第一回 塩田屋商店

 初めての北海道。目指した先は余市だった。20年ほど前、宇宙飛行士となった毛利衛さんの故郷を訪ねた。季節は冬。雪国で生まれ育った僕でもへこたれるほどの寒さだったことを憶えている。

 再びの余市は、その数年後。秋の終わりに、ヤンキー先生と呼ばれた義家弘介さんの元へ。あのときも寒かったなぁ。薄着の僕はぶるぶると震えていたことが懐かしい。

 三度目は、NHKの朝の連ドラ『マッサン』の舞台として余市が脚光を浴びた、あの頃。ニッカウヰスキーの余市蒸溜所へ。真冬。寒さはほどほど。温暖化ですね、温暖化ですよ、なんて会話を交わしたことを想い出す。

 北海道は積丹半島の東の付け根に位置する余市町。人口が2万人ほどの小さな町に、僕は何かと足を運んでいる。2020年には、日本で唯一「noma」のワインリストに載ったワイナリー「ドメーヌ・タカヒコ」の曽我貴彦さんに会いに行った。またも冬。でもね、やっぱり寒さはこたえない。初めて訪れた頃に比べると、雪もずいぶんと少なく感じる。温暖化だな。

 余市へ行くたび、思っていた。寂しさが漂っているのに、暗さがない。そう、余市は明るい町だと。日本全国いろんな土地に足を運んだけれど、何かが違う。なんだろう。なぜだろう。考える。考えた。けれど、ちっともわからない。

 余市。おじさんの名前のような、どこかおかしみのあるユニークな名を持つ町で暮らす人たちは、何を想うのだろうか。余市の人々の話を集めることで、探していた答えが見つかるかもしれない。余市の「よ」がわかるかもしれない。話を訊いてみたい。それが「余市の人々。」のきっかけだった。

 最初に会ったのは「塩田屋商店」の塩田英史さん。余市いちばんの繁華街「余市銀座商店会」にある書店の三代目の物語から始まります。

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塩田屋商店(北海道余市郡余市町黒川町3-13) 写真・中島博美

「余市ではうちがいちばん新しい書店になります」

「塩田屋商店」の塩田英史さんは言う。またまたご冗談を、なんて僕は言いたくなる。だって、さっき見た塩田屋の外観は随分と年季が入ってたもんなぁ。鉄骨が剥き出しになった寂しげな庇の姿が、僕の頭の中をふわふわと漂っている。

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「庇はね、覆っていた布を取っちゃったの。だいぶくたびれてましたから。古いからね、うちの書店も」

 庇のことを塩田さんに訊くと、そんな答えが返ってきた。今度は僕も、そうですよね、と納得する。でも気づく。さっきは「新しい」だった塩田屋の形容詞が「古い」に変わっていることに。塩田さんに目をやると、いたずらっ子のような笑顔を見せる。

 北海道の余市町には3軒の書店があると、塩田さんは言う。正確に言えば、個人で営む書店、いわゆる町の本屋さんが3軒、ある(余市駅の近くにTSUTAYAがあるんですよね)。その3軒の中では塩田屋がいちばん新しい、らしい。塩田さん、この日のために、店の来し方を調べてきたという。「実は私もうろ覚えだったり、知らないこともありますからね。これ幸いですよ」と、笑う。

「うちが正確に何年やっているかはわかりません。はっきり言えるのは、株式会社になって2020年で67期目ということです」

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「祖父は、いまもある余市でいちばん古い書店に憧れて本屋を始めたと聞いています。祖父が生まれた年が1900年なんです。二十歳で商売を始めていれば今年でちょうど100年。ただ、祖父は未成年で塩田屋を開いたという話なので、そう考えると、うちは100年とちょっとということになりますかね。記録が残ってないから、本当のところはわかりませんよ」

 老舗だなぁ、と思う。1世紀以上続く町の本屋さんはいま、日本にどれくらいあるのかな。そして、塩田屋がいちばん新しいということは、100年の歴史を持った本屋が余市には3軒もあるということに、驚いた。

「余市の人たちには、長く続けていることが信用に繋がるんですよね」

 そう塩田さんは言う。とはいえ、100年である。これって、余市という町の事情? それとも書店という商売ゆえのこと? 塩田さん、どう思います?

「どっちもでしょうね。余市も本屋もちょっと変わってるでしょ。いい意味でも悪い意味でもね」

 塩田さんの言いたいことは、なんとなくわかる。けれど、ちっともわからないような気もする。余市の風景と本屋の情景を思い浮かべると、僕の中では前者だな。なんとなくわかる、の方。本当になんとなくだけれど。塩田さんの「余市も本屋もちょっと変わってる」という言葉がごろごろっと頭の中を転がっていく。

「私が塩田屋を継いで30年ちょっとになります。昔の人間ですから、長男が跡を継ぐことに何の疑問もなかった時代です。学校を出て札幌で働いてましたけど、父はいつかは私が帰ってくると思っていたでしょうし、私もいつかは余市に帰るものだと思っていました」

 札幌で地図の販売会社で働いていた塩田さん、33歳のとき、余市へと戻ってきた。店を継ぐとか継がないとか、そんな話を先代とは一度もしたことがなかったという。そろそろかなと思って帰ってきて、いよいよだなと当たり前のように町の本屋の主となった。

 塩田屋の建物は築60年。塩田さんが生まれた少し後に建てられたものだ。広さを訊くと塩田さんは「入口が四間で......」と独りごちながら「20坪ほどかな」。

 入って右手に雑誌の陳列棚、さらにその右にはコミック棚がある。「ようやく入ってきたんですよ」と、塩田さんは棚に並んだ『鬼滅の刃』を指した。その横には『余市町史』全6巻が陳列されている。考古の時代から平成までの余市の歴史を役場の町史編纂室がまとめたものだ。4年前から刊行が始まり、昨年に出揃った。扱っている書店は、塩田屋だけだという。店の左側は文房具、奥は印鑑や熨斗袋で占められている。すっきりと整った店内を見渡すと、書籍や文庫本の姿がほとんど見当たらないことを知る。

「書籍や文庫は少ししか置いてないんです。同心ものがちょろっとあるくらいで、あとは配本で入ってくるものだけですね。以前は私の趣味で書棚をつくったりもしていた時期もあったんですよ」

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 えっ、どんな棚ですか?

「航空ミステリーが好きなんです。福本和也をよく読んでましたね。航空機関係の本も揃えたりして棚をつくってね。でも、売れなかったなぁ」

 塩田さんは、まいったなぁという風情である。ほかに好きな作家について訊ねると、落合信彦、浅田次郎の名前が挙がった。浅田次郎は歴史ものより『神坐す山の物語』が好きだと言う。山岳ミステリーも好みなんですと、塩田さんは付け加えた。「やっぱり年を取ってから、本を読まなくなりました。本屋が本を読まないって言ったらいけませんね」と、冗談めかして笑う塩田さんである。

「棚をつくったりしていた頃は、景気もよかったんですよ。本もよく売れましたから。いまじゃ、信じられません」と、塩田さんはお手上げの仕草を見せる。続けざまに「昔のいい時代を思い出しても、どうしようもなし」と、きっぱり。

 たとえ余市で人口が減ろうとも、本が売れないと言われる時代であっても、商売は商売として続いていくわけですからね、そうでしょ。塩田さんが僕に問いかける。僕の頭の片隅には、もやっとした言葉が浮かんでいるけれど、なかなか出てこない。うんうん。だから頷くしかない。あっ、なりわい。そう、生業。もやっ、が、しゅっ、と像を結んだ頃には、塩田さんが次の話を始めたところだった。

「田舎で本屋をやるって、結構しんどいんですよ。本屋だけれど、本屋じゃないよなって瞬間がいっぱいあるんです」

 それって、どんなときですか?

「ベストセラーは一冊も入ってきませんからね」

 塩田さんの声のトーンがちょっと上がった。

「田舎にはね、ベストセラーが最初の配本で回ってくることはまずないんです。お客さんに聞かれるでしょ、あれ読みたいんだけど、ないのって。ないですって答えるしかない。いつ入荷するのって、急かされる。お客さんの要望には応えたいから、問い合わせしてみますねと言う。こっちも必死で注文する。それでも、絶対に入ってきません。絶対に、ですよ。売れる本が入ってこなくて、どうやって本屋を経営していくっていうんですかね」

 今度は僕にではなく、自身へ問いかけるように、塩田さんの視線は宙をさまよっている。

「注文から1週間で商品が届かなければ、お客さんは言いますよ。どうなってるんだと。発注はしてるんですけどねと言っても、実際には本が入ってきてないわけだから、お客さんにしてみれば、うちが怠けているみたいに思うわけです。困るのは小樽に行ったらあったよと言われることです。大型書店にはベストセラーが積まれてるんです。こっちはがんがん注文を出しても一冊も入ってこないというのにね。大型書店も積んだら積んだ分、売ってくれたらいいんです。でも売れ残る。そして返品する。おいおい、だからそんなに頼んだら駄目なんだよ。こっちはずっと待ってるんだぞ。そう思いながらやってきました」

 30年以上、ベストセラーと縁遠い書店を経営してきた塩田さんの嘆き節は続く。

「『鬼滅の刃』もなかなか入ってこなかった。直木賞や芥川賞の本もない。『ハリー・ポッター』もこなかった。版を重ねて、ようやく回ってくる。でもね、その頃には下火になってるんですよ。売りどきを逃してる。だから売れない。売れなければ返品するしかない。返品すると、あの店ではベストセラーが売れないってなる。悪循環というか、本屋でありながら本屋の循環の中にも入ってないというかね。腹が立つことがいっぱいありましたよ」

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 嫌な思いも随分した。田舎の書店経営は苦労が絶えない。そう話す塩田さんに訊いてみる。本屋を辞めちゃおうって思ったことはなかったんですか?

「ないない。それはない。ないですね」

 何度も何度も否定する塩田さんである。理由を訊ねる。ひと呼吸の後に、塩田さんは口を開く。

「図書館がなくなったりすれば、もういいかなって思うかもしれませんね。余市にいまある3軒の書店で図書館に本を卸してるんですよ。書店で本を買わなくても、町の人たちが図書館で本を読んでくれるのであれば、それはそれでよし。本と触れ合う場所があれば、本との出会いがある。そこから、同じ作者の本をもっと読んでみたいとか、この本は面白かったから手元に置いておきたいとか、誰かにプレゼントしたいなとか、そういうときに本屋に足を運んでくれればいい。実際、図書館で目にしたんだけどって言って訪れる人は結構いるんです。お客さんに対して、本屋の役割を果たしたいという気持ちがあるうちは辞めたいとは思わないんじゃないかな」

 コンビニで本を買っていた若者が、書店に流れてくることもあるという。そんなときも、本屋の役割なんだと塩田さんは言う。

「コンビニには雑誌がいっぱい置いてあるけれど、売れなくなるとすぐに配本を止めちゃうでしょ。そうすると、いつもコンビニで買っていた人は、あれ、目当ての本がないっぞてことになる。最近の若い人は、そのときに初めて本屋に行こうとなるんじゃないかな。そうやって、毎週だったり毎月だったり、決まった雑誌を買いにくるようになったお客さんもいます」

 新聞の書評欄の切り抜きを持参するお客さんもいる。いまも昔も変わらない風景だという。

「でもね、書籍はうちの店には置いてないことが多い。そのまま注文していく人もいます。諦めて帰る人もいます。せっかくだからと、別の本を買って帰る人もいます。そんなときですよ、書評の本よりおもしろい本と出会ってくれたらいいなと。そこに本屋の役割があると思っています」

 本屋の役割。塩田さんの言葉が、ずんずんと胸に刺さってくる。自分自身に置き換える。お前の仕事の役割ってなんだ? 塩田さんに問いかけられているような気持ちになる。塩田さんの話す本屋の役割、それは塩田さんの役割なんだと、僕は思う。

 辞めたいと思ったことがないという塩田さんでも、年を取る。ただいま64歳。会社員であれば、定年の年齢だ。果たして、塩田屋の行く末はどうなるのかな。

「うちには四代目はいるけど、やらないと思いますよ。勤め人だから、継ぐことはないでしょう。私の頃とは時代も違う。生き方も、書店のあり方も違う。個人書店のほとんどは、いまの代で終わりですよ。町にTSUTAYAさんなりのチェーン店が入ってくれば、それはそれでいい。そうでなければ、本屋がない町になる。それは避けたい。いま、北海道の市町村の半分くらいは、そんな感じゃないですか。北後志で本屋があるのは余市だけです。周辺も、長万部にも黒松内にも、本屋はない」

 店を畳む多くの町の本屋は「倒産」じゃないんだと、塩田さんは力を込める。「辞める」んだと。儲からない本屋をずっとやってきたんだから、引き際くらいは自分で決めたいもんねと、塩田さんはさらに力を込める。

「四代目の目処が立たないなら、うちも辞めることになるんでしょうね。あと5年。70歳で区切りをつけるか。それとも75歳。後期高齢者になるまで続けるか。でも、妻にしてみれば、そこまでやんなくてもいいんじゃないのと。老後をゆっくり過ごすのもいいんじゃないのと。正直、揺れてますね」

 そう言いながらも「体さえ大丈夫だったら、私としては何歳までやってもいいんです。資金がどうこうじゃなくて、体が資本」と生涯現役の勢いの塩田さんであるけれど、ふと思う。書店員の仕事って、肉体労働ですよね。毎朝、段ボールいっぱいの本が届いて、そこから棚を整理して、返本を段ボールに詰め込む。本は重い。右から左へ移動するだけもたいへんだ。年を取れば、やっぱりしんどい?

「なにを言ってるの。そんなことは苦にならない。日常だし、仕事。それよりも、並べた本がぜんぜん売れないこと。幾つになっても、苦しいのはそこだよ」

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 話は変わるけどね、そう言って塩田さんは「気がつけば、書店の数よりもセブン-イレブンの店舗数の方が多くなってるんだよなぁ」。そう。気がつけば、である。誰もがコンビニで当たり前のように本を買うようになった。ネットでも簡単に本を求めるようになった。書店で本を買わないことを、そりゃそうですよと塩田さんは考える。

「書店で注文するよりも早く本が届くんだから、田舎の人たちはアマゾンで買いますよ。でもね、嫌だなぁって思うことがあるんです。ネットは新しい本も古い本も一緒に並べるでしょ。あれが嫌。新刊には新刊の良さがあって、古本には古本の良さがあるんだけど、ネットだと古本じゃなくて中古品だもん。リサイクルショップで本を扱うというのは、私は好きじゃない」

 塩田さんの話は、あけすけだ。ほんの数十分前のこと、会った瞬間に、なんでも訊いてください、塩田さんはそう言った。その言葉に嘘はないんだなぁと思う。だって塩田さん、ひと通り話し終えると、僕に向かって、ほかに訊きたいことはないですか、なんでもどうぞと、改めて質問を促してくる。実際、塩田屋の売り上げはどう推移しているのだろうか。本は本当に売れなくなっているのかな。地方の町の本屋さんではどんな本が売れるんだろう。率直に訊きたいことを口にする。

「隠す話じゃない。小さな町の小さな本屋の現状だからね。うちは書籍の売り上げはそれほど減ってないです。雑誌はぐ~んと落ちましたね。『少年ジャンプ』が1週間で200冊以上も売れたことがあったけど、いまは10冊くらいかな。情報誌は飽きられちゃったのか、顕著に売り上げが落ちてますね。余市だからって売れる本はないんですよ。お客さんが求める本はどこにいてもたいして変わらない。だからベストセラーが入ってこないのは、それなりにきつい。でもね、われわれは雑誌を売らないと商売にならない。雑誌は定期的に買ってもらえるでしょ。それがコロナの影響で、病院や銀行が定期購読をストップしちゃったりしている。そういう意味では、しんどい。書店は納品された本の7割か8割を売って、初めて利益が出るんです。7割は嘘だな、8割だね。売れないねー、最近は。いや、最近どころじゃない。もうずっとだ」

 景気のいい話をしているわけじゃないのに、塩田さんはなぜだか明るい。そのことが、ちょっと嬉しい。そう伝えると「景気のいい頃もあったんだから、そんなときだけいい顔して、悪いからって暗い顔してるのは性に合わないだけ」と、やっぱり前向きな嬉しい答えが返ってくる。塩田さんは元気だ。

「もともとは365日、休まずに営業してたからね。正月くらい休んでいいだろうと思っても、シャッターどんどんって叩かれて、開けてくれって客がくる。うちは文房具もやってるからね、お年玉袋が足りないとか結構あった。そうすると、正月に読む本をついでに買っていこうかと本も売れる。そういうことはもうないなぁ。コンビニもあるからさ。いまは日曜休み。そもそも、日曜日この辺は年寄りしかいない。私がいちばん若いくらいだよ」

 休みの日、塩田さんは奥さんとドライブに出かけることが多いという。

「趣味ってあんまりないんだけど、道の駅を巡ってます。温泉もね。稚内まで行ったことありますよ。往復で10時間はかかったかな。根室にも行ったし。車の運転も好きなんですね」

 だから配達も楽しくやってますと、塩田さんは言う。

「注文があれば喜んでどこへでも行きます。積丹半島の端っこまでも配達してますしね。ほとんど毎日どこかへ出かけます。私の仕事の半分以上は配達だな」

 エアーハンドルを握りながら話す塩田さんは、やっぱり、明るい人だ。

 余市が景気のよかった時代の話を教えてくださいと、塩田さんにお願いする。塩田屋のことではないけれど、なんでもどうぞのひと言に甘えた。塩田さん、嫌な顔ひとつしないで、話し始める。有言実行の人である。

「私が子供の頃は、余市にも映画館がふたつあった。その前は4館もあったそうですよ。ダンスホールもあったしね。港には遊郭もあった。塩田屋の前の通りはメインストリートで、人と人がぶつからないとすれ違うことができないくらい買い物客がいたものですよ」

 なんだか、御伽噺を聞いているような気分になってくる。頭の中では、着飾ったきれいなお姉さんたちが、楽しそうに塩田屋の前を歩く姿がぽわんと浮かんでいる。旧き佳き時代と言ってしまえばそれまでだけれど、ぐるりと頭を巡れば、やっぱりそういうことなんだよなぁ。

 華やかな日々が余市には確かにあった。

「船が入って出航するときが、またすごかった。店の本がほとんどなくなったりもした。いまでいうアダルト本、昔はエロ本って言ったけど、よく売れたね。それに合わせて本を揃えないといけないから、船が入ってくると聞けば一日中エロ本の注文していたこともあるよ。ひとりで段ボール一箱分のエロ本を買っていく強者もいたね。私が帰ってきた頃が、そういう時代の最後だった」

 昭和がひとつの区切りなのかな。塩田さんはぽつり。誰かに言ったわけでもない。言葉が僕の頭の上をすーっと通り過ぎていく。昭和も平成も終わって、令和なんですよね。僕は誰もが知っていること口にする。

「うちが辞めたら、余市に町の本屋がなくなっちゃうかもなぁ」

 さっきまでの陽気な塩田さんが、なんだかしゅんとしてしまったようにも見える。どこかセンチメンタル。

「やっぱり頑張らないといけないな」

 塩田さんが決意表明のようにつぶやく。町に本屋は必要ですよ。無責任な物言いだけれど、僕は本当にそう思っている。

「私の目の黒いうちは、余市を本屋のない町にはしたくないね」

 気の利いた言葉を返さないといけないと思いながら、何も言えない自分がもどかしい。さっき言えなかった生業という言葉を思い出して、生業です、なんて言う。塩田さんが、そう、生業ですから、と返す。

 しばしの沈黙の後、そう言えばコロナはどうなんですかね、という感じで塩田屋の話がフェードアウトしていく。良くも悪くもコロナは2020年の夏の最大の関心ごとだ。

 濃密な塩田さんとの時間も終わりが近づいていた。帰り際、立ち上がった塩田さんは、世間話の最後にこんなことを言った。

「余市はまだまだいけるはずだよ。まだまだいけますよ」

 僕もつられて、塩田屋もまだまだいけますよ、と調子のいいことを言う。「いけるいける」。そう言った塩田さんは、はっはっはと軽快に笑って、顔のあたりで拳を握った。

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