【今週はこれを読め! SF編】ヴァーチャルな恋情とリアルな性愛を問う野心作

文=牧眞司

 フィリップ・ホセ・ファーマー『恋人たち』や沼正三『家畜人ヤプー』など、架空の設定を大胆に用いてタブーブレーキングなテーマ展開や表現力を獲得したSFがある。その系譜に新しいタイトルが加わった。もっとも、『プラスチックの恋人』の場合、タブーブレーキングというより、コントラヴァーシャル(論争を喚起する)といったほうが正しいかもしれない。

 物語の中心にあるのは、性暴力をも含む児童性愛である。ただし、そこには直接の被害者はいない。

 ここで俎上にあがるさまざまな論点は、いまの日本社会でさかんに取り沙汰されている二次元児童ポルノとまったく同型だ。

 舞台は近未来の日本。拡張現実の発展と人工意識の実現によって、セックス用アンドロイドが実用化されている。それらはオルタマシンと呼ばれた。一体が非常に高価のため、個人で購入されることはほぼなく、たいていは認可を受けたセンターでサービスを提供している。そこまでは、いまある性風俗特殊営業をもっと合理化・合法化したものと考えてよかろう。男性だけではなく女性も普通に利用する、新しいカルチャー/ビジネスとして世界的に普及している。

 ちなみに、この近未来の日本にも売春防止法はある。しかし、オルタマシンによる金銭授受をともなう性的サービスは、売春防止法に抵触しないというのが法曹界の見解だ。オルタマシンには人権はない。また、意識はあるがその機構が人間とはまったく異なるため、いかなる性行為(たとえそれが暴力的・屈辱的なものであっても)も心的外傷にはならない。身体的毀損を受けても修理ができ、加害者は物破損による賠償が請求されるだけですんでしまう。

 しかし、児童型の「マイナー・オルタマシン」が開発されたことで、世論は大きく揺らぐ。もとより日本以外の先進国では児童の性的な絵そのものが法律違反なので、その三次元版であるマイナー・オルタマシンは論外だった。

 日本ではどうかというと......。この先の議論は、さすが山本弘作品だけあって、詳細な検討が加えられている。法曹界の関係者の意見は「マイナー・オルタマシンやそのAR映像を違法とする法的根拠は存在しない」という線でほぼ一致する。しかし、法的判断だけで納得できないのが人間である。

 そのあたりの面倒さが、『プラスチックの恋人』という作品を駆動させる。山本さんが巧みなのは、視点人物にマイナー・オルタマシン賛成派でも反対派でもない、しかし理性的な判断力と感情面での共感性をバランスよく備えた人物を配置するところだ。フリージャーナリストの長谷部美里(はせべみさと)が、マイナー・オルタマシンの実態を取材するのである。友人の編集者、伊月藤火(いつきとうか)は美里の実力を見こんでおり、訴求力がある記事を目ざすなら、自分自身でもマイナー・オルタマシンを体験すべきだと強く主張する。

 美里も自分のキャリアに行き詰まりを感じており、私生活も砂を噛むような日々だったという事情も手伝って、思い切って藤火の勧めに従う。彼女は川崎のマイナー・オルタマシン施設に赴き、そこで出逢ったのが少年型のミーフだった。彼の存在は、美里の価値観を根底から揺るがす。彼女はミーフがアンドロイドと知りながら、恋に落ちていく自分を抑えられない。

『プラスチックの恋人』が面白いのは、マイナー・オルタマシンをビジネス化した実業家、小酒井讓(こさかいゆずる)はきわめて紳士的で理性的な人物であり、経営者というよりイノベーションに対するロマンティシズムを行動原理とする人物だという点。いっぽう、マイナー・オルタマシン廃絶を唱える反対派の中心、ハンドルネーム「黒マカロン」という人物もきわめて知的で、感情的な反対運動をするのではなく、穏やかに世論を味方につけていく方法を採っている。そして、語り手の美里もミーフに対する恋情に振りまわされつつ、ジャーナリストとしての本分を見失わず冷静に、小酒井にも黒マカロンにも取材をおこなう。

 メインとなるプレイヤーがプラクティカルな次元においては全員が理性的なのに、動機の部分でけっして折りあうことのない感情を抱えている。その感情を、大きく振幅させる装置としてマイナー・オルタマシンというガジェットが機能しているのだ。それ自体は魂も、人間的な意味での感情も持たない、ただのマシンが。

 読者の立場や考えはそれぞれだろうが、この作品を読んだら、かならず何かを言いたくなる。山本さんは自分の意見を表明するために『プラスチックの恋人』を書いたのではなく、読者に思考実験(いや、むしろ感情実験?)の場を提供しているのである。

(牧眞司)

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