2月1日(木)

 どうやら今度は本当に花粉症になったようだ。数年前にも、花粉症になったと大騒ぎしていたらただの風邪だったことがあり、今回も風邪かなあと最初は思っていたのだが、鼻水だけにとどまらず、くしゃみが止まらず、目もかゆい。いやあ、辛いんですね。これまでは他人事だったので、周囲に花粉症の人がいても、大変だねえと言うだけだったが、体がだるくて集中力がなくなるのは困りものだ。まあもともと集中力は欠けているのだが。新聞を見ると、これで花粉は例年の20%だというからびっくり。100%になったらどうなるんだ。沖縄には花粉がないというから、私も沖縄に行きたい。

 ただいまは『14歳の本棚』(新潮文庫)の第3回刊行「家族兄弟篇」の解説を書いているのだが(担当者から通告された締め切りは2月20日だが、私のスケジュールでは今週末が締め切り)、そのために過去に書いた原稿を調べていたら、多島斗志之『離愁』(角川文庫)の解説が出てきた。これを読んだら、途端に思いだした。

 実は、昨年秋に刊行した『エンターテインメント作家ファイル108 国内編』(本の雑誌社)にはこの解説原稿が収録されていない。どうして収録しなかったのかなあ。この本は杉江が作ってくれた本で、私は何もしていないから、いまさらこんなことを言えた義理ではないのだが。思いだしたのは、その解説の冒頭で紹介したある風景だ。長くなるが引く。

「数年前のある光景を思いだす。東京競馬場の1階で、とても気になる男女を見たのだ。現在は取り壊されてしまった旧スタンドの、一般席ではなく、建物の中の長椅子に、その男女は座っていた。楽しそうに笑っていたのだ。二人の体はぴったりくっついて、競馬新聞をひろげて何やら本当に楽しそうだった。

 競馬場でカップルを見るのは珍しくないが、その二人が印象的だったのは、白髪の女性が六十歳前後で、男性のほうは三十代後半に見えたからである。女性のほうは上品なご婦人で、若い男性も知的な雰囲気だった。そういう年齢差のカップルがいても不思議ではないが、性的関係のある親しさには見えなかった。二人の体がくっついているのは、彼らの座っている長椅子が四人座るには狭すぎて、そうならざるを得ないからだ。そこに性的ニュアンスはない。しかし、親子や職場の同僚にしては親しすぎる。ではどういう関係なのか。いくら考えてもわからなかった。彼らの姿が目にとまったのはそのためだろう。

 競馬場で体をくっつけているカップルを見るといつも腹を立てる私にしては珍しいが、その二人に性的関係があってもいい、と思った。もし彼らが年齢差を超えた恋人同士なら、祝福したいようなカップルなのである。それほど彼らは自然に笑っていた。仲間に入れてくれ、と言いそうになったほど、楽しそうだった」

 これが、多島斗志之『離愁』(角川文庫)の巻末に寄せた私の解説の冒頭部分である。それからずいぶんたって『離愁』を読んだとき、あのカップルは叔母と甥だったかもしれないと気がついた、というふうに私の解説は進んでいくのだが(その『離愁』が叔母と甥の物語なのである)、つまり、

 「あのカップルの仲の良さは、叔母と甥のものであったと考えると理解しやすい。親子にしては親しすぎること、恋人にしては性的ニュアンスがなかったことの説明も、それで解ける。すごく気のあった叔母と甥なら、あんなふうに楽しそうに笑い合っても不思議ではない。一人暮らしの甥と独身の叔母が、たまの日曜日に共通の趣味である競馬を楽しみに東京競馬場にやってきた図、と思えないことはないのだ」

 競馬場にはさまざまな人がいて、さまざまな光景を目撃するが、長い競馬人生の間でもいちばん印象に残っているのが、実に楽しそうに笑い合っていたこのカップルの姿なのである。あれからもう10年近い年月がたっている。あのときの叔母と甥はいまどこでどうしているだろうか。ふと思いが馳せていくのである。