第126回:須賀しのぶさん

作家の読書道 第126回:須賀しのぶさん

明治期に一人の少女が大陸に渡り、自らの人生を切り開いていく『芙蓉千里』シリーズがいよいよ完結を迎えた須賀しのぶさん。歴史の知識、アクションあり驚きありの冒険譚はどのようにして生まれるのか。幼い頃からの読書遍歴をうかがってそのあまりの“須賀さんらしさ”に膝を打ちます。作品に込めた熱い思いも語ってくださいました。

その3「ドイツ文学からナチスへ」 (3/6)

第三帝国の興亡〈1〉アドルフ・ヒトラーの台頭
『第三帝国の興亡〈1〉アドルフ・ヒトラーの台頭』
ウィリアム・L. シャイラー
東京創元社
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背教者ユリアヌス (上) (中公文庫)
『背教者ユリアヌス (上) (中公文庫)』
辻 邦生
中央公論新社
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わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)
『わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)』
アドルフ・ヒトラー
角川書店
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銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)
『銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)』
田中 芳樹
東京創元社
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文明の衝突
『文明の衝突』
サミュエル・P. ハンチントン
集英社
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悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
『悪童日記 (ハヤカワepi文庫)』
アゴタ クリストフ
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ヴェネツィアの宿 (文春文庫)
『ヴェネツィアの宿 (文春文庫)』
須賀 敦子
文藝春秋
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――そういえば、須賀さんは軍隊や戦争の話もよくお書きになっていますが、軍隊などは興味があったのでしょうか。

須賀:戦争映画をよく観ていた影響もあるんですが、ニーチェたちを読んでいると、だいたいナチスにいくんですよ。彼らの思想ってだいたいナチスに利用されていますから。トーマス・マンも反ナチでいろいろありましたし。じゃあ何か読んでみようかと思って高校生の時にウィリアム・L・シャイラーというアメリカのジャーナリストが書いた『第三帝国の興亡』を読んだんです。これがべらぼうに面白くて。中高の歴史では当然ナチスは悪だと習うし、シャイラーもアメリカ人なのでナチスに対して批判的な立場で書いている。にもかかわらず、ヒトラーはめちゃくちゃなのに妙に魅力的に思えてくるんです。第一次世界大戦の後、なぜナチが支持されていくのかについても、やっていることはアホだと シャイラーは罵っているけれど、そりゃこういう状況ならとびつく人がいて当然だろう、と思う。そこで、歴史ってそういう見方をしなくちゃいけないなと思ったんです。『三国志』なんかはそれぞれの国の事情が書かれているけれど、リアルな歴史というのは、負けた国は悪としてしか書かれない。シャイラーの本を読んだ時、当たり前のことだけれども、当時のドイツの人たちにだって普通の生活があって、どうにもならない事情があってこうなったんだなと思いました。それで、私はもっとこういうことを知りたいと思い、小説を読むのをやめちゃったんです。一気にドキュメンタリー、歴史のほうにいっちゃった。同時期に読んだ辻邦生さんの『背教者ユリアヌス』、これは小説ですが、やっぱりそういう認識の逆転があったんですよね。世界史では、変な宗教にはまってキリスト教を排除しようとした皇帝みたいな扱いなのですが、小説では全然違う、むしろ逆。ロシアやドイツ文学が好きでしたから、キリスト教って善悪を超えてもうあって当たり前のものとして自分の中で存在していたので、衝撃でした。シャイラーと同じ時期に読んだこともあって、私は今までなんて一元的に歴史を見ていたのだろうとショックを受けました。だからといって小説を読まなくなるというのがなんだかな、なんですが、私はドキュメンタリーを読むわって思って。

――読む本はどうやって探したのですか。

須賀:ドキュメンタリーを読むと巻末に参考文献が載っているので、そこからあたっていきました。やっぱりナチスだと『わが闘争』は読んでおかないといけないし......と、読むべき本が見つかっていく。図書館にも本がそろっていたし、学校の先生が面白がって「ナチスが好きならこの本もありますよ」と教えてくださったりしました。

――その話題を共有できる友達は......。

須賀:まったくいませんでした。またヘンなの読んでるよ、という目で見られていたと思います。あ、ドイツの歴史好きで『三国志』好きでってことで、『銀河英雄伝』を貸してもらったことがありましたね。でも話が通じる人がほとんどいなかったので、しょうがないから大学は史学科に行くことにしました。史学科の中でも日本史や東洋史などの専攻に分かれますが、私は当然西洋近現代史、ドイツを選びました。いざ入ったら勉強よりも遊びのほうが楽しくなっちゃったんですけれど。

――そういえばベルリンの壁が崩壊したのは1989年ですよね。須賀さんは高校生で、もうすでにドイツに興味を持っていたのでは。

須賀:あの日は嬉しくて嬉しくて、学校を休んで一日中テレビに張り付いてニュースを見ていました。それが史学科に行く後押しになりました。あの頃って直前まで誰もベルリンの壁が崩れるなんて思っていなかった。ビリー・ジョエルが好きなんですが、その直前に出したアルバムに収録された「レニングラード」という曲では、東西冷戦の中でも変わらない友情を歌っていたんです。「いつか自分たちも何のてらいもなく会えるといいね」といった歌詞を聞いてしんみりしていた直後に壁が崩れたんです。自分たちは今歴史の転換期にいるんだって思いました。

――その年に昭和から平成に元号が変わり、中国で天安門事件もありましたね。

須賀:変化が訪れる時って、連鎖して一気に訪れる。そうだと分かっているのにすごくびっくりしました。歴史は繰り返すと言われているけれども、当事者には......私は当事者ではないけれど、分からないものだなって。そうした出来事のどれかひとつでもなかったら親に言われるままに普通の学科にいっていたかもしれません。いろんなことがあったからテンションがあがって史学科を選んだんですよね。

――学生時代にベルリンの壁を見に行ったりはしませんでしたか。

須賀:卒業してから行きました。学生時代はお金がなくてバイトしてました。部活にお金がかかったし。グランドホッケーをやっていたんです。

――ええと、グランドホッケーってラクロスとはまた違うやつですよね...?

須賀:そう、私もラクロスと間違えて入ったんですよ(笑)。グランドでやっているのを見て面白そうだと思って入ったんですが、ラクロスは網のついたスティックを上にかざしたりするはずなのに、網のついていないスティックを下に向けたまま動かすので「あれ?」と思ったら「ラクロスは隣ですよ」って。結局グランドホッケーも面白かったんですけれど。

――大学時代に読んで衝撃を受けた本はありましたか

須賀:サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』は元の論文が発表されたのが大学生の時で、あまり勉強をしなかった私たちの間でも結構な衝撃が走ったのを憶えています。東西冷戦終了後の枠組みを民族・宗教によって八つの文明圏に分けているんです。現代ではわりと当たり前の認識ですが、当時この考え方は目からウロコでした。人の世界においてのイデオロギーの対立なんて、宗教と文明の対立の前には本当に薄っぺらいなーと...。

――ノンフィクション以外はまったく読まなかったのですか。

須賀:小説も少しは読みました。いちばん衝撃を受けたのはアゴタ・クリストフの『悪童日記』。それまでドストエフスキーとかを読んで、もういいよっていうくらい議論をする内容に慣れていたので、一切心理描写がないのにものすごく分かる、でもまったく共感できないとは、なんてすごいことだろうと思いました。今でも自分の理想はあれかもしれません。読み手の問題ですが、あの作品以上に虚無感を感じさせるものはない。史学科で最初に習うのは歴史を自分の色眼鏡を通して見るな、史実は史実として見ろ、ということなんですが、アゴタ・クリストフはそれを文学にしている。そういう方法もありなんですね。どうやったらこの人のような視点が持てるのか、と思いました。あとは、須賀敦子さんにハマりました。小説ではなく歴史を読むのが好きというくらいですから文体なんて気にしたことがなかったのに、須賀さんのエッセイの『ヴェネツィアの宿』を読んだ時に、すーっと入ってくる文章だと感じたんです。はじめてこういう文章っていいな、と思いました。私自身、まいっていることがあった頃だったんですが、須賀さんも旦那さんを亡くされて辛い目にあっているけれど淡々としていて、優しいけれど諦めがあって。すごく透明な感じ。それがすごくよかったんです。このしみいる文体がすごいなと思って須賀さんを読んでいるうちに、翻訳をなさったユルスナールやタブッキを読むようになりました。

――須賀(しのぶ)さんは上智大学出身ですよね。確か須賀敦子さんは上智大学で教えている時期がありましたよね。

須賀:私は時期が合わなくて......。私よりもちょっと年上のコバルトの作家で上智だった方から須賀先生が大好きでいろいろお話ししたと聞いて、ハンカチを噛んで悔しがりました、キーッて(笑)。あ、でもだから大学に須賀さんの本がそろっていたんですよね、きっと。

――ところで卒業論文は何だったのですか。

須賀:ナチスの武装SSについてです。その時に教授に「君の卒論は小説みたいだね」って言われました。たしかに妙に臨場感にあふれていましたね。戦争が始まった後の記述とかは、自分で読んでいてもテンションが上がっているのが分かりました(笑)。

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