【今週はこれを読め! SF編】解放されたパンドラ、温かい憧れと衝動的な飢え

文=牧眞司

  • パンドラの少女
  • 『パンドラの少女』
    M・R・ケアリー,茂木 健
    東京創元社
    3,458円(税込)
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 人類を脅かす異形のものに、異形の力を備えながらなおも人間性を失っていない存在(いわばハイブリッド)が立ちむかう。こんにちではホラー小説のサブジャンルをなすほどの定型になっているが、この設定を最初に用いた作品はなんだろう? 定型になるのはそれだけ魅力があるからだ。ひとことでいえば「聖/邪」もしくは「貴/穢」の葛藤である。『パンドラの少女』の主人公メラニーも、この両義性を一身に担っている。

 罹患した人間を〈飢えた奴ら(ハングリーズ)〉に変えてしまう奇病はまたたくまに世界中に蔓延し、人類の文明と秩序は二十年ほどですっかり崩壊してしまった。〈飢えた奴ら〉は知性のない生ける屍であり、人間を襲っては食い殺す。しかし、奇病にかかりながらも知性を失わずにいる子供たちが発見される。彼らは研究材料として、ロンドンの北三十マイルにある陸軍基地のなかの〈ブロック〉に集められた。それぞれ独房に閉じこめられ、授業のときだけ鉄製の車椅子に固定されて教室へ連れていかれる。さまざまな科目を教えられ毎日テストがおこなわれるが、もちろん教育のためではない。反応や発達を観察しているのだ。

 十歳のメラニーは子供たちのなかでとびきり頭が良かった。彼女は両親を知らない。おそらく〈飢えた奴ら〉に食われたか、自身が〈飢えた奴ら〉になったのだろう。彼女が大切に思うのは教師のひとりミス・ジャスティノーだけだ。ミス・ジャスティノーはお話をしてくれる。メラニーはグリム童話や『くまのプーさん』が好きだし、自分で物語をつくったりもする。たとえばこんなふう。ひとりの特別な少女(彼女はパンドラとおなじように神々に創造された)が、怪物に襲われている美しい女のひとを助ける。女のひとは少女を抱きしめ「これからずっと一緒にいましょう。わたしはぜったいにあなたを放しません」と言う。

 メラニーはその物語に、自分とミス・ジャスティノーを投影している。パンドラを喩えにしたのはメラニーなりの共感だ。かつてミス・ジャスティノーがギリシャ神話を聞かせてくれたとき、メラニーは思った。すべての災いを入れた匣を開けたことで、パンドラが咎められるのは間違っている。だって、神様はパンドラを好奇心の強い女性につくったんだもの。彼女が匣を開けるのはあたりまえだ。

 面白いのはメラニーが好奇心旺盛な聡明な少女というだけではなく、奇病によって〈飢えた奴ら〉と同等の力を持ち、恐ろしい本能をも秘めている点だ。基地にいる人間(兵士、教師、研究者)は子供たちを刺激しないように、つねに体臭を覆う薬品をつけているが、ときに意地悪な兵士がわざと体臭をあらわにして(腕についた薬品を唾でこすりおとすだけでもじゅうぶんだ)からかう。人間の匂いは嗅ぐと頭がくらくらしてしまい、顎が勝手に動きはじめる。しかし、車椅子に縛りつけられているので、噛みつくことはできない。それは理性で制御できない本能であり、リビドーと呼べそうな官能性を帯びている。メラニーは物語を通じて、この欲求と向きあっていかなければならない。スティーヴン・キング『ファイアスターター』----むしろ同作にインスパイアされて書かれた宮部みゆき「燔祭」のほうがより近いかもしれない----の発火能力をもっと衝動的にした感じだ。

『パンドラの少女』の原題はThe Girl with All the Gifts。〈あらゆる贈りものを受けとった娘〉とは、ギリシャの神々に祝福されたパンドラをさしている。もっとも本書のヒロインであるメラニーは物語の開幕時点では匣を開けるどころか、陸軍の〈ブロック〉という匣のなかに閉じこめられていた。そして厄災は匣のなかから出るのではなく、匣の外から押しよせてくる。〈廃品漁り(ジャンカーズ)〉と呼ばれる無頼集団が、略奪を目的として基地を襲ったのだ。しかも、防衛線突破の手段として〈飢えた奴ら〉の大群を誘導するという非道な作戦である。

 地獄と化した基地から脱出できたのは、メラニー、ミス・ジャスティノー、パークス軍曹、ギャラガー一等兵、そして研究者のキャロライン・コードウェルの、わずか五人。彼らは、イギリスの臨時首都となっている城塞都市(南イングランド沿岸のビーコン)へと向かう。警戒すべきは、途中の無法地帯に出没する〈飢えた奴ら〉や〈廃品漁り〉ばかりではない。いちばんの不安要素はメラニーだ。彼女の能力は一行が生きのびるために有用だが、その飢えが身近な人間へ向けられない保証はない(メラニー自身ですらそう思っている)。

 物語はメラニーとミス・ジャスティノーとのふれあいを軸にして、いくつもの危機と人間模様が絡んでくる。ほとんどエンターテインメントの王道的展開で安定感があるともいえるし、逆に新鮮味がないともいえるのだけど、そのなかでひときわ目を引くのがドクター・コードウェルの冷徹な研究者根性だ。彼女にとってメラニーは格好の研究対象でしかない。すでに奇病が〈飢えた奴ら〉を生みだす機構は解明できている。病原体は突然変異した冬虫夏草属のキノコで、菌糸が宿主の体内に入りこみ神経システムをゆっくりと蝕んでいく。脳では摂食反射が起こり、宿主は人間の肉を食らって体内のキノコを増殖させる。では、なぜメラニーをはじめとする子供たちは、キノコが体内にあるのに自我を保っていられるのか?

 皮肉なことに、基地から追われ外の世界を放浪したことで〈飢えた奴ら〉の行動やキノコの生態についての、これまでになかった観察が得られた。また偶然にも遺棄されていた研究設備を見つけ、より精度の高い実験ができた。それが説得力のある理論へと結実する。いまやコードウェルが望むのはただひとつ、高名な学者たちを一堂に集めて自分の発見を発表することだ。しかし、この滅びゆく世界でそれは夢物語にすぎない。

 ここに一緒にいるなかでコードウェルの話をまがりなりにも把握できるのは、聡明な少女メラニーだけだ。さすがに子細にわたる理解はできないが、関心を持って耳を傾け要所要所で的確な質問をしてくる。研究対象でしかなかった相手が、いまや唯一の聴講生だ。

 研究者としての発見と名声ばかりを望んでいるコードウェルに対して、メラニーは得た知識によって状況を動かしていく。彼女の好奇心は行動のひきがねなのだ。彼女はかつて基地の教室にいたときにつくった「少女と女のひと」の物語を、実際に生きようとする。それは彼女とミス・ジャスティノーの人生だけではなく、人類史そのものを塗り替える選択だった。結末が鮮烈だ。

(牧眞司)

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