第33回 お茶界の偉い人 周公さんと孔子さんと白居易さんと王敷さんと袁枚さんと乾隆帝のこと

 次にスーパースターが待ってますからね、今回はささっと数人まとめてご紹介しますよ。

 お茶界の偉い人、次のエントリーは周公(紀元前10世紀頃)。
 といっても、この方の書いた辞書「爾雅」には「荼は苦菜なり」とあるので、お茶というか、苦菜界の偉い人?
 荼と言う字もまだ、今のお茶とは違います。
 この頃のお茶はまだアイデンティティが揺らいでいる、自分探し中の中学生な感じですかねぇ。


 続いては、孔子さん(紀元前6~5世紀頃)。
 「詩経」に曰く「誰謂茶苦、其甘如斉」。
 「誰がお茶を苦いなんて言った? 斉のように甘いのに」。この「斉」ってなんだ?と思ったら、ナズナのことですって。春の七草の一つ、ぺんぺん草は、利尿・解熱・止血などにも使う薬用植物なんですね。

 王褒さんのことは、第三回で書いたので、割愛。

 白居易さん(8~9世紀)もお茶大好き。
 現存する2800首のうち、お茶を主題としたもの、お茶にまつわるあれこれを描いたものが60首以上あるそうです(でも一番好きなのはお酒。お茶は、お酒のお値段が上がっちゃったから飲み始めたらしい)。

 中国敦煌から出土した文学作品に、王敷さん(11世紀前半?)の「茶酒論」があります。
 擬人化されたお茶とお酒が出てきて、対話する愉快な読み物。
 お茶とお酒がそれぞれ利点を自慢し合ううちにどんどんヒートアップしてしまい、やがて「酒の害」「お茶の害」をあげつらう大げんかに。
 お酒曰く「お酒は王侯貴族だって飲むんだよ!! お茶なんかよりずっと尊いんだからね。この世の憂いを忘れるには、やっぱりお酒だよ」
 お茶曰く「お酒なんて酔っ払ったら悪さするし、醜態見せるし、挙げ句の果てに罰まで受ける。仏様にすがって、禁酒した方がいいんじゃないの?」。
 自由奔放なお酒と、規律も大事と主張するお茶。
 そこにお水が仲裁に出てきて、二人ともぎゃふんとなる、というお話。
 それを受けて、なのか、日本にも「酒茶論」や「酒飯論」が。お酒とお茶は永遠のライバルなんですかねぇ(個人的には、お茶は百利あって一害なし、だと思うけど)。

 詩人、食通として名高い袁枚さん(18世紀)。
 『随園食単』というお料理本の中に、「茶酒の部」があるそうです。武夷茶や龍井、君山銀針など、美味しいお茶をあれこれ素敵に語っていらっしゃいます。
 

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乾隆帝(ジュゼッペ・カスティリオーネ画、北京故宮博物院蔵)
 清の第六代皇帝、乾隆帝(18世紀)。
 この方も素晴らしいお茶好き。
 お茶の名産地にも何度も足を運んでいます。杭州は獅峰山茶園を訪れたとき、四絶(色も香りも味も形も素晴らしいこと )を誇る龍井茶を飲んで「火前嫩、火後老、惟有騎火品最好」(火が弱いと生っぽいし、火が強いと焦げっぽい。ちょうどいいのが美味しいよね)と書き記しているので、お茶の製法にも通じていらっしゃったんですね。
 碧螺春と名付けたのも乾隆帝。
 またこんな逸話も。お忍び旅行中のこと、ご一行はお茶館に立ち寄ります。そこのウェイターさんのお茶の入れ方があまりに上手で興奮した乾隆帝、自らお茶をいれはじめたので護衛たちは大慌て。皇帝にお茶をいれさせるなんてありえない、でも下手に止めたり、お礼を言ったらばれてしまう......苦慮の末、指を机についてお辞儀の代わりに。今でも中国では、お茶をいれてもらうと指で机を二三回とんとんと叩いて「ありがとう」の代わりにするんですよ。
 お茶道楽に磨きがかかった乾隆帝、引退して余生はのんびりお茶三昧ともくろんだところ、慌てた家臣が「国は一日でも君主がいないと駄目なんです!!」と引き留めます。それに対して、「君不可一日無茶」(その君主は一日でもお茶がないと駄目なんだよねぇ)と返した、という素敵すぎるエピロードも。
 お茶好きに悪い人はいませんもの。ちょっと女性に対して貪欲すぎる方だったようですが、世が世ならお茶仲間になれたかもしれない!!