11月15日(金)

 ずいぶん昔に出た文庫本を増刷することになったので帯4に解説から一部を引用したいと、某社の編集者から電話がきた。その文庫は1989年に出たものらしい。書名を再度聞いても心当たりがない。「その文庫、本当に私が解説を書いたんですか」と思わず尋ねてしまった。まったく記憶にないのだ。私にとっては珍しいことではないが、たぶんその編集者は電話口の向こうで呆れていたことだろう。

 今年の春、某社のパーティに出たとき、旧知の編集者が「新人です」と若い女性編集者を紹介してくれたことがあった。何の話をしたのか今となっては覚えていないのだが、ちょっと前のことを私が失念していることにその女性が驚いたとき、旧知の編集者が「そういう人なんだよ」と言い、その女性が「そういう人なんですか」と言ったのが印象的だった。年を取ったから忘れっぽくなったわけではなく、若いときから私、著しく記憶力が後退しているのだ。古い知り合いなら誰もが知っていることなので、今では驚かれることも少ないが、たまにこうして驚かれると、やっぱり私も後ろめたい気持ちになる。

 そこで、今年の初頭に北海道の山下さんが送ってくれた「北上次郎解説文庫リスト」を取り出してみた。1989年の項に、たしかにその文庫が載っている。本当に私が解説を書いていたんだ。あわててパソコンのハードディスクを調べたが、その解説原稿は入っていない。この20年間に書いたすべての原稿がハードディスクに入っているはずなのだが、時にこういうことがある。

 改めて、そのリストをじっくりと見た。今年の始めにこのリストを一度は見たはずなのだが、今回は一冊ずつ順に確認してみた。2000年以降に出た文庫については、さすがに大半のものは覚えているが、1980年代の前半はワープロ導入前なので、ハードディスクにも入っておらず、えっ、こんなの書いていたのかよ、というものが少なくない。1985年に徳間文庫から出た大藪春彦『ザ・刑事』の解説を書いていたとは知らなかった。

 しかし、いちばん驚いたのは、マイクル・コナリー『ラスト・コヨーテ』(扶桑社ミステリー)の解説を書いていたことだ。本当かよ。この文庫は1996年に刊行されている。1985年の『ザ・刑事』を忘れていても、これは仕方がない。だって22年も前のことなのだ。でも、『ラスト・コヨーテ』は11年前だ。それを忘れていたとはショック。実は私、このシリーズの大ファンで、いつか解説を依頼される日が来るかなと思っていた。そう思っているだけで依頼が来ないことも少なくないが、結果はどうでもいい。そう思っていることがこの場合のポイント。つまり、依頼が来たら、記憶力の悪い私はこれまでの全作品を読み返さなければならないわけで、シリーズが進むにつれて、どんどん巻数が増えてくるからそれは大変な手間だよな、と考えていたのである。ところが11年前にもう書いていたとは。

 あわてて書棚に飛んで行く。今年の2月に町田に戻ってから書棚を少しずつ整理していて、あちこちに散らばっていたマイクル・コナリーの作品を一ヵ所に集めていたのである。昔は作家別にきちんと整理していたが、本が増えるにつれてそれが出来なくなり、たとえば、トマス・H・クックとかゴダードとか、みんなばらばらになっているから、そういう作家の本を見つけるたびに、作家別のコーナーを作っている。いつか再読する日が来なくても、そうしておいたほうが便利だろう。マイクル・コナリーは、まだ全作品が揃っていない。実はクックもゴダードも揃っていない。この3人の翻訳は全部持っているはずなのだが、どこに隠れているのやら。

 折よく、『ラスト・コヨーテ』下巻があったので手に取ってみると、おお、解説を本当に書いている。これは、ハリー・ボッシュ・シリーズの第4作で、第1作からどう変わってきたのか、変わらない核は何なのか、といかにも私が書きそうなことを書いている。実はその小説の内容を私はまったく覚えていないのである。だから解説を読むと、『ラスト・コヨーテ』をすぐ読みたくなるほど面白そうだ。

 誤解なきように書いておけば、私の解説がすぐれているから読みたくなるのだ、という話ではない。記憶力が悪いと、いつもこのように、おおっと驚くことが多い、という話である。