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6月5日(金)「団徳市」とは何か?

  • 麻雀放浪記(二) 風雲編 (角川文庫 緑 459-52)
  • 『麻雀放浪記(二) 風雲編 (角川文庫 緑 459-52)』
    阿佐田 哲也
    KADOKAWA
    704円(税込)
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 ただいま小学館より、『色川武大・阿佐田哲也電子全集』(全23巻)が配信中である(毎月第四金曜日に配信)。これは、色川武大・阿佐田哲也の全作品、エッセイはもちろんのこと、生原稿や構想メモ、プライベート写真などの貴重な付録も掲載したもので、「生誕90年、没後30年記念企画」と銘打たれている。

 2020年6月末に配信されるのが第15巻であるから、もう半分以上が配信ずみ。私は阿佐田哲也の巻の解説12本を担当していて、その担当分はあと5本でようやく終了することとなる。たぶんその関係と思われるが、数カ月前に知人からメールがきた。

『麻雀放浪記 風雲編』に「団徳市」という言葉が出てくるのですが、これは何と読むんでしょうか──とのメールである。知り合いにそう質問され、いくら調べてもわからないので私にまわってきたようだ。

 団徳市? なんだろう。まず、現物を確認しなければならない。風雲編のどのあたりに出てくる言葉なのかを尋ねると、角川文庫版の180ページに出てくるとのこと。そのくだりを引く。

「お前のことなど訊いてへん。この団徳市をどうさせる気ィなのか、訊いてるのや」

 もう少し説明しなければわかりにくいかもしれない。

『麻雀放浪記 風雲編』は、坊や哲の関西放浪編である。時代は昭和26年。したがって昭和37年まで存在していた大阪中央競輪場が出てくる。いまは長居陸上競技場になっているところに、競輪場があったのである。

 身ぐるみはがれた「ぎっちょ」がこの競輪場にやってきて、知り合いに偽情報を教えている現場を「ほくろ」に目撃される。「教えろよ、情報やろ」と迫られ、口からでまかせのグーパツ(贋八百長)なんやと言いだせず、締め切りのベルが鳴ったのでそれならとその偽情報を教えると、ノミ屋で買ってくると「ほくろ」は駆けだしていく。先に引用した部分は、レースが終わってから、「おのれは、どんな恨みがあって、グーパツかませるんや」と「ほくろ」から迫られる場面なのだ。

 普通に考えれば、その「ほくろ」の本名が「団徳市」と読むことが出来る。阿佐田哲也の小説では、本名で呼ばれることが少なく、この「風雲編」でも、クソ丸、タンクロウ、ニッカボッカと、次々に出てくるが、ステテコが小道岩吉で、ぎっちょが西村と本名で呼ばれるケースはあるものの、これは例外の部類。本名が呼ばれないまま、場面が終わると物語の表舞台から消えていくことが少なくない。

 しかし、質問の主に「人名ではないようです」と言われると、そんな気もしてくるし、競輪場の場面なので競輪に関する隠語なのかも、との気もしてくる。

 で、知り合いにいろいろ聞いたりしたのだが、結局わからなかった。戦前に、団徳麿という芸人がいたようなので、その人物に関することなのかも、と教えてくれた人もいたが、たとえそうだとしてもその意味がわからない。

 いったい何の話を書いているのかと言われそうだが、この機会に「風雲編」をまた読んだのである。これが何回目なのかわからないほど読んできたが、何度読んでも阿佐田哲也は面白い。

「風雲編」は特に、坊や哲がヒロポン中毒で街をふらふら歩いているシーンから始まる長編で、どうしたんだ坊や哲、と思っていると次々に個性豊かな人物が立ち現れて、物語にどんどん引きずりこまれていく。

 阿佐田哲也は永遠に不滅である、と申し上げたいのである。

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