【今週はこれを読め! エンタメ編】戦争の中で生きる人々を描く 須賀しのぶ『また、桜の国で』
文=松井ゆかり
芸術の冬(←開き直った)! "音楽本スペシャル"第5回(いったん最終回)をお届けします(第1〜4回につきましては、10月26日・11月9日・11月30日・12月8日更新のバックナンバーをお読みになってみてください)。
音楽本といっても、本書は全編を通して音楽のことが細かく書かれているような話ではない。もちろん、1830年十一月蜂起の翌年にワルシャワが制圧されたときパリにいて反乱に参加できずに苛立ち敗北感にうちひしがれたショパンが書き上げた傑作、すなわち『革命のエチュード』は重要な役割を担っている。しかしこの小説で描かれるのは、戦争の中で人間がいかに生きるかということだ。
1938年秋、棚倉慎はポーランド・ワルシャワにある日本大使館に書記生として着任した。物語の幕開けは慎が乗り込んだワルシャワ行きの電車のコンパートメントにて。同室になったユダヤ人に我慢できないと騒ぎ立てるドイツ人医師のコンパートメントから、カメラマンのヤン・フリードマンを連れ出す。ヤンと医師は酔った勢いもあって領土問題で言い争いになったという。もちろん、領土問題は往々にして人種問題と分かちがたい。実は慎はロシア人の父と日本人の母を持つ混血児。生まれたときから日本に住んでいてもそのロシア系の容貌から日本人ではないと言われ、さりとてロシア人であるという明確な意識も持てないまま生きてきた。ヤンを見て心が動かなかったはずはない。ヤンとの会話の中で、慎はポーランドへの特別な思いを語る。それは幼い頃に一度だけ会ったシベリア孤児の少年の記憶と結びついていた...。
この本を読むまで全然知らなかったことだが(歴史の授業で習った覚えもまったくない)、慎が9歳だった1920年頃、日本でポーランド・ブームが起きたのだそうだ。このシベリア孤児というのはポーランド人の子どもたちだった。革命と内乱で親を失った戦災孤児たちに手をさしのべたのは日本だけだったという。少年の日に出会った少年・カミルとの思い出は、慎の心にポーランドへ行ってみたいという憧れを育てた。父・セルゲイが日本を離れる慎に贈った「おまえがポーランドから見る世界は過酷かもしれないがきっと美しい」という言葉も、その気持ちを後押ししたことだろう。
しかし、慎がポーランドから見た世界は、美しくもあれどほんとうに過酷だった。否応なく戦争に巻き込まれ、他国の裏切りに遭い、さらには国内でも人々の心が荒んでいくポーランドの実情を見せつけられる。ヤンをはじめ、シベリア孤児だった大使館員のマジェナ、同じくシベリア孤児で彼らが組織した『極東青年会』の会長であるイエジ、シカゴプレスの記者のレイ、そして彼が思いを寄せるユダヤ人女性のハンナら、それぞれがそれぞれの敵と戦った。それはドイツ軍であり、自分の内に潜む差別意識であり、重圧に負けそうな心である。そしてもちろん慎も戦わずにはいられなかった。日本とロシアの血が流れる彼を突き動かしたものは何だったのか、ぜひ読んで確かめていただきたい。
今年は戦後71年、戦争を知る高齢者の数はどんどん少なくなっていく。若い世代が戦争体験者の生の声を聞く機会も同じく減っていく。しかし、実際に経験していないのだから戦争について知らなくてもしかたないというスタンスのままでいいとは思えない。戦争を美化することなく、現在の自分たちに何ができるかを考えるのは、平和な世の中にあっても必要なことではないだろうか。ポーランドのために戦うことを決めた慎が、気持ちが高揚するままに火炎瓶を投げたり銃がほしいと思ったりする描写は、戦場での心の動きとしてはしかたのないことかもしれないとは思いつつも恐ろしさを感じた。虐げられ続けたポーランド国民に寄り添った慎は立派だ。それでももし次に同じような悲劇が起こりそうになったら、戦争という手段をとることなく和解できるように、殺し合いで解決すればいいなどと短絡的に考えないように、我々は常に冷静さを保ち続けなければならないと思う。ショパンの『革命のエチュード』を聴くときには、『また、桜の国で』を読むときには、戦いを賛美しながらではなく、二度と戦争を繰り返さないという気持ちを新たにしよう。
著者の須賀しのぶ氏は、現代にあって小説を通して戦争と向き合おうとされている得難い作家。『紺碧の果てを見よ』(新潮社)や『神の棘 I・II』(新潮文庫)など日本国内国外を舞台に、戦争の悲惨さと人々の悲しみを描いた他の作品もぜひ(あ、でも個人的には野球ものの作品も好きです、はい。『雲は湧き、光あふれて』の表題作は第二次大戦下の高校野球物語なので、こちらもぜひぜひ)。
(松井ゆかり)