作家の読書道 第99回:冲方丁さん

小説だけでなくゲーム、アニメーション、漫画と、幅広い分野で活動を続ける冲方丁さん。SF作品で人気を博すなか、昨年末には時代小説『天地明察』を発表、新たな世界を広げてみせました。ボーダーレスで活躍し続ける、その原点はどこに? 幼少を海外で過ごしたからこそ身についた読書スタイル、充実の高校生ライフ、そして大学生と会社員と小説執筆という三重生活…。“作家”と名乗るに至るまでの道のりと読書生活を、たっぷり語っていただきました!

その1「日本語に飢えていた幼少時代」 (1/7)

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――お生まれは岐阜だそうですが、幼少期は海外で過ごされたとか。

冲方:岐阜で生まれて千葉に越して、すぐシンガポールに行き、日本にちょっと帰ってきてからネパールに行きました。4年以上同じ場所に住んだことがなかったんです。

――では、はじめての読書の記憶というと、どこで何語で読んだ本になるのでしょう。

冲方:物心ついたときに読んでいたのが...今日持ってきたんです(と、鞄から取り出す)。 79年版の『デイリーコンサイス英和和英辞典』。ネパールに住んでいた11歳から13歳くらいまでの頃、これが唯一身近にあった日本語だったので、ひたすら読んでいたんです。もうボロボロですけれど。

――背表紙が取れてしまっていますね! 開いたらもう、崩れそうです。

冲方:面白い単語を引いたりして、辞書で遊んでいたというか。海外にいると日本語に飢えるんですよ。あとは、大人たちが置いていったいろんな日本語の本を読んでいました。なのでジャンルはバラバラなんですよ。コバルト文庫があったかと思うと『週刊ダイヤモンド』があって、『グイン・サーガ』が5巻から10巻までだけあったり。ネパールといえばヒマラヤなので、夢枕獏さんの本も多かったですね。「キマイラ」シリーズとか。とにかく子供向けも大人向けもとりあえず手にとっていました。ジャンルというより、"日本語の本"というくくりで読んでいました。

――ああ、日本人の旅行客や滞在者が帰国する時に置いていった本を。

冲方:日本人が来る料理店やロッジとか。ネパールで働いている日本人が集まるコミュニティの建物があって、そこには誰かが撮ってきたVHSの名画なんかもありました。滞在している人たちには子供連れの家族も多かったので、そういう方々が残していってくれた絵本や漫画もありました。小学生でいきなり浦沢直樹の『パイナップルARMY』を読んで(笑)。『ドラゴンボール』も読んでいましたが、断片的にしか手に入らなかったので、登場人物たちが何のためにドラゴンボールを集めているのか意味が分かりませんでした。最新の『少年ジャンプ』を手に入れるにしても、空輸されてくるので1冊に8000円くらいかかるので、手に入った分を読み込んで、前後を想像するという読書の仕方をしていました。

――学校は。

冲方:インターナショナルスクールに通いつつ、週末には在留の日本人がボランティアで先生をしている補習校に通っていました。日本人のファーザーやシスターがいて、そこに日本語の本もありましたね。『狼王ロボ』とか。半身不随で筆を口にくわえて絵を描いている星野富弘さんの本をいい本だなあと思って、音読していた記憶があります。

――平日の学校は英語で、週末の補習校は日本語、という生活なわけですね。

冲方:インターナショナルスクールでは、日本の作品を訳してくれと言われることが多かったですね。日本のアニメや漫画がブームになっていたのですが、1冊だけ『ニュータイプ』が手に入っても、絵はあるけれど意味がわからない。それでどんなストーリーなのか翻訳してあげていました。「ガンダム」なんて全然知らないまま、ウソ翻訳で小説にしていました(笑)。

――おお。それが初めての創作活動ですか。

冲方:他に、グラマーのクラスが、本を読んだり詩や小説を書いたり、何でもいいので活字に触れようという授業だったんです。そこで初めて英語の小説を書きました。ウソのドラえもんを作って(笑)。それがみんなに喜ばれて、壁に貼られて各学年の人たちが読むようになっていましたね。あとは「ガンダム」の「ポケットの中の戦争」のビデオを手に入れた人がいたので、1から全部、セリフと情景を翻訳しました。それが12、13歳の頃。これはすごく大変で、1年がかりで訳しました。『AKIRA』も英語の吹き替え版も字幕版もなかったので、訳してくれと言われてやりましたね。小学生の解釈なんてたかが知れているんですけれど(笑)。

――バイリンガルだったわけですが、英語と日本語のバランスはどうだったんですか。

冲方:どちらかというと日本語に偏っていたと思います。ただ、子供の頃って周りに日本語を喋る人が多いとスイッチが入って日本語脳になるんですけれど、英語を話す人が多いと英語脳になるんですね。その頃は独り言も英語で言っていましたし、アメコミも読みましたし、英語の小説も、邦題が分からないんですが、魔法とSFが合体したようなものを読んでいました。『DORAGONSLAYER』という作品は頑張って日本語に訳しましたよ。

――おお。そうした読書体験は、文章修業にもなったのでは。

冲方:文章修業プラス、想像力を働かせる訓練になりましたね。断片的にしか手に入らず話の前後が分からないので、想像するしかない。『少年ジャンプ』も、ある号で連載がスタートしたものが、何ヶ月か後に久々に新刊が手に入って読むと終わっていたりする。どう話が進んだのか、心の中で展開させていくしかないんです。『聖闘士星矢』ってなんだろう、『北斗の拳』は何のために闘っているんだろう、って思いながら(笑)。

――娯楽は本がメインだったんですか。

冲方:ビデオもかなり繰り返して見ました。これも断片的にしか手に入らなくて。祖父が録画してVHSのテープを送ってきてくれるので、それを何度も観ました。でも、祖父も孫のためを思ってやってくれているんですけれど、チョイスがバラバラで、しかも続きがない。アニメの『ビックリマン』の次に『風雲!たけし城』が入っていたり、ウルトラマンのような特撮モノの後にNHK特集が入っていたり(笑)。今流行りのものを見せてやろうと思ったのか『ホビージャパン』が一冊だけ送られてきて、一体何の雑誌なのか分からなくて。

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プロフィール

作家のみならず、脚本、マンガ原作、ゲームなど活躍分野多数。1996年「黒い季節」で第1回スニーカー大賞金賞受賞。2003年「マルドゥック・スクランブル」で第24回日本SF大賞。 近作に「天地明察」がある。