8月19日(火)

『色川武大・阿佐田哲也全集』というのがあった。福武書店から1993年に全16巻で刊行されたものだ。後半の5巻が阿佐田哲也の巻で、その各巻の解説20枚を私が書いた。合計で100枚だ。そのうちの80枚は、のちに『余計者文学の系譜』(角川文庫)に収録したが、短編をまとめた巻(これは収録作品まで私に決めさせてくれたので、楽しい仕事だった)の解題20枚はそのときかぎりで、その後どこにも収録していない。パソコン導入前に書いた原稿も、すべてテキスト変換してハードディスクに入れたはずなのに、どういうわけかその原稿が私のパソコンにも入っていない。だから阿佐田哲也の短編群についてどういうふうに書いたのか、わからない。

 しようがねえなあと書棚を探したが、2時間格闘しても出てこない。出てきたのは、必要ないものばかりだ。たとえば、白井喬二『東遊記』。数回前の当欄に書いた島津書房版である。なんとなんと、買っていたのだった。そうなんですか、買っていたんですか。

 で、『色川武大・阿佐田哲也全集』は見つからなかったという話だが、それが今回の本題ではない。あるはずの本が見当たらないというのは珍しいことではない。よくあることだ。何気なく、ウィキペディアの阿佐田哲也の項を開いたのである。するとそこに、「1941年旧制第三東京市立中学に進学」とあった。えっと思ったのは、続けてそこに「現東京都立文京高等学校」とあったからだ。なんとなんと、私の母校である。

 阿佐田哲也が私の先輩だとは知らなかった。私が東京都立文京高等学校に入学したのは1962年で、阿佐田哲也の21年後だ。戦前と戦後では校舎も変わっていたかもしれないから、同じ学舎で学んだわけではないかもしれない。しかもウィキペディアには「ガリ版同人誌をひそかに発行していたことが露見し、無期停学処分を受ける」とあるから、阿佐田哲也にとって文京高校は一時期、ほんの少しだけ在籍したことのある学校にすぎない。いや、それだけの話なんだけど。