【今週はこれを読め! SF編】食べ飽きない語り口の妙、滋味ゆたかな物語

文=牧眞司

  • 厨師、怪しい鍋と旅をする
  • 『厨師、怪しい鍋と旅をする』
    勝山 海百合
    東京創元社
    1,944円(税込)
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 清朝の中国江南地方を舞台とした美食ファンタジイ。食の描写は、性愛や感情の描写と同様、ごてごてと修辞を盛ればよいというものではなく、細部を際立たせようとすれば全体がぼやけてだいなしになる。勝山海百合はそこらへんが絶妙なのだ。

 主人公の斉鎌(せいれん)は、優れた料理人を輩出する斉家村(せいかそん)の出で、鍋ひとつを背負い、村に伝わる家宝の包丁を携えて、あてのない旅をしている。鍋は長年使いこまれたおかげで何を調理しても素晴らしい味になる。水を煮るだけで、おいしい出汁がとれるほどでまことに重宝なのだが、取り扱いにはくれぐれも注意しなければならない。しばらく使わずにおくと、鍋が腹を空かせて、人や動物を襲うのだ。

 こんな剣呑な鍋を手に入れたせいで、斉鎌は村にいられなくなった。村を追われるとき、料理人の親方がせめてもの加護として持たせてくれたのが、村に伝わる家宝の包丁である。魔や禍を払うとされている。

 この設定ならば、行く先々で魔力を発揮する鍋に振りまわされつつ、包丁の霊力でどうにか抑えこんで、冒険を繰り広げる斉鎌の物語になる----というのが常道だが、そういう派手な展開はほとんどない。鍋と包丁の出番はあるにはあるが、あくまで隠し味程度にすぎず、斉鎌もそれぞれのエピソードでは通りすがりだったり、ただ巻きこまれただけだったりの場合が多い。彼の旅の目的は「鍋を本来の持ち主に返す」ことであり、バラバラに語られていた各エピソードも、そこに向かって終盤、ゆったりと結びついていく。

 その悠々たる筆運びは、勝山さんの器量だ。これ見よがしに山場をつくったり、強烈な内容・描写を投入するわけでもないのだが、読者は先へ先へと読みたくなる。

 料理に喩えれば、いっけんありふれたメニューで、特別な材料や特別な調理法をしているわけでもないのに、塩加減の絶妙さで他の料理人では出せない素晴らしい味に仕上げている。あっさりとしているが、滋味豊かで、食べ飽きることがない。

 なかでもぼくが好きなのは「鳳嘴苑(ほうしえん)」のエピソードだ。物語の中心にいるのは、鳥を愛する琳泳(りんえい)という娘だ。彼女は「どこかに縁づくまで」と、役人である藩崖隣(はんがいりん)の家に預けられており、藩崖隣自慢の鳥房の世話をして暮らしている。鳥を眺めるのが彼女の生き甲斐だ。鳥房には、さまざまな珍しい鳥がいる。

 あるとき、鳥売りが藩崖隣の元へ禁制の鳥を持ちこんだ。なんでも、年に一度、地に空いた深い穴の底が空いて、鳥が飛び出す。宮廷から派遣された鳥獲りはその日を待って、必死に鳥を捕まえようとするのだが、捕まるのはせいぜい二、三羽だという。鳥売りは、そのうち一羽をかすめるようにして手に入れたのだ。藩崖隣は鳥を買いとり、羽毛の青磁色にちなんで「雨過」と名づけた。雨過はおとなしい鳥だが、ほかの鳥たちはなぜか近寄ろうとしない。嫌っているというより、畏れているふうだ。

 斉鎌はそのとき、藩崖隣の屋敷に臨時雇いの料理人として雇われていた。琳泳と斉鎌は話をするようになり、ちょっとした心のふれあいもある。しかし、鳥を友だちのように考えている琳泳と、食材としての鳥を扱っている斉鎌とでは、根本的なところですれ違いがある。

 物語は、それまで啼かなかった雨過が啼いたところで、急展開を迎える。番(つが)いの時期がきたかと琳泳や斉鎌が思っているところに、宮廷から遣いが訪れ、禁制の鳥だからといって有無を言わさず雨過を没収していくのだ。


 地面には雨過の羽根が一枚残っていた。琳泳はそれを拾って目の前にかざして見て、独り言のように言った。
「美しい青だが、雨過の身に添うていたときほど鮮やかでない......」


 それだけの話である。雨過の羽の色が余韻としていつまでも尾を引く。

 雨過と琳泳はこの作品の終盤部でふたたび登場するのだが、「鳳嘴苑」は独立した物語として、じゅうぶんな興趣を備えている。神秘的な雨過もさることながら、琳泳自身がはかない小鳥のような存在感で描かれているのが印象的だ。

 もうひとつ好きなエピソードをあげるなら、「孫氏令嬢誘拐事件」だろうか。竹林のなかで休んでいた斉鎌が、妙な事件に巻きこまれる。すぐそばで、ふたりの男が籠を取りあって刃傷沙汰になったのだ。斉鎌が隠れて見ていると、相打ちで両方死んでしまう。恐るおそる籠のなかを覗くと、幼い子どもがいた。

 その子は堂々たる様子で、「そのほう何者かは知らぬが、礼を申す」と言う。

 放っておくわけにもいかず、斉鎌は子どもに黒糖と胡桃を食べさせた。「美味いものだ......」と呟いたかと思うと、その子は籠のなかにあった抱き人形を左手で抱え、右手で斉鎌の手を掴む。「おんぶは?」

 礼儀正しいが尊大な子どもと、それを飄然と受け流す斉鎌のやりとりが、おもしろい。子ども(やがて令嬢だとわかるのだが)が、斉鎌を「名厨師だ」と讃える。理由を訊ねると「黒糖と胡桃、絶品である」。斉鎌はあんなものは料理と言わないと笑いだしてしまう。

 やがて、令嬢のゆくえを必死に捜索していた一行と出くわし、斉鎌は誘拐犯とみなされてしまう。どう弁解しても聞きいれられず、観念しかけていたとき、令嬢の鶴の一声で疑いが晴れる。

 斉鎌のお人好しぶりがわかるエピソードだが、ストーリーに大きな起伏があるわけではない。ここで令嬢を助けたことが、のちのエピソード「黒糖と胡桃」で生きてくるのだが、「孫氏令嬢誘拐事件」はそのための伏線としてあるのではなく、それ自体として味わい深い一篇となっている。

 料理人の物語なので、随所に料理----粉を捏ねて発酵させて焼いた素朴な饅頭から、獣肉を一切使わず鵞鳥の炙り焼きそっくりな食感と味を実現した精進まで----が登場する。もちろん、その場面でその料理が登場する必然性があるわけだ。いくつかの料理については、解説で南條竹則さんが、その背景や周辺事情を紹介してくれている。

(牧眞司)

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