第158回:中山可穂さん

作家の読書道 第158回:中山可穂さん

人間の魂の彷徨や恋愛を鮮烈に描き出す中山可穂さん。昨年にはデビュー作『猫背の王子』にはじまる王寺ミチル三部作の完結編『愛の国』を上梓、今年は宝塚を舞台にした『男役』が話題に。実は宝塚歌劇団は、10代の中山さんに大きな影響を与えた模様。そんな折々に読んでいた本とは、そして執筆に対する思いとは。

その2「お芝居に夢中の学生時代」 (2/6)

――そして早稲田に進学。
どのような大学生活を送られたのでしょう。

中山:芝居のことしか考えていなかったですね。本を読むことより、芝居を見たり映画を見たりすることの方が重要でした。だから自分は決して読書家とはいえなくて、このようなインタビューに出ることはおこがましいです。昔読んだ本も手元に残っていないし、記憶もかなり曖昧になっているので、いつ何を読んだかという話がところどころごっちゃになってしまうと思いますが、すみません。

――いえいえ、そんな!

中山:当時はですね、戯曲とか詩とか短歌とか、韻文ばっかり読んでました。ソネットも好きでした。韻文の方が散文よりも上等なものだと思い込んでいて、「小説なんて所詮散文じゃないか」って思っていたんです。
最も影響を受けたのは戯曲です。私が唯一持っている全集は、シェイクスピア全集なんですよ。当時白水社から小田島雄志訳の黒い函入りのものが順次刊行されていて、見栄を張って、毎月なけなしのお金で買いに行ったっていう。私、本に対して全然執着がなくて、家に沢山本があると息苦しくなるし、引っ越しもしにくくなるのでわりと思いきりよく処分してしまうんですが、それだけはずっと捨てられずにいます。装幀が確か菊池信義さんで、格好良かったんですよね、真っ黒な本が。
戯曲はシェイクスピア、チェーホフ、テネシー・ウィリアムズが特に好きだったかな。あとベケットとか、マーティン・シャーマンの『ベント』とか。日本だと唐十郎、つかこうへい、清水邦夫、野田秀樹、加藤道夫、別役実、木下順二、井上ひさし。教育学部の英語英文科で、鈴木周二先生のアメリカ現代演劇というゼミに入ったので、ユージン・オニールとか、アーサー・ミラー、ウィリアム・インジ、エドワード・オールビーとかも読んでました。

――その中で一番思い入れがあるのが、シェイクスピアということですか。

中山:私にとって「神を一人選べ」と言われたら、やっぱりシェイクスピアですね。この世の森羅万象のすべてがあるというか、劇作のすべてが詰まっているような気がします。でも英語英文学科なので、シェイクスピアをオールド・イングリッシュで読ませられたんですよ。そうするともう「勘弁してくれ」って感じなんですけど。

――演劇の活動は。

中山:ミュージカル研究会に入ったんですが、やっているうちに自分はミュージカルに向いていないと気付きました。その決定打だったのが、「ヘアー」というベトナム反戦をテーマにしたブロードウェイのミュージカル。奈良橋陽子さんが演出なさった舞台を観たんですが、それが素晴らしかったんです。で、ミュージカルを書くには音符を言葉と全く同じように扱えないと駄目だって気が付いたんです。私、音符は扱えないんですね。楽譜読めないし。それで諦めちゃいました。
この頃はとにかく劇場にいましたね。ミュージカルだけじゃなくて、歌舞伎とか、新劇とか、小劇場とか、アングラとか。劇場か映画館のどちらかにいました。80年代、ちょうど小劇場ブーム真っ盛りで、いい時代に東京にいたと思います。だから宝塚のことはいつの間にか忘れちゃって。「もっと面白いものがいっぱいある」って思って。

――学生時代、自分でお芝居を書いていたんですか。

中山:大学4年の時に、早稲田が100周年だったんです。100周年記念文芸コンクールというのがあって、審査員が早稲田のOBで、小説部門だと三田誠広、シナリオ部門は篠田正浩、戯曲部門は、清水邦夫でした。私は戯曲部門とシナリオ部門に応募しました。小説には応募してなかったってところから分かると思いますが、当時はまったく小説には興味がなくて。シナリオ部門で佳作に入ったんですね。それが原稿でお金をいただいた最初です。わずかばかりですが。

――それで、やっぱりお芝居でやっていこうと思われて。

中山:シナリオライターか、劇作家になりたいと思っていました。青山にあるシナリオセンターにも通っていました。

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