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7月16日(火)鏡明とメンズクラブのこと

  • ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた
  • 『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』
    鏡 明
    フリースタイル
    2,376円(税込)
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 すごいな鏡明。中学生のときに学校の図書館にあった創元社の「世界大ロマン全集」と「推理小説全集」を半年足らずの間に完全制覇したというのだ。さらに、自宅に揃っていた新潮社の「現代日本文学全集」と「世界文学全集」、それから河出の「十八史略」を読んだという。

 自宅と図書館にあった小説本を、ほぼ読み切るまで二年弱、というからすごい。最低1日3冊、ときには7冊というペースで、たとえば岩波文庫の『デヴィッド・コパフィールド』7巻を、飯も食わずに8時間で読破したというから、ぶっ飛びものである。中学生だよ。

「ぼくが小説を読むようになったのは、けっこう遅い。小学校の高学年、たぶん六年生ぐらいになってからだと思う」

 と鏡明は書いているが、これで遅いのかよ。十分早いよ。

「ぼくの一般教養はこの時期にすべて終わっているのかもしれない」とも書いているが、中学を卒業するまで1冊の本も読まなかった私にしてみれば、驚異的だ。

 書名の紹介が遅れてしまった。鏡明『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』(フリースタイル)だ。「マンハントとその時代」と題して「フリースタイル」で連載が始まったことは知っていたが、まとまったら読もうと思っていたので、まさかこういう内容の本だとは想像もしていなかった。

 というのは、もちろん、「マンハント」の話から始まるが、「メンズクラブ」「100万人のよる」「漫画讀本」「笑の泉」「洋酒天国」と、次々に意外な雑誌が登場するのだ。えっ、ミステリーの話じゃないの? 私、しばらく勘違いしていた。鏡明は次のように書いている。

「マンハント」のことを書くにあたって、決めていたことがあった。「マンハント」は、ハードボイルド・ミステリの専門誌なのだけれども、ミステリには触れずに、この雑誌のこと、その周辺のことについて書こう、そう思った。

 別のところでは次のようにも書いている。

 繰り返しになるけれども、「マンハント」は、ミステリ雑誌であるよりも、カルチャー・マガジンであったと思っている。その背後にあるのは、膨大なアメリカン・カルチャーの堆積だと考えている。

 なるほど、鏡明少年は雑誌「マンハント」でアメリカン・カルチャーに触れ、やがて古本屋をまわってペーパーバックを買い集め、アメリカ的なるものに接近していく。その最初のきっかけが「マンハント」であったのだ。

 だからその雑誌「マンハント」を語るということは、鏡明が自身を語ることでもあるので、とても興味深く読んだ。つまり本書は「鏡明が出来るまで」だ。

 小鷹信光、中田雅久、山下愉一、3氏へのインタビューなどで、マンハントについてもみっちりと語られることも急いで書いておく。ミステリーについては触れない、と言いながらも本書の中心にあるのはやはり「マンハント」なのだ。特に、小鷹信光インタビューはサイコーだ。

 マンハントの揃いを古書店で買ったものの、一度も中を開くことなく、十五年前に処分してしまった私には、この雑誌について何も言う資格はない。だから本書を手にしたのは、マンハントへの興味ではなく、鏡明への興味である。私は昔から鏡明のファンでもあるので、「どうやって鏡明は出来たのか」、ずっと気になっていたのだ。そういう人は私だけではないと思うが、本書を読めば納得する。

 こういうふうに「マンハント」を語るとは思ってもいなかったが、この独創的な語り口の向こうから、「鏡明がどうやって出来たのか」、その精神史が立ち上がってくる。だからこれは、鏡明という評論家、作家、翻訳家(もちろん、広告ディレクターでもある)がいかにこの世に生まれたかというきわめて特異な自伝なのである。

 最後になるが、思い出したことがあるので書いておく。メンズクラブに私、出たことがある。いまから50年ほど前のことになるが、当時都内の大学をまわるキャンパス訪問というグラビアページがあり、そこに出たのである。君が出ていたよ、と級友に教えられた。明大和泉校舎の中庭の、芝生の上で寝ころがり、友達と談笑している私がそこにいた。革ジャンと下駄、というとんでもない恰好で、キャプションでそれに触れていたが、どう書かれたのかは覚えていない。

 私が和泉校舎に通っていたのは、1965年とその翌年の2年間なので、そのどれかの号だ。私がメンズクラブを買ったのはその号だけだが、もちろんいまは残っていない。

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