【今週はこれを読め! エンタメ編】かけがえのない家族と介護の物語『有村家のその日まで』

文=松井ゆかり

 私の母が亡くなったのは3年前の元日である。認知症が出始めてから5年ほどたったところで、さらにガンも発症していた。その前に父が亡くなったときは、くも膜下出血でほぼ突然死のようだったことと61歳という早過ぎる死に、ただただ呆然とするしかできなかった。もしあらかじめ病名を知ることができていたら。闘病中に家族の方も心の準備みたいなものができたのではないか。結論から言うと、死は死だった。もちろん人によって考え方は違うと思うが、私にとって母の死も父の場合と同様、あっけなく呆然とするばかりのものだった。

 本書は、有村家の母・仁子が死に向かうまでの日々を描いている(目次を見れば「亡き後」という章があるから、これはネタばらしには当たらないだろう)。仁子(69)と夫・照夫(71)の3人の子どもたちはいずれも独立して、すでに家を出ている。長男・優は寝具店勤務、長女・美香子は医師、次女・文子はイラストレーター。優は妻・真弓との間に里穂と悠斗のふたりの子どもがいて、美香子は夫・元行とひとり息子の浩太郎との3人暮らし、文子は独身だ。冒頭は、前日の美香子からの電話によって文子が母親の病気を知らされたことを思い返すシーン。だいたいの家族構成に加えて、娘たちが母親に対してどのような思いでいるかも、さりげなく読者に知らされる。

 仁子は、ムードメーカーでありトラブルメーカーであるという感じの母親で、照夫とは一度離婚した後に復縁している。離婚の原因は、たいていの人間なら躊躇するような口実でぽんと大枚をはたいてしまうという、仁子の金遣いの荒さ。友人知人に借金を頼まれたり、新興宗教に引っかかったり、要は簡単に相手を信じてだまされてしまうのだ。仁子については全編を通して、体調は少しずつ悪化していったが、こういった気の持ちようはほぼ揺るがなかったようである。私がすごいなと思ったのは、仁子の無防備さももちろんなのだが、家族たちの寛容さ(もしくはあきらめのよさ)だ。私の感覚はたぶん、仁子からみたら嫁に当たる真弓に近い(ここまで行動的かつ強気にはなれないが。でも、見過ごしてしまいそうだけど、真弓っていいお嫁さんだよなあ)。親が借金など作ろうものならどうしたって口を挟むだろうし、標準治療をやめて怪しげな代替治療に切り替えると言い出したらなんとか説得しようとしたと思う。そういう意味では、真弓以外はみな仁子の好きにさせようということで、一応納得している。それが彼らなりのやり方であり、照夫や息子娘たちが仁子のことを心から気にかけていることの表れなのだ。

 介護にまつわるもろもろのことは、きれいごとでは済まされない。日に日に弱り気難しくなっていく被介護者の行動や言動、介護保険や補助金をもってしても家計を圧迫する出費、ケアマネさんやヘルパーさんの手を借りても蓄積していく肉体的精神的な疲労といったものによって、家族は追い詰められる。ときどき「ある意味楽しく介護できました」「介護を通して自分も成長できました」といった前向きな意見を持っておられる人もいらして、ほんとうに立派だと思うものの自分ではとてもそんな風には考えられなかった。弟(実家住まいで母とふたり暮らしをしていた彼にくらべれば、私の苦労など何ほどでもなかったが)と私はどんどん話が通じなくなっていく母の希望を正確に汲み取ることは無理だと、ある段階からはあきらめていた。だから、この本を読むのは癒やしであると同時に傷をえぐられるような体験でもあったのである。有村家における、つらい中にも笑いのある日々。一般的な物語として読むなら温かみとユーモアに満ちた家族小説と捉えられるけれども、実体験と照らし合わせてみると後悔の念が心をよぎる。父のときはともかく、母に関しては元気なうちにもっといろいろ話をしておくこともできたのに。

 と、仁子とその病状まわりのことばかり書いてしまったが、それでは本書のよさの一面しか伝えられないかもしれないとも思っている。妻・母親の病気はもちろん一大事であるけれども、彼らの人生において仁子がすべてというわけにはいかない。仕事やそれぞれに築き上げた家族の存在もまたかけがえのないものだ。仁子を気にかけつつも、いずれ自分たちのもとから去っていくであろう伴侶あるいは保護者なしに自分の人生を歩んでいかなければならないことを、なんとか受け入れようとしている有村家の人々には勇気づけられる。彼らとて、自分たちのやり方(仁子をもっと説得できたのではないかとか、もっと親身になれたのではないかとか)に絶対の自信を持っていたわけでもないだろう。実家の家族そして自分の家族を大切に思う気持ちがあれば、多少間違っても許されるものだ。その安心感がどれだけ人間を楽にさせてくれることか。仁子との思い出を胸に、今度は自分の人生やそれぞれの家族との生活をいままで以上に大事にしていくに違いない。美香子の終末医療に携わる医師としてのエピソードも、同じく死を間近にした患者たちとその家族に関する内容だけに、胸に迫る。

 そしてそして、「そうだったのか!」と驚かされたのが、仁子のモデルが著者ご自身のおかあさまだということ。「小説宝石」12月号に寄せられたエッセイにもそのあたりのことが書かれていて、なんというか感慨深いものが。おかあさまのご逝去は昨年の夏だということで、尾さんの喪失感はいまだ新しいものかと思います。『有村家のその日まで』は、家族の形にはひとつとして同じものはないということを改めて教えてくれました。それでもこの小説によって、尾﨑さんや私のように近しい身内を亡くされた方も、いつの日かやってくる別れの日なんてまだ想像もできないという方も、「家族ってやっかいなときもあるけど、やっぱり大切なもんだな」という気持ちを分かち合うことができるような気がします。今日は私もボビー・マクファーリンの"Don't Worry, Be Happy"を聴きながら、夜空を見上げて母と父に話しかけてみようかな。

(松井ゆかり)

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