【今週はこれを読め! エンタメ編】多彩なふたり暮らしアンソロジー『この部屋で君と』

文=松井ゆかり

  • この部屋で君と (新潮文庫nex)
  • 『この部屋で君と (新潮文庫nex)』
    リョウ, 朝井,オサム, 越谷,トリコ, 吉川,司, 坂木,鶏, 似鳥,圭, 徳永,千砂, 飛鳥井,延, 三上
    新潮社
    1,510円(税込)
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 ふたり暮らしの経験は、夫と結婚して長男が生まれるまでの2年半ほどだ。それまでは実家で暮らしていたし、長男出産後は次男三男と順調に頭数が増えていまや5人家族。未婚の時分にはひとり暮らしをしてみたいという気持ちもあったが、今となってはその希望が叶うとしたら"離婚してひとりで家を出る"だの"息子たちが独立した後夫に先立たれる"だのといった、はなはだ暗澹たる展開にしかならないことに気づく。と考えると、穏便さを望むとすれば"老後再び夫とのふたり暮らしに戻る"レベルの変化がせいぜいということだ。

 しかしながら、このかわいらしいカバー絵のアンソロジーは、高齢者の生活にすぐ役立つ知識を与えてくれるといった類いの本では当然ない。本書に収められた短編には、いずれもふたり暮らしをしている主人公が登場する。一口にふたり暮らしと言っても、こんなにさまざまなバリエーションがあるのかと驚かずにはいられない。結婚した若夫婦やルームシェアをしている友人同士といったベーシックな組み合わせから、出張先で短期間のホテル住まいをする会社の同僚(男同士。ちなみにツインではなくダブル)や、果ては「悪意のあるモノ」に狙われる社会人と彼を守ろうとする神様(?)まで、ひとりの作家の頭からではなかなか考えつかなそうな多彩さ。こういうごった煮感も、アンソロジーの魅力(その1)と言えるだろう。

 本書には8つの短編が収められているが、特に印象的だったのは越谷オサム「ジャンピングニー」と吉川トリコ「冷やし中華にマヨネーズ」。意外とよかった、という言い方はほんとうに失礼なのだが、これまであまりなじみのなかった著者の作品であったことも高評価の一因である。アンソロジーにおいて、複数の執筆者すべての作品を読んでいたり、ましてや全員のファンであったり、ということはなかなかないのではないだろうか。大ざっぱに見積もるなら私の場合は、"好きな作家6〜7割、あまりよく知らない(or読んだことがない)が気になっていた作家2〜3割、ほぼまったく知らない作家1割"くらいが手に取る目安。好きな作家のよさを再確認するという醍醐味は言うまでもないが、ついでのような軽い気持ちで読んだ作家の作品が思いがけず好みだったりするとうれしさが増幅する。これまたアンソロジーの魅力(その2)だ。

「ジャンピングニー」の"ふたり"は、駆け出しの漫画家・智美と芽が出るかどうかの正念場を迎えているプロレスラー・直人。プロレスについては無知に等しい私(おかげでプロレス関連の描写についてはほとんど意味がわからない)のような読者をも引きつけたのは、彼らの潔さだったと思う。「おれはこんなもんじゃない」「漫画で成功するのは、夢なんかじゃなくて目標」という言葉のなんとまぶしいことか。「冷やし中華にマヨネーズ」の方は、おそらく30代半ばのイラストレーター・ミーコと今年40歳になるバンドマン(というかアルバイト?)・尚紀の13年目の"ふたり"暮らしが描かれる。かなりあけすけというか決して品がいいとは言えない話運びなのはかまわないとしても、女にだらしのない尚紀のような男には本来まったく好感を持てない。それなのに心に残ったのは、主人公たちの年齢が比較的自分に近かったことと、ミーコがある老夫婦を目撃した場面が描かれていたことが大きかった。その老夫婦がどんな様子だったかは、ぜひ読んで確かめていただきたい。しみじみと味わい深い場面である。

 もちろん、その他の短編も粒揃い。比較的若手の注目作家をよくぞこれだけ集めたものだと感心させられた(本書は新潮文庫nexの創刊ラインナップだが、力の入れ具合が偲ばれる)。本好き同士で読んで、どれが好みかを語り合えたりするのもアンソロジーの魅力(その3)。ぜひさまざまなテーマで、第2弾以降も継続してもらいたい企画である。

(松井ゆかり)

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