12月2日(水)

 日曜日の夜、読書に疲れたのでお茶でも飲もうと居間にいくと、テレビがついていて、それをぼんやりと見ていたら、あれれれ、画面の中にゼンジがいる!
 上原ゼンジは学生時代から本の雑誌社のアルバイトをしていて、卒業後、社員になった。単行本の編集をしていたが、数年勤めたあとに退社してフリーになった。その後は新宿の酒場などで時折遭遇したものの、具体的に何をしているのか詳しく聞いたことがない。テレビではカメラマンのマエストロとして登場し、いろんな技術的なことを指導していたが、知人をテレビの中に見ると不思議な感じがする。本の雑誌社に在籍していた当時よりずいぶんと太っていたが、元気そうだ。いや、それだけの話なんだけど。

 無駄話ついでにもう一つ。最近いちばんびっくりしたのは、浜本宛の郵便物が私の自宅に届いたことだ。郵便物は普通、「郵便番号」「住所」「宛て名」の3つがついているが、その「宛て名」が「本の雑誌社 浜本茂様」なのである。「郵便番号」は笹塚の本の雑誌社の住所のものなのである。これで「住所」が「中野区南台4−52−14」なら、その郵便物は本の雑誌社のほうに届いたはずだが、それが私の自宅の住所になっていたので、届いたというわけ。

 しかし、合っているのは住所だけなのだ。郵便番号も違っていて、浜本もここにはいないのに、どうしてその郵便物が私のもとに届くんでしょうか。まったく不思議である。差し出し人は、私も浜本もよく知っている知人の会社で、続けてその会社から同じ色の封筒に入った郵便物が私のところにも届いたので開けてみると、その会社の忘年会のお知らせだった。だからたぶん浜本宛の封筒もそのお知らせだろうと判断し、彼に直接電話してそのお知らせを伝えたが、パズル雑誌ニコリ様、浜本宛の郵便物を送るときは再度ご確認ください。今度からは住所を訂正していただけると幸いです。

 無駄話をもう一つ。今週の月曜は早川書房に出かけて、翻訳ミステリ応援団という座談会に出席したが、その前に神保町の新刊書店に寄っていくと、SFマガジンの特大号が平積みされていて、その定価が2500円。一瞬買おうと思ったものの、その定価にびびって平台に戻してしまった自分が情けない。こないだの土日に競馬で幾ら負けたと思っているんだ、このくらい平気だろ、という声はするのだが、馬券以外の出費は極端に慎重になる性格なのである。トマス・M・ディッシュの「リスの檻」が載った号を最後にSFマガジンは買ったことがないのだが、平台の前で迷ってしまうのは、小川一水『天命の標』とか、山本弘『地球移動作戦』とか、杉山俊彦『競馬の終わり』とか、最近SFがまた面白くなっているからだ。
 SFマガジンのバックナンバーをこつこつと一冊ずつ歩いて集めた日々が懐かしい。ようやく揃ったバックナンバーはもうずいぶん前に処分してしまったので手元にはないけれど、創刊号から週刊誌綴じの10数冊分を、早稲田の古本屋で購入した日の記憶はいまでも鮮やかだ。

 その週刊誌綴じの10数冊分を最後に残しておいたのは、創刊号は絶対にバラで入手できないと言われていたからだ。創刊号さえ手に入れられれば、あとはバラで揃えることも可能なのだが、問題はその創刊号なのである。SFマガジンの読者欄に「創刊号求む」と投稿したら(いまから35年ほど前の投稿欄には私の本名が載っているはずだ。正確な月号は忘れてしまったが)、京都の人からすぐに手紙がきたものの、値段がおりあわず、そのときも未入手。で、週刊誌綴じの10数冊分以外は全部揃えたものの、そこでバックナンバー集めはぴたっと止まってしまった。

 そのころは毎年暮れに全集を一つずつ買うのが習慣になっていて、その年は森鴎外全集を買うつもりで2万7000円をもって早稲田の古書店に出かけたら、その目当ての書店の数軒前の店で、SFマガジンの創刊号から10数冊分が出ていてびっくり。私の持ってない10数冊分が、私の持っていた2万7000円で出ていたのだ! あのときと興奮と嬉しさはいまも覚えている。

 という話は以前書いた記憶があるな。それをたったいま、思い出した。月曜の座談会のあと、神田の居酒屋で飲んだとき、私の話を全部聞いたあとで、「それ、前に聞いた」と田口俊樹に言われたが、今度からは途中で止めてね。