【今週はこれを読め! エンタメ編】胸を打つ映画会社の同期会〜古内一絵『キネマトグラフィカ』

文=松井ゆかり

 2018年現在、映画館で映画を上映する際のしくみがどうなっているのか正確には理解していないが(いや、昔もできていなかったが)、映写機が使われることがほとんどなくなったことは知っている。また、映画館の多くがシネマコンプレックス形式になっていること、名画座の数がどんどん減っていること等々、映画を取り巻く状況は昭和の時代からするとだいぶ変わった。

 本書における主要人物は、平成元年に銀都活劇の新入社員だった6人。銀都活劇(通称・銀活)は、戦後の日本映画黄金期を支えた"五社"と呼ばれる映画会社のひとつである。採用人数の少ない映画会社にあって、バブル景気のおかげで6人もの同期がいるという珍しい世代だ。今や全員が50代となった彼らが、群馬県桂田市に集まるところから物語は始まる。その日は、封切館として栄えた映画館・桂田オデオンが70年の歴史に終止符を打つ日だった。

 桂田オデオンの現在の支配人が、平成元年組のひとりである栄太郎。彼の発案で、桂田オデオンの最終日に合わせて同期会も開かれることになったのだ。"一般興行は終了するけれども上映設備は残して、イベント上映やフィルムコミッションに主軸を移すつもりだ"と同期たちに語る栄太郎には、地方文化人としての落ち着きが備わっている。抑鬱状態になって会社を辞めたのだが、銀活時代の痛々しいほど神経質な様子はもはや見受けられない。そんな同期会に気乗りしなかったのは、現在制作部のプロデューサーである咲子だ。帰国子女かつ縁故採用ということで国際部で働くことになった麗羅以外の5人は、全員が最初の配属先は営業部。もうひとりの女子社員である留美は短大卒で、新卒採用ではなく欠員補充での採用である。咲子は"業界初の女セールス"ということで、彼女自身の意志とは関係なく注目を浴び続けた。もちろん好意的な視線ばかりではない。「だから女は...」と言われないように気を張り続けた頃の自分に会いたくないという思いから、咲子は同期会に来るのを渋っていたのだ。しかも、よりにもよって栄太郎が最終日の興行に選んだブログラムは、1950年代から60年代にかけて銀都活劇の大スターだった"蓮さま"こと橋口蓮之助の作品。それは、平成元年組にとっても忘れ得ぬ映画だった...。

 あらゆる年齢の読者の胸を打つ小説であるが、平成元年組と同世代の人間が読むと格別に感慨深い。ひとつには、体験してきた時代風俗が一緒な者同士にはそれでなくても連帯感が生まれがちであるうえ、登場する数々の映画のチョイスがそのたびに「懐かしい!」と声を上げずにいられないほどツボを押すものになっているということがある。私も封切当時に「ニュー・シネマ・パラダイス」を銀座にある単館系映画館の「シネスイッチ銀座」で観て、感動のあまり不二家のある交差点まで泣きながら歩き続けたことを思い出した(平成元年組にはいまいち受けがよくなかったような記述があるのは少々残念だけれども。ちなみに「シネスイッチ」から不二家までは300mくらいだろうか)。

 もうひとつ、同じ世代ならではと感じるのは、彼らが男女雇用機会均等法が施行されたばかりの頃に新卒だったことだ。これによって、特に女子は就職する際に大きな決断を迫られるケースが多くなった。現在女子の新卒採用がどのようになっているのか正確なところを知らないが(うちには息子しかいないし、いちばん上の子の就活もまだ本格的にはスタートしていない)、当時は入社試験・面接を受ける際に総合職(男子と同じ労働条件とされる)か一般職(総合職にくらべると責任は軽減された職種だが、その分給与も少ない)をあらかじめ選択することになっていた。咲子と麗羅は総合職だったが、短大卒の留美は一般職だ。本書でも描かれているように、働く女子にのみ課せられる重圧はいまだに多岐にわたっているであろうこと、またその大きさにため息をつかざるを得ない。男子は免除されているお茶くみ当番が回ってくるとかセクハラパワハラ的な扱いを受けるとかのあからさまなケースは多少減ってきているかもしれないが、結婚したらしたで家事の負担の大部分が妻にのしかかってきたり、出産などでキャリアの中断を余儀なくされたり、逆に"子育てをしながらこのような成果を上げている"と過剰に持ち上げられたりと、翻弄され続けている女子たちは多いことだろう。...と、ついつい自分の身に寄せて考えてしまうが、男子には男子の苦悩があることは重々承知している。入社以来営業部から異動することなく最も間近で映画興行界の移り変わりを観てきた和也にも、ルックスのよさと口のうまさだけで世の中を渡ってきたような学にも、悩んで眠れない夜があったに違いない。

 それでも。さまざまなものを手放し、周囲の理解を得られず、手にしたものがこれだけなのかと思うことがあっても、まだやれるはずだという気持ちがあるうちはほんとうの終わりではない。「ここが限界」と感じたところから、まだ先に行けるかもしれないと思わせてくれる小説に出会えてよかった。桂田オデオンは最終日を迎えても形を変えて続いていく。人間の一生が映画のようなものだとしたら、自分の人生は「なんか些細なことでごちゃごちゃ悩んだりしてたけど、まあよくがんばってたな」と思える内容だったらいいと思う。

 著者の古内一絵さんは1966年生まれだそうで、やはり自分と同世代の作家でいらしたかと思った。デビュー作の『快晴フライング』(第5回ポプラ社小説大賞特別賞受賞作)で中学の水泳部、その後も『風の向こうへ駆け抜けろ』(小学館文庫)シリーズで競馬、『痛みの道標』(小学館)では戦争とブラック企業を題材にするなど、幅広い作風の書き手。次はどのような作品を読ませていただけるか、楽しみにお待ちしております。

(松井ゆかり)

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