9月18日(火)

 最近は週に一度しか外出しない。なんだか雨の日が多く、こうなると面倒になるのだ。雨の日は家でおとなしく本を読んでいたい。先週は珍しく、週に二度、外出したが、最初は水曜日。次が金曜日。金曜は久しぶりに晴れたので、たまっている郵便物を取りに本の雑誌社まで行ったのだが、ここは水曜の話。サタデーウェイティングバーというFM番組の収録だ。この番組はもう十五年も続いていて、私はこの十年ほど、出ている。とはいっても、収録は年に一度。そこで5〜6本とって、テーマにあった週に放送されるという仕組み。いや、一度も聞いたことがないのでよくは知らないのだが。

 その番組を制作している某プロダクションのスタジオが昔は恵比寿にあったので、笹塚から通ったが、そのスタジオが最近、大井町線の九品仏に引っ越し。笹塚からなら遠くなるが、私も町田に引っ越したので、意外と近い。町田から横浜線で長津田へ、そこで田園都市線に乗り換えて二子玉川へ。そこで大井町線に乗り換えという手順だが、九品仏までは四十五分。二度乗り換えのわりには近い。

 その九品仏に降りた途端に、年に一度じゃなくて今年はもう二度目の収録だと気がついたが、駅を降りるとすぐに淨真寺というお寺があり、もっと昔のことを思い出した。まだ『本の雑誌』を始める前、椎名と北アフリカに行こうと約束して、せっせと貯金していたのに椎名の都合で行けなくなり、せっかく貯金したんだからとインドに行ったことがあった。どこかの大学の先生が引率して、名所旧跡をまわるツアーだ。暮れから正月にかけて2週間、北インドをまわるツアーだったが、帰国後に8ミリ映写会があった。参加者の一人が8ミリで撮ったフィルムを希望者が集まって観るという会で、そのとき、この九品仏近くのお寺にきたのだ。ということは、この淨真寺だったのか。8ミリで撮ってくれた人がお寺に務めるお坊さんで、そこで上映会もお寺で行ったのだが、私の記憶に間違いがなければ、そのお寺は九品仏から歩いてすぐのお寺だった。

 どうして今年の春に、この駅に降りたときには思い出さなかったのか不思議だが、九品仏という駅名を見た途端に、古い記憶が蘇ってきた。淨真寺以外にも、この駅の近くにお寺さんがあるのかもしれないから、断言は出来ないのだが、なんだかこのお寺さんのような気がする。もう三五年前の話なので、すべては漠とした記憶の彼方にあるが、そうだ、思い出した。その上映会が終わったあと、私は少しだけ気落ちして駅に戻ったのだ。彼女が来るかなと思ったのにその姿がなかったからだ。「『ふたりのロッテ』と草森紳一」というエッセイを、私は『本の雑誌』の1993年9月号に書いているが(現在は、角川文庫『酒と家庭は読書の敵だ』に収録)、若かった私に、エーリッヒ・ケストナー『ふたりのロッテ』をすすめてくれたのが、彼女である。当時はまだ大学に通っていた。彼女もインド・ツアー参加者の一人で、8ミリ上映会にやってくるかなと思っていたのに、その日、彼女はやってこなかった。だから、少しだけ気落ちして駅まで戻った。その日のことを突然思い出す。今なら、宮本輝『流転の海』の主人公松坂熊吾のように、「なにがどうあろうと、たいしたことはありゃせん」と思うところだが、そんな些細なことに感情が揺れ動いていたころの話である。