムの一面観測かも料理に男も女もないし、主婦も独身も仕事人もみんな食べて生きていく。さて今日は何をつくろうかな。

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農文協・農業書センター 谷藤律子
農文協・農業書センター 谷藤律子
版元の農文協直営、日本で唯一の農業書専門店です。農林漁業・地域行政・環境・ガーデニング・食文化など農に関する分野を幅広く集めています。出 版界には長くいるものの、本社事務職勤務から当店への転属により書店員業はやっと2年生。となり同士でも別世界にように違う本屋ワールドは見るも の新しく、慣れないながら日々精進中です。また、書店員のほか個人で作詞家としても活動しています。趣味は沖縄芸能で、三線を抱えて被災地の仮設 住宅やデイサービスなどを仲間たちと旅一座でまわっています。
<農業書センター公式サイト>http://www.ruralnet.or.jp/avcenter/