1月25日(金)

 ずいぶん昔、読書会をやっていたことがある。

 そもそものきっかけは椎名誠だ。東京郊外にある某ショッピングモールのカルチャースクールで、椎名が「本とよもやま話」の講座をやっていたのは、いまから25年前のことである。テキストを決めて、それを読んできた会員に、椎名がその本についてあれこれ話すという講座だから読書会といっていい。二年ほど続いただろうか。大変評判の講座だったようだが、そのころの椎名は世界各地にとびまわって忙しい時期だったので、その講座は二年で終了。普通ならそれで終わりになるところだが、そのときの受講者の有志が、せっかくだからこの会をもっと続けていこうと話し合い、私に電話が掛かってきた。

 素人だけが集まって読書会をやるよりも、誰か司会進行役がいたほうがいいという判断だったらしい。椎名が講師をやっていた二年間に私は数度ゲストとして呼ばれていたので、「そうだ、目黒がいい」と受講者は私を目をつけたようだ。

 その某ショッピングモールのカルチャー講座の担当者と交渉し、ただで教室を貸してもらったのだから、行動力のあるお嬢さんたちだった。ようするに、もぐりの自主講座である。おそらく担当者の好意だったと思われるが、あるいは某ショッピングモールには内緒で教室を貸してくれたかもしれないので、ご迷惑をかけないように、その担当者のお名前もショッピングモールの名前もここに書かないことにする。

 それからしばらく、私は月に一度東京郊外のその街に通うことになった。大学時代の映画研究部の合評会方式を、その新生読書会に採用したが、それは、まずテキストについて何か一言ずつ全員が順番に発言し、そこから司会が問題点を引っ張りだしてきて、議論を促すというものだ。話題が途切れると、また司会がきっかけを提出し、場を盛り上げる。つまり私は、講師ではなく、文字通りの司会進行役である。

 当時、全員が二十代だったと思う。椎名誠の講座を受講していたのだから、熱心な椎名ファンではあるのだが、それと同時に本好きで、とにかく本について語りたいというお嬢さんたちだった。読書会が終わると、ショッピングモールの真ん前にあったレストランで十数人の会員と食事をして雑談という月例会は、私も楽しかった。というのは、私が絶賛した小説でも、いつも半分は意見がわかれるのである。全員が褒める小説はないし、全員がけなす小説もない。小説は多様な読み方が出来るのだということを、私はその読書会で教えられた。

 いくらなんでも、もぐりの自主講座がそう何年も続くわけもなく、一年後に他の場所に会場を探さなければならなくなったが、その最後の日、レストランにいた私に、カルチャースクールの担当者からバラの花束が届いたことを思い出す。ちなみにその担当者は男性だった。

 どうせ場所を移すなら、目黒の会社に近いほうがいいだろうと彼女たちが言ってくれて、その翌月からは四谷図書館内の教室が会場になった。申し込めば、安価で貸してくれるスペースがあったのである。当時は本の雑誌社が新宿にあったので、私には便利である。この機会に、男性会員も募集しようということになり、本の雑誌に告知を出すと集まったのが五十人。あ、そうか。書き忘れていた。椎名の講座は女性限定だったので、もぐりの自主講座を立ち上げたのは全員が女性だった。

 で、それから十数年、読書会のあとに池林房で打ち上げをするという月例会が続くことになった。本郷の旅館に一泊する夏期合宿というものもあり、退会する人もいれば新しく入ってくる人もいて、なかなか賑やかな読書会だった。会員同士で結婚したカップルもいれば、表に出ない恋のドラマも数々あったようだ。

 私の事情が変わらなければ、たぶんずっと続けていただろう。だが、極端に忙しくなって、月に一度の読書会に出席するのがだんだん困難になってきた。そこで、司会進行役を下りることになった。次の司会進行役を責任を持って紹介するとみなさんに約束して、下りたのは会社が笹塚に引っ越す前後だったと思う。

 もっと書きたいことがあるのだが、あまりに長くなってきたので、続きは来週に書く。