
作家の読書道 第106回:大島真寿美さん
大人の女性たちの人生模様から若い世代の成長まで、幅広い作品を発表、リズミカルな文体で現代の人々の人生を鮮やかに切り取っていく大島真寿美さん。実は幼い頃からジャンルにこだわらず幅広く本を読まれてきた様子。心に残っている本は? 劇団を旗揚げし、その後小説家を目指した経緯とは? 大島さんの気さくなお人柄により、とても楽しいひとときとなりました。
その3「劇団を旗揚げ」 (3/6)
- 『白痴 (上巻) (新潮文庫)』
- ドストエフスキー
- 新潮社
- 961円(税込)
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- 『カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)』
- ドストエフスキー
- 光文社
- 782円(税込)
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――大学では文学を学んだりはしなかったのですか。
大島:人間関係科というところに進んだので文学を学んだわけではなくて、でもドストエフスキーはやりました。『白痴』とか『カラマーゾフの兄弟』とか。南山短期大学に進んだんですが、当時変わったことをやっていたんですね。今は四大と合体してその学科も心理学科に入ってしまったんですけれど。いろいろ体験的なことをやるところで、この時間内のこのグループに何が起きていたかを細かく振り返って討論したりとか。......いや、たぶんすごく間違っていることを喋ってるな、私。知っている人が読んだら違うぞって言われそう(笑)。合宿があって、ドストエフスキーについて喋り続けましたね。テーマを自分で選んで、それについて朝から晩までずーっと話すっていう。何を話していたんだろう。哲学の先生の授業の一環だったような気がする。ただ、読書の時間は減りました。半分くらい映画のほうにとられるようになったんです。二十代前半まではそうでした。
――どんな映画を観ていたんですか。
大島:もう、なんでも。ジャンルという意味では、ヌーベルヴァーグ系が多かった。それはまわりに映画オタクがいたからという。あと、二十歳くらいから演劇の台本を書くようになって。もともとは高校の頃に脚本を書いていたんですね。それをまわりに読ませていたみたいで、役者を始めた友人が「書いてたよね」というので「まだあるよ」と言ったら「じゃあ上演しよう」って。それから人生ぐちゃぐちゃになって崩壊しました、あっという間に。短大を卒業したすぐくらいにやろうという話になって、上演できたのは二、三年後くらいかも。
――脚本を書くきっかけが何かあったんでしょうか。
大島:どうしてだろう。書きやすかったから......なんてなめたことを言っちゃいけない。ノリですかね。高校時代の友人に「あなたがすごく下手な時代も読んでやったんだからね、うまくなったね」って言われます。ただ、上演の時は新たに書き下ろしました。一回やったらもう一回やろう、もう一回ということになってどんどん......。すると書かないといけない、締切があるので。締切って今でも怖いんですけれど(笑)、期限を決められちゃうと書くんですよね。劇団の旗揚げは二十三歳くらいかな。
――どんなお芝居なんですか。コミカルなのか、不条理なのか...。
大島:コミカルでも不条理でもなくて、意味不明なものを(笑)。
――脚本担当ですか。自分で演じたりは。
大島:人が足りなくて出たことはあったけれど、脚本と演出をやっていました。でも演出はできなかった。脚本は、稽古場にちょっとずつ持って行く感じで、そんなに苦労はしなかったんですが、演出の苦労はすごくてストレスでした。頭の中で考えたことを紙に落とすことはできるんですけれど、それをまた舞台に立ち上げるのはまったく別の作業。それができないことに最初から気づいていたのに、続けちゃったんですよ。他に人がいるからまわっていっちゃうところもあって。二十八歳くらいの時、書いたものをよりよくするというより違う方向のものにいってしまうな、だったら一人でやりたいなと思って、そろそろ小説にいこうかなと。それで、十年前の山田さんの言葉を思い出すわけです(笑)。
- 『宙(ソラ)の家 (角川文庫)』
- 大島 真寿美
- 角川書店
- 514円(税込)
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――インプットされていた言葉が(笑)。
大島:それで書いた小説が「宙の家」です。脚本形式でないものを書いたのはすごく久しぶりでした。高校以来だったかも。なのでこれは人が読んで面白いのかなと思い、友達に「読んでみて」って渡したんです。そうしたら、そこの家のお母さんが読んで「これは本になる、本になるところが見える」って。途中までしか書いていなかったんですが「続きを書けってうちの母が言ってます」って言われたんですよね。それで書いて『すばる』に応募したんです。書き終えたのが三月くらいで、ちょうど締切がその時期だったこともあって。