7月4日(水)

 夜の9時半に仕事が終わる。スケジュール表を作るときには、それぞれの仕事がもっと時間がかかると思っていたのだが、今週は月曜から順調で、そのぶんだけ順繰りに先につめて、とうとう本日の予定は3時間押し。じゃないな、その逆の3時間空白。こういうときに何をしていいものやら、まったくわからない。

 明日の仕事は、町田の古本屋に行ってからでないと出来ないから、することがないのだ。本でも読むかと書棚を探すと、田中森一『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)が目に入る。「伝説の特捜エース検事はなぜ闇社会の弁護人に転向したか」という帯の惹句がいい。こういう知らない世界の話を読むのが好きだ。あとがきを読むと、ホント、面白そう。でも3時間で読めるんだろうか。もっと時間がかかりそうだ。今日中に読める本がいい。

 すぐ近くに、伊藤計劃『虐殺器官』(早川書房)という本がある。こちらの帯には「ポスト9・11の罪と罰を描く小松左京賞最終候補作」とある。ばらばらやるとオレには難しそうだが、なんだか面白そうで迷う。でもこれも3時間では無理みたいだ。

 さっきの田中森一『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』も、この伊藤計劃『虐殺器官』も、我が書棚の新刊コーナーにある本だが、その隣になぜか南條範夫『おれの夢は』という本がある。1964年に出たポケット文春(こういう名称の小説新書があったんですね)の1冊だ。どうしてこの本が新刊の中にまぎれこんでいるのか、よくわからない。これはクライム・コメディのようで、未読なのかどうなのか。こういう昔の本を、ちょっと手がすいたときに読むというのもなかなかにいいが、残念ながらクライム・コメディを読む気分ではない。

 では、どんな気分なのか。それがわかれば話は早いのだが、実はそれがよくわからない。実際に本を手にしてみないとわからないのだ。たとえば、すぐ目の前に、東野圭吾『夜明けの街で』(角川書店)と、桜庭一樹『青年のための読書クラブ』(新潮社)もあるが、これはいずれ読むような気がするので、こういうぽっかり空いた時間に読むものではない。もっと偶然に、あのとき時間が空いたから読んだんだよなあという本にしたいのである。だから目につく本をどんどん手にしていくが、なかなか希望の本にぶつからない。

 そんなことをしていたら電話が鳴って、某週刊誌から単発コラムの依頼。締め切りはずいぶん先なのだが、話しているうちにネタが浮かんできて、先方に告げるとそれでOKとのこと。それならすぐに書いてしまおう。というわけで、せっかくぽっかり空いた時間も、結局は原稿書きで終わってしまったのである。