【今週はこれを読め! SF編】幻想への航海、宙づりのままに残る謎

文=牧眞司

  • メドゥーサ (ナイトランド叢書3-5)
  • 『メドゥーサ (ナイトランド叢書3-5)』
    E・H・ヴィシャック
    書苑新社
    2,484円(税込)
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 カール・エドワード・ワグナーが「LSDでぶっとんだメルヴィルが書いた『宝島』」と評した奇書である。ただし、表面的な筋を追うぶんには、ストレートな海洋幻想譚にすぎない。重要なのは、物語の向こう側にある何かだ。

 老境にさしかかった話者が残した手記を、識者が再構成したという仕立てになっている。これは怪奇小説のひとつの常套だが、その序文で「文学はたんに感覚的に味わうものではない。どう観賞するかは人格の本質である、多大な努力が必要だ。触れれば感じられる光を発することと言ってもいいかもしれない」と記されている。つまり、作者は読者に対し、その光を感じるように読んでくれと促しているのだ。

 物語の話者ウィリアム・ハーヴェルは、船長の息子として海の上で生まれた。幼いころの記憶は、船の左舷で誰かに抱きあげられながら眺めた、海面の大きな光だ。真珠貝の光沢のようにちらちらして青にも緑にも見えた。

 八歳のとき、父の船が難破し、両親もほかの乗組員も海の藻屑と消えた。乗船していたなかで生き残ったのは、ウィリアムひとりだった。祖父母に引き取られるが、祖父が怒りっぽく、少年期を怯えてすごすはめになる。祖父の死後(この死はウィリアムの過失による)、学校に送られるが、そこも抑圧的ですぐに逃げだしてしまう。

 森で出会ったオバディア・ムーンなる男の遣いで、手紙を届けたことが転機となる。届け先のミスター・ジョン・ハクスタブルが親切な人物で、ウィリアムは彼の誘いで一緒に暮らす決心をする。ミスター・ハクスタブルは幼い息子を捜すため、船で旅発つのだとも言う。船着き場にいくと、いわくありげな乗組員たちが出航の準備をしていた。そのなかにはオバディア・ムーンもいる。

 航海は最初から不穏な空気が漂った。船内に幽霊が出るという噂。酒でむくんだ顔を寄せて、下品なちょっかいをかけてくる水夫たち。食事に魚が不足していると怒鳴り散らすオバディア。陰鬱な海上の激しい風雨。一転して凪になると、うだるような暑さが襲ってくる。そんな航海のなか、ミスター・ハクスタブルの身の上が明かされる。彼はかつて妻子を伴って中国へ向かう途中、海賊に船を拿捕された。命は助かったものの、子どもを人質に取られ大金を要求された。英国への帰路、心痛のあまり妻が亡くなり、ミスター・ハクスタブルはどうにか金を工面して、いま、こうして海賊が指定した場所へ向かう途中なのだ。オバディアは海賊がよこした手先だった。

 インド海域で、目ざす海賊船が見つかる。あとは身代金と人質の交換だが、どうも相手の船の様子がおかしい。ボートを出して海賊船に乗りこんでみると、完全に無人になっていた。しかし、ひとわたり船内を確認したのち、ふたたび大船室に戻ってみると、無人だった場所に忽然と、奇妙な風体の小男がオークの椅子に座っているではないか。小男は話しかけても答えず、ビーズに糸を通す動作をひたすら繰り返している。

 このあたりから怪奇のアクセルが全開となる。ウィリアムが目撃した手脚に水かきのある毛むくじゃらの黒い怪物。海賊船に残された博物学者の手記にあった、壁を透過する緑色の光。おなじく手記に記述された、岩の柱の謎。

 そして、航海士ミスター・ファルコナー(彼は奇怪な船首像を備えた船の模型をこつこつと作りつづけている陰気な男である)が語った、遙か昔にセイロン島の南にあった島の高貴な住民の運命。彼らは高次元の視覚を有していたが、ときが経つうちに純粋な魂の性格が変質し、自己が物質的な肉体に収束し、小集団に分かれて争いあって滅びた。

 物語はこの後、ウィリアムたちが乗っている船が壁を透過する暗い光に晒され、夢の中の恐怖に襲われる。このくだりの描写が、「LSDでぶっとんだ」と表現されるクライマックスだ。

 全体を通して、小説の構造はむしろ単純である。少年期の回想があり、冒険があり、怪奇現象が描かれ、魂と肉体に関する哲学が登場人物の言葉で語られる。しかし、解説の植草昌実さんが指摘なさっているように、この作品の妙味は語られていない部分にこそある。海賊船にひとり残っていた小男の背景、狷介なファルコナー航海士の身の上、ミスター・ハクスタブルの息子の運命。ミスター・ハクスタブルは、息子とウィリアムがよく似ていると言う。「おまえが此の世であの子に会っていたとしても不思議ではない」とも。それはたんなる感傷だろうか? 祖父に抑圧されて育ったウィリアムと、海賊の人質になって行方しれずのミスター・ハクスタブルの息子。ふたりが対置されているのは、運命的な力によるものか? 滅びた高貴な島のエピソードとの関わりは?

 物語は完結していても、小説としては空白が多く、読者おのおの、そうあったかもしれない『メドゥーサ』の完成形を夢想せざるを得ない。

(牧眞司)

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