7月8日(火)

 よしだまさしさんのネット日記を読んでいたらびっくり。その7月5日の項に、「目黒考二さんが若い頃に作った同人誌『星盗人』が某古書店の目録に載った。値段によっては欲しいと思っていたのだけれど、さすがに31500円では手が出ない。同人誌は発行部数が少ないから高くなるなあ」とあったのである。

「星盗人」は、本の雑誌の創刊前に、私が作っていたコピー誌「SF通信」(読書ジャーナル、目黒ジャーナルと何度もタイトルを変更したが、ようするに私の読書メモだ)がたった一度だけ刊行した増刊号で、A5版タイプ印刷64ページのもの。私の記憶が正しければ、製作したのは150部だ。椎名誠が『アド・バード』の原型となる短編「アドバタイジング・バード」を寄せてくれたのも、この一度だけの増刊号だったし、「北上次郎」の筆名を最初に使ったのはこの増刊号だった。

 ただし、同人誌ではない。個人誌だ。作ったのは私が二十代の半ばすぎのころで、父親が孔版印刷業を営んでいたから、原価すれすれで儲けなしという印刷代金とはいえ、費用は私が全部負担し、その代わり、掲載するかしないかの権限も私に所属するというシステムであった。つまり、つまらなかったら載せないけど、それでもよかったら原稿を書いてね、と知人に依頼して作ったのだ。同人誌は学生時代からそれまで何度か経験していたが、もう同人誌ごっこはしたくなかったのかもしれない。その気分は、それから数年後に本の雑誌を創刊するときにもずっと続いていて、定価は幾らでもいいから書店に置いてもらって未知の人たちに買ってもらおうと最初から考えていたのも、その延長だったのかも。

 二十代の半ばであるから、友人知人はせいぜい50人。だったら製作部数は50部でもいいのだが、50部も150部も、代金にそれほど大差はないのである。じゃあ、思い切って150部作っちゃえとなったわけだが、これは無謀だった。いくらなんでも、全然興味を示さない人に渡すわけにもいかないから、どんなに配っても50部くらいしか減らないのだ。つまり「星盗人」の100部近くが余ってしまった。

 あれから四十年近くがたってみると、その100部が1部もない。いや、1部くらいならどこかにあるはずだが、最近見かけたことがない。なくなるもんなんですね。100部残っていれば、1部3万で合計三百万かよって、そういう計算じゃないだろうが。

「本の雑誌」の創刊号を500部と決めた理由の一つに、この「星盗人」150部がほとんど残ってしまったという経緯がある。1000部や2000部も作る勇気は、とてもなかった。150部でも余るのに500部も刷って大丈夫なのかよと不安だった。「本の雑誌」創刊号500部のうちの100部は仲間うちでわけてしまったので、書店売りしたのは400部だが、あのとき、見知らぬ人が400人も買ってくれたのだ、と今さらながらに驚く。

 津野海太郎、鏡明の両氏が創刊号を買ってくれたと後日知ったが、それでもまだ398人の見知らぬ人が買ってくれたのである。すごいよなあその人たち。よくあのとき買ってくれたよなあ。素人の作った雑誌を金を出して買ってくれたそれらの人たちに、いま素直な気持ちで御礼を言いたい。あるいは買ったものの読んでみたらつまらなかったので捨ててしまったというケースも中にはあったかもしれないが、しかしちょっと面白そうだから買ってみようと手を伸ばしたあなたの好奇心が、間違いなく398個の好奇心が、「本の雑誌」を育てたのである。