第158回:中山可穂さん

作家の読書道 第158回:中山可穂さん

人間の魂の彷徨や恋愛を鮮烈に描き出す中山可穂さん。昨年にはデビュー作『猫背の王子』にはじまる王寺ミチル三部作の完結編『愛の国』を上梓、今年は宝塚を舞台にした『男役』が話題に。実は宝塚歌劇団は、10代の中山さんに大きな影響を与えた模様。そんな折々に読んでいた本とは、そして執筆に対する思いとは。

その5「執筆生活&新作のこと」 (5/6)

  • サイゴン・タンゴ・カフェ (角川文庫)
  • 『サイゴン・タンゴ・カフェ (角川文庫)』
    中山 可穂
    KADOKAWA / 角川書店
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――音楽にもお詳しいと思うのですが、たとえば執筆中に流していたりしますか。

中山:常にかけています。音楽は脳内麻薬の分泌を助けるガソリンですから。ジャンルはいろいろです。『男役』を書いているときはもう宝塚漬けで、『ケッヘル』の時はモーツァルト漬けで、『サイゴン』の時はタンゴ漬けで。その作品のテーマ音楽となるような曲をウォークマンにこつこつと入れていって、ガソリンが溜まったら書き出す、という感じです。

――そういえば『ケッヘル』を書くときに鎌倉に住んでいたとか。作品に合わせてお住まいを変えたりされるんですか。

中山:いや、書いているものに合わせているわけではないです。むしろその逆で、住んでいる環境に作品が影響されることはあるかもしれません。

――今はなぜ京都に。

中山:それは話すと長くなるんですけども、もう本当に、人生最大のスランプがありまして、よくぞあれを生き延びたという感じの。

――「空白の5年間」以上の。

中山:以上の。生命の危機に直結するような。まあ、あのまま作家として消えていてもおかしくなかったというくらいのスランプでした。『愛の国』はもっと早く書かなければならなかったんですけど、もう何年も書けなくて、環境を変えたら書けるかなと、思い切って京都に引っ越したんです。特別京都好きって訳でもなかったんですが、京都って外国みたいで、少しパリに似てるかもしれない。京都人は偏屈でいけずで余所者に冷たいけれど、街は美しくて自然がいっぱいある。関西弁は私にとっては外国語みたいでしたし。要はがらりと環境を変えることが必要だった。

――やっと書き上げた『愛の国』は『猫背の王子』『天使の骨』に続くミチルさんの物語で、壮絶な完結編です。これは最初から三部作にするつもりがあったのですか。

中山:第一作を書いたときには全然思っていなくて、『天使の骨』を書いた後で「このままでは終われないな」と感じました。けじめをつける必要があるから「もう一本書こう」とはずっと思ってました。まあ、20年かかっちゃったんですけど、「これが書けなかったら終わりだ」っていう感じもあったし、編集者からもそう脅されていたし(笑)。一方で「これを書いちゃったら自分はもう、小説を書けなくなっちゃうんじゃないか」って思いもありました。なんか、すごく大事なものだったんですよね。

――そうですよね。ミチルさんは読者にとってもすごく大事な人で。

中山:自分にとっては最後の虎の子みたいな存在。でもミチルさんは多分死ぬだろう、それもとても悲惨な死に方をしなくてはいけない、と思っていました。「この人を殺したら私は生きていけるのか」っていう感じもありました。人生追い詰められて、最後にこれを書かなきゃ死んでも死にきれないって感じで書いて、オビには大げさに「遺作になっても悔いはない」って。確かにそう言ったけど「こんなのが遺作じゃ、甘いわ」と今では思っています。

――『男役』は50年前に舞台事故で死んだ伝説の男役スターがファントムとなって劇場に現れるという、幻想的な内容です。これは最初、『弱法師』や『悲歌』に続く現代能楽集シリーズに入れるつもりだったそうですね。能はお好きなんですか。

中山:能は、必ずしも、そんなに好きではないんですが、ギリシャ悲劇みたいにデフォルメがしやすいですね。能のお話には物語の粋(すい)が詰まっていて、古典というものの持つ懐の深さによって自分の別の面を引き出される面白さもある。それに枷があるところも心地いいんです。短歌をやっていたせいもあると思うんですけど、100%自由に作るんじゃなくて、その枷の中でいかに自分らしさを出すかというのが新鮮で面白い。
実は能よりも文楽のほうが好きですね。義太夫の語りもすごいし、三味線もすごいし、人形遣いもすごいですから。何より近松門左衛門が書いた浄瑠璃の言葉は、後世の小説家が逆立ちしたって絶対に真似のできない珠玉のような言葉です。人情の機微というのは元禄の頃から何も変わっていないというか、情景描写や台詞の応酬が圧巻で、俗につうじるということがいかに難しいかをいつも痛感させられます。そういう意味ではシェイクスピアと並んで近松も私の神と言える存在ですね。

――『男役』では、宝塚の男役の人の恋愛とか、引退した後の人生についても「ああ」と思うところが沢山ありましたし、娘役や周囲の人の人生も気になりますね。宝塚を舞台にした話をまだまだ読みたい気が...。

中山:実はシリーズ化を目論んでいます(笑)。『男役』の対をなすように『娘役』とか、雪組篇、花組篇、星組篇、専科篇とか、色々アイデアはありまして、早く書きたくて書きたくてうずうずしています。多分、こういう風に宝塚を書いた小説ってなかったと思います。多少なりとも舞台の熱を体で知っていて、しかも宝塚への愛とリスペクトを持っている私のような作家だからこそ書けるという自負もありますし、宝塚にまったく興味のない人が読んでも、小説として面白いものを提供できる自信があります。ただ今回の『男役』が売れないとシリーズ化の企画は通らないので、続きを読みたい方は周囲のヅカファンにご宣伝ください(笑)。

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