第162回:木下昌輝さん

作家の読書道 第162回:木下昌輝さん

デビュー単行本『宇喜多の捨て嫁』がいきなり直木賞の候補となり、新しい歴史エンターテインメントの書き手として注目される木下昌輝さん。第二作の『人魚ノ肉』は、幕末の京都で新撰組の面々がなんと化け物になってしまうというホラーテイストの異色連作集。その発想や文章力、構成力はどんな読書生活のなかで培われたものなのか? 

その6「自分の小説は竹内流」 (6/6)

――さて、新作の『人魚ノ肉』は幕末が舞台。坂本竜馬や岡田以蔵、芹沢鴨や沖田総司らが登場しますが、そこに妖(あやかし)が絡んで、怖い話が並びますね。序章では坂本竜馬と中岡慎太郎が、京都の近江屋で幼い頃に遭遇した人魚の話を振り返ります。

木下:序章を書いたのは2012年の頃で、当時、福山雅治の『竜馬伝』が放送していたんですが、みんな司馬遼太郎の竜馬の呪縛から逃れられへんよなあと思いながら見ていて。なんとかして、違うものを書きたかったんです。竜馬が暗殺されるその日その場所で、過去に人魚の肉を食べた禁忌を告白させたら、全く違うものが出来るんじゃないかと思ったんです。土佐にも八百比丘尼の伝説があるんですよ。土佐須崎というところに八百比丘尼が寄進した石塔があって、そこには港もあって竜馬の海援隊も船をつけたそうなんです。

――高知はお母さんの故郷ですから、その縁もあったわけですか。

木下:小中学生の頃は毎夏遊びにいきました。海辺の道にお遍路さんが歩いていたり、犬神様という土着宗教がある、トラフグやと思うんですが浜に人面魚みたいな魚が打ち上がっていたり、あのおどろどろしい雰囲気を書きたかったんですよね。で、竜馬の次に思いついたのが、沖田総司が池田屋で喀血したけど、あれは実はドラキュラだったんじゃないかという話。喀血したんじゃなくて、むせて血を吐きだしただけじゃないのか、と。ほんまどうしようもない発想ですね(笑)。そのアイデアを思いついた時に、これは京都という文化を書くチャンスじゃないかと感じたんですね。僕、京都に住んでいたから分かるんですけれど、京都人や京都の文化ってすごく奥が深いんです。けど、どう書いていいのか分からない。単純に歴史を追っても、京都の文化には焦点を当てにくいし、かといって京都の文化だけを書いても退屈。その時に「新撰組を化け物にしたら、その対比で京都の文化も表現できるんじゃないか」と思ったんですよね。もう、勘みたいなものです。エンタメでやるならこれじゃないか、という。

――沖田総司はドラキュラで、他の人もそれぞれあやかしで...。

木下:沖田総司は最終的に肉人という食肉鬼で、目が体の半身にたくさんついている百々眼鬼(どどめき)とか、ドッペルゲンガーとか、首無し幽霊とか。そういうなかで、最後は京都の文化に結びつけようと。とはいえ、京都の文化というのも抽象的で、物語にするのは大変でした。
その時、役に立ったのが、京都の祇園祭の山鉾を持っている橋弁慶町のボランティアをした経験ですね。そこには古文書が残っていて、那須さんという年配の方が原稿用紙に全部書きおこしたんですが、自分ではデジタル化できないから誰かにやってほしいと、ボランティアを募集していたんです。それに応募しました。読ませてもらったら、火事の時のしきたりとか、その町の掟とかがあってすごく面白い。たとえば「橋弁慶町に住む時は必ず紹介者を3人以上連れてきなさい」とか「浪人は駄目」とかあるんです。毎年伊勢参りをするのは誰かを決めて、その人にお小遣いをあげて町の代表として行ってもらったりしている。京都人がどうやって生きているのかがすごく伝わってきました。

――これまでに書かれてきたものをうかがっていると、今後は歴史もの以外の小説もお書きになりそうな気が。

木下:そうですね。違うものはいつか書きたいですね。現代ものとか、スポーツの話とか、職人さんの話とか。まあ、最初の3年は歴史に関係するものを書いていって、ある程度実績ができたら違う話も書きたいですね。

――『人魚ノ肉』のあとは、どんな予定なんでしょう。

木下:今、KADOKAWAで宮本武蔵の敵の連作短編を書きはじめているんです。敵から見た宮本武蔵、ですね。まあ要は毎回誰かが武蔵と戦って死ぬという(笑)。この前『本の旅人』に武蔵が13歳の時に闘った有馬喜兵衛という人の話を書きました。
今いちばん書きたいのは、岡部元信という武将の話。桶狭間の戦いの時の今川の武将で、負けた後も頑張って戦って、義元の首を取り返した人です。それをどう書いたらいいのか分からないので『アルスラーン戦記』を今再読しているんです。大敗北から逆転を目指すストーリーが似てるので。もうひとつは、大阪芸人の話。江戸時代の米沢彦八という、上方落語をはじめた人を書きたいなと思いつつ。

――木下さんは、英雄よりも、英雄に対峙する人に興味があるような印象もありますが。

木下:そうですね。やはり時代の敗者のほうが興味がありますね。最初に織田信長が『三国志』の世界に行く話も、『三国志』の民衆の話を書きたかったんです。『三国志』の世界って負のスパイラルで、民衆にとってはひどい時代やったんです。三国志の英雄以外の人の視点をいれれば、民衆をテーマにできるのではないか、と。『宇喜多の捨て嫁』で最後の章に書いた江見河原のように、無名の人にこそ光を当てたいんです。明智光秀の部下で本城惣右衛門という人が残した手記に、小さい頃から数えきれないくらい女子供を殺してきたと証言しているんです。「もう極楽に行けないのは承知しているけれども、俺が死ぬ時に念仏だけでもあげてもらえたら、これに勝るものはない」とか言って。当時の人は善悪の判断のつかない頃からそういうことに手を染めて、自我ができた時にはもう取り返しのつかない罪を背負っている。でもそういう人も、歴史を作った弱者の一人だと思うし、少しでも光を当てられたらいいなと思います。
それは竹内流をやってて思ったことでもあるんです。竹内流は一見するとひどい武道です。敵か味方かわからなければ、とりあえず斬りつけろ、みたいな教えもある。けど、2、3年学んでみてわかったのは、竹内流は弱者の哀しさに寄り添った武道だってこと。本城惣右衛門みたいに、罪を犯さないと生き残れなかった人たちのための武道。だから僕が書くものは、英雄じゃなくて弱者。自分なりに竹内流を体現したのが、僕の書く小説なんです。まあ、かっこいいこと言いましたが、実は今質問されて思いついたことですけれど(笑)。

(了)