第151回:奥泉光さん

作家の読書道 第151回:奥泉光さん

芥川賞作家ながらミステリやのSFといったジャンル小説の要素を多分に含み、時にはユーモアたっぷりの作品も発表してきた奥泉光さん。小学生の時に出合い、作家としての自分の原点となった2冊の作品、大学でハマった読書会、小説家について大切なことなど、読書にまつわるさまざまなお話をうかがいました。

その3「読書会で学ぶ」 (3/6)

  • 古代ユダヤ教 (上) (岩波文庫)
  • 『古代ユダヤ教 (上) (岩波文庫)』
    マックス ヴェーバー
    岩波書店
    928円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    LawsonHMV
    honto

――大学に進学してからはいかがでしたか。

奥泉:文学好きになったんです。国際基督教大学(ICU)に進学したんですが、当時は金澤正剛先生がいたので音楽も学べると思って。芸術系、文学系をやろうと考えて入りました。僕たちはポスト全共闘のシラケ世代と呼ばれた世代だったんです。言葉で世界を変えることはできない、言葉を扱うなら趣味としてというムードのなかで、文学でもやろうかなと思ったんです。一方で大学に入ったら身体を鍛えようとも考えていて、運動部を見にいったら野球部が9人ギリギリしかいなくて、これなら自分も参加できると思いました。それで野球部に入ってみたら、マルクスの『資本論』の読書会をやっていたんです(笑)。最初は今さらマルクスでもないだろうと思ったんですが、読んだこともなかったので一応参加してみることにしました。そうしたら最初は何が書いてあるのか全然分からなかった。全体として何が問題になっているのかすら分からなかったんです。3か月くらい商品章のところを何回も読み返して、ある日なるほどそういうことが書いてあるのか、と分かった。世界の見え方がちょっと違ったんですよね。それくらい迫力を感じて、言葉の力はすごいなと思いました。マルキストになるとか、そういうことではなく、『資本論』というテキストが持っている力に気づいたんですね。そもそも20世紀の主な思想は、ソシュールにしろレヴィ・ストロースにしろ『資本論』を出発点にしていると言っていいですよね。
一言で言うと、僕が感じたのは、僕たちが生きて何気なく見ているものには、歴史性があるということです。今使っているひとつ100円のボールペンだって、僕一人が一生かけて作れと言われても作れない。そこには過去の歴史や人間の労働力、アイデアといったあらゆるものが凝縮されている。そのことにリアルに気づきました。
僕が在籍していたのはヒューマニティーズ、人文科学科だったんですが、それをきっかけに社会科学をやろうと考えました。たまたま経済史学者の大塚久雄さん、よく丸山眞男と並んで名前が出てくる人ですが、その先生が週に一回大学に来ていたので教わることにしました。同時に、旧約聖書の並木浩一先生のところにも行きました。調べてみたら大学でマルクスをちゃんと読んでいるのは並木先生だったんです。並木先生はなんでも勉強してるんですよね。それで並木先生にも教わろうと思ったんです。とういうわけで、それから10年間くらい、マルクスとヴェーバーばかりをずっと読んでいました。ドイツ語もできなくちゃいけないので勉強しましたよ。大学に入るまで全然勉強していなかったのに、入ってからすごく勉強するようになったんです。読書会で勉強に目覚めたわけですから、読書会好きになっちゃって、その後たくさん入りました。当時ラッキーなことに、のちに共訳をすることになる紺野馨さんが一ツ橋の院生で、ICUにもよく来ていたんです。彼はヘーゲルの読書会をやっていて、『精神現象学』を読んだ。それから一ツ橋でヴェーバーの『古代ユダヤ教』の読書会もやっていて、それにも参加させてもらった。周囲は一ツ橋のドクターばかりで、僕はまだ学部生で。これがよかったんです。みんなが「君がやっていいよ」というので、毎回訳読するわけです。そうすると「全然違う」と厳しく言われる。つらいなと思ったけれど、よく考えたらみんなが僕の家庭教師みたいなものでしょう(笑)。修士課程、博士課程にも進んで、その後10年くらい、メンバーを替えつつその読書会は続きました。並木浩一先生の指導のもと、旧約聖書にも取り組んで、聖書学やヘブライ語も勉強しましたね。

――マルクスとヴェーバーをちゃんと読むというだけでも相当な時間を費やしそうです。

奥泉:だから辞めた理由も結局、やりきれないと思ったからなんです。ヴェーバーを読むだけで一生かかると思って絶望しました。ドクターにも進んで紺野さんとの英訳で『古代ユダヤ社会史』という翻訳本も出し、一生かけようと思っていたんですよ。いわゆる学者になるつもりで収入は多摩美で非常勤講師をしたり塾の先生をやって得ていましたね、バブルの頃に。28、9歳まではそういう生活でした。

――その頃、研究とは別の読書はしていたのでしょうか。

奥泉:小説は結構読んでいたんですけれど、その頃読んでいたものはエンターテインメントですね。具体的には半村良、山田風太郎、池波正太郎、大藪春彦。近代小説というものは作家になるまでほとんど読んでいませんが、大岡昇平だけはなぜか読んでいました。『野火』とか『俘虜記』とか。中島敦も全部ではないけれど『山月記』や『名人伝』などは読みました。武田泰淳も好きでしたね。『貴族の階段』という小説がものすごいエンターテインメントで面白かった。やはり一人の作家の作品を追いかけるというわけではなく、好きなものをポツポツと、繰り返し読んでいました。今でも変わらないですね。ネタが分かっているミステリでも何度も読む。その出来のよさを何回も味わってしまう。

» その4「小説家のスタンス」へ