『少将滋幹の母』谷崎潤一郎

●今回の書評担当者●八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明

  • 少将滋幹の母 (中公文庫)
  • 『少将滋幹の母 (中公文庫)』
    谷崎 潤一郎
    中央公論新社
    782円(税込)
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 ことしの元日から、朝日新聞の朝刊の連載小説で、吉田修一「国宝」がはじまった。長崎のやくざ組長の家に生まれた少年・喜久雄の物語。まだ序盤だが、ですます三人称という、最近の小説ではついぞ見られない表記と、それを活かした悠々たる情景描写で、吉田修一が新たな文体表現に挑もうとしていることはよく判る。やくざ一家の、新年の祝いの会の華やぎ、賑わいを描いていると思いきや、敵対する組の突然の殴り込みで、一転その場が凄惨な血の海となっていく。その静と動、色調の急激な変化にもかかわらず、あえて悠々たる情景描写が貫かれていることで、異様な彩りと幅広さが感じられる物語の出だしとなっている。

 ですます調はもちろんのこと、ゆとりのある情景描写というものも、実験的な挑戦と感じられてしまうほどに、現代のエンタテインメント小説からは失われてきている。逆に言うと、近代の小説を読むときに感じてしまう読みづらさの原因も、多くはゆったりとした情景描写が多いことによるものだ。もちろん、情景描写を最低限までそぎ落として、スピーディーなストーリーが目まぐるしく展開していく小説もいいのだが、小説でしかできない表現の醍醐味として、やはり情景描写や心理描写はじっくり描かれていたほうがいい。

 ここ数年の吉田修一が、一作ごとに新たな挑戦を重ねているように、かつてさまざまな文体表現を追究しつづけたのが、谷崎潤一郎だ。ことに王朝ものに代表される時代小説において、谷崎は情景描写を駆使した。ストーリーについてはごく簡単な、説明的な文章にとどめ、いかに情景描写で心に残る物語が作り出せるかを追究した。その頂点の一つが『少将滋幹の母』だ。

 少将滋幹の母とは、八十歳を超えた老貴族「藤原国経」の妻で、絶世の美女である「北の方」のこと。まだ20代の北の方は、色好みで知られるイケメンの「平中」こと平定文に言いよられ関係をもち、同じくイケメンの権力者「藤原時平」には強奪され、囲われてしまう。残された夫の国経と幼い息子の少将滋幹は、失った妻を、母をひたすら恋しがる。

 時平が国経の屋敷を訪れて繰り広げる正月の宴は、この作品でもっとも緊張感のみなぎる場面だ。老人の国経に杯を重ねさせる時平、それを陰から見ている北の方、末座から嫉妬の目を向ける平中、宴のざわめき、音曲と謡が交互に描かれ、ついに泥酔した国経に時平が北の方を連れ去ることを承諾させるに至る。緊迫した台詞のやりとりと情景描写の混交が、もの凄い迫力を生んでいる。吉田修一作品の正月の宴シーンにも影響を与えているのではあるまいか。

 今作でもう一カ所、情景描写が迫力を生んでいるのが、国経と滋幹がみせる、物語終盤の「不浄観」の場面だ。深夜、腐敗した死骸が放置されている荒れ野に行き端座する国経と、それを陰から見る、少年の滋幹。深夜の荒れ野の情景描写のみが連続しているのに、緊張感がぐいぐい高まっていく名場面だ。死骸を見ることで俗世の価値観から脱しようとする「不浄観」の行の異様さと、愛する妻を、母を失った悲しみが相まって、深い味わいのある読後感が残る。

 吉田修一「国宝」は、情景描写を物語の根幹とする今の手法を貫いていくのか。今後の展開はまだ判らないが、もしかするとこの作品は、吉田修一が谷崎の域に達していく第一歩となるのではないか。大いに期待している。

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八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
JR東京駅、八重洲南口から徒歩3分のお店です。5階で文芸書を担当しています。大学時代がバブル期とぴったり重なりますが、たまーに異様に時給 のいいアルバイトが回ってきた(住宅地図と住民の名前を確認してまわって2000円、出版社に送られた報奨券を切りそろえて1000円、など)以 外は、いい思いをした記憶がありません。1991年から当社に勤めています。文芸好きに愛される売場づくりを模索中です。かつて映画マニアだった ので、20世紀の映画はかなり観ているつもりです。1969年生まれ。島根県奥出雲町出身。