6月14日(木)

 月曜日に探していた新刊とは、アメリカ古典大衆小説コレクションの一冊、オーエン・ウィスター『ヴアージニアン』(平石貴樹訳/松柏社)だ。これは20世紀初頭に書かれたもので、ウェスタン小説の古典とされている。吉野仁の日記を読んでいたら、この本が出たと書いてあったので、あわてて探しに行ったのである。

 松柏社の「アメリカ古典大衆小説コレクション」は、その創刊に狂喜した叢書である。こういう企画を待っていたのである。しかもそのラインアップに『ヴアージニアン』が入っているとは嬉しい。ところがこの叢書は、2003年に最初の2巻が刊行されたかと思うと、次の配本はなんと3年後の昨年だった。『ボロ着のディック』と『酒場での十夜』が刊行されたのは昨年の3月である。おいおい、3年おきなのかよ。このペースでは完結するまで何年かかるんだ。こういうのは確実に刊行してくれればそれだけでありがたいので、遅くなってもいいのだが、書店に行くたびにアメリカ文学コーナーを覗いても、次の配本は影もかたちもなく、やっぱりあと3年待たなければならないのかとうなだれて帰途に着くのが習慣になっていた。オレが生きているうちに完結するんだろうか。

 それが出たというのだから、これは大変と気が焦るのも当然である。で、飯田橋の書店を覗いてから、新宿の紀伊國屋南店と本店、ジュンク堂をまわったのである。ところがまったく『ヴアージニアン』はないのだ。ロバート・B・パーカー『アパルーサの決闘』(山本博訳/早川書房)がちょうど社に届いたばかりだったので、ウェスタンのブームがきて、みんながもう買っちゃったんじゃないかとまで思った。『アパルーサの決闘』は『ガンマンの伝説』に続くウェスタン小説なのである。それまで人気のなかったジャンルに突然火がつくということはあるよな。

 この日は時間がなく、神田にまわるのは後日にしようと帰ってきたが、念のために吉野仁の日記をまた読み返すと、出たとはどこにも書いていないことに気づいた。「どれだけ待ち続けたことか」と書いてあるだけだ。買ったとか、書店で見た、とは書いていない。松柏社のホームページに飛んでみると、7月上旬発売ときちんと書いてある。吉野仁は、その松柏社の刊行案内を見て、「どれだけ待ち続けたことか」と書いたんですね。私の早とちりであった。

 実は私、その『ヴアージニアン』を読んでいる。この小説は過去に翻訳されたことがあるのだ。『冒険小説論』を書いていたとき、ウェスタンの古典とされているこの小説をどうしても読まなければならず、原書を買ってきたものの語学力に自信のない私には読めず、困っていたときによしだまさし氏が翻訳本を貸してくれたのである。だからそのときに読んでいる。にもかかわらず、松柏社の『ヴアージニアン』を欲しいのは、「アメリカ古典大衆小説コレクション」を揃えたいことと、新訳でまた読みたいからでもある。そのときにお借りした本は、出版協同から出た翻訳本だったような気がするが、実はまだその本をよしだ氏に返却していない。

 あれからずっと気になってはいるのだが、引っ越しを2度したのでどこにあるのかわからなくなっている。絶対にどこかにはある。その確信はある。紛失していないし、お借りした本だからもちろん処分もしていない。実は昨年購入した「アメリカ古典大衆小説コレクション」の『ボロ着のディック』と『酒場での十夜』も、どこの書棚にあるのか、皆目見当がつかないのだ。どこに行ったんだ。こういうことはよしだ氏に直接謝罪すべきことなのかもしれないが、いい機会なのでこの場でお詫びしたい。あなたにお借りした本は間違いなくどこかにはあるのです。でもどこにあるのかわからないのです。ホントに申し訳ありません。時間を見つけて捜し出しますので、なにとぞご容赦を。