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3月9日 『暗渠パラダイス!』と『贋の偶像』

  • 文明開化に馬券は舞う―日本競馬の誕生 (競馬の社会史)
  • 『文明開化に馬券は舞う―日本競馬の誕生 (競馬の社会史)』
    立川 健治
    世織書房
    8,800円(税込)
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 高山英男・吉村生『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版)を読んでいたら、141ページで手が止まった。なんなんだこれは!

 そこには1枚の写真が掲載されていて、次のようなキャプションが付けられていた。

「グライダーの試験飛行を板橋競馬場でおこなったときの絵はがきより。当時は今よりもずっとレースの開催頻度が低く、競馬場でさまざまな催しが行われた」

 この『暗渠パラダイス!』は、『暗渠マニアック!』(柏書房)に続く共著で、競馬場と暗渠の関係はその中の一つである。板橋競馬場の写真(いや、実際には絵はがきだが)で手が止まったのは、ずっと板橋競馬場が気になっていたからだ。

 現在の板橋区栄町を中心にしたあたりにあった(明治41年〜43年)板橋競馬場の場所は、私の生家に近いのである。そんなところに競馬場があったなんて信じられない。矢野吉彦『競馬と鉄道』に「板橋競馬」の広告が載っていて、「王子駅より人車20分」「板橋駅より人車10分」とあり、東武東上線の大山駅から近いのに、どうしてそんな遠方から人力車に乗るんだろうと思ったが、考えてみればまだ東武東上線が開通していなかったころである。ちなみに板橋競馬場は、明治41年〜43年と先に書いたけれど、実際に競馬が行われたのは明治41年だけで、しかも全部で11日間だけである。

 この「板橋競馬場」については資料がほとんどなく、写真を見たこともない。と、「サンスポZBAT!」に書いたら、それを読んだ立川健治氏(『文明開化に馬券は舞う』(世織書房)で馬事文化賞を受賞)が、資料をどさっと送ってくれた。それがあまりに膨大な量であったので全部読み終えるのには時間がかかりそうだが、その中に1枚の写真があった。中央新聞に掲載されたスタンドの写真で、それが唯一の板橋競馬場の写真だという。新聞に載った写真のコピーなので、残念ながら見にくいが、「唯一」なのだから大変に貴重な資料といっていい。

 そういうときに、この『暗渠パラダイス!』に掲載された絵はがきを見たのである。写真ではなく、絵はがきという点は残念だが、それでも往時を偲ぶよすがにはなる。

 立川健治氏の資料で、えっと驚いたのは、板橋競馬を主催したジョッケー倶楽部の理事長が長田秋濤という人間で、その評伝小説が中村光夫『贋の偶像』だという記述であった。なにそれ?

『贋の偶像』は1967年に野間文芸賞を受賞した作品だが、長田秋濤は明治の忘れられた文学者で、中村光夫はこの作品でその長田秋濤にスポットライトを浴びせたのである。

 関係ない話だが、実は私、中村光夫の授業を受けたことがある。中村光夫は明治大学で教えていたのだが、あるとき大教室の授業のとき、後ろの学生が「聞こえません」と大声で言ったら、「前に来い!」と怒ったことがあった。中村光夫はいつもぼそぼそと喋るので、たしかに後ろの席では聞こえにくかったろう。私はそれを知っていたのでいつも前のほうの席にいたのだが。当時の明治大学には、平野謙と本多秋伍もいた。高橋和己も短い間だが、私が在学中に明治で教えていたことがある。私は平野謙が好きであったので、卒論のゼミは平野謙を選んだ。閑話休題。

『贋の偶像』を読んでも、長田秋濤と競馬の繋がりは確認できなかった。フランスに留学しているときに、上流社会の集会場であった競馬場に出入りしていたこと。馬を2頭持っていたと新聞に書かれていること。板橋競馬が開催した明治41年には、文学者(あるいは政治家)としてのピークは過ぎていたこと。食えなくなって関西に移住したこと−−などを確認するだけであった。

 当時の新聞には、板橋競馬にはなぜか婦人の姿が多く、その中にはジョッケー倶楽部の理事長の愛人もいるのではないかとの噂を紹介されているが、長田秋濤はそちら方面にも活発であったようなので、なるほどと思ったりもする。いや本当にその理事長が長田秋濤のことなのかどうかはわからない。『贋の偶像』ではその時期、長田秋濤は関西にいたようなので、開催のときだけ上京したのか、それとも理事長職は名前を貸しただけなのか、詳細は不明。

 これ以上のことは私にはわからない。立川健治氏はただいま『文明開化に馬券は舞う』の続編をまとめているようで(その「馬券黙許時代の競馬」は2巻になるようだが)、それが完成すれば、もっと詳しいこともわかるに違いない。上梓は来年だという。おお、それまで元気でいたい。

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