第177回:竹宮ゆゆこさん

作家の読書道 第177回:竹宮ゆゆこさん

『とらドラ!』『ゴールデンタイム』などのライトノベル作品で人気を集め、5月に〈新潮文庫nex〉から刊行された『砕け散るところを見せてあげる』も大変評判となった竹宮ゆゆこさん。無力ながらも懸命に前に進もうとする若者たちの姿を時にコミカルに、時に切なく描き出す作風は、どんな読書体験から生まれたのでしょう。インタビュー中に、突如気づきを得た様子も含めてお届けします。

その3「大学生時代から始まった"毒の時間"」 (3/6)

――毒の時間?

竹宮:それまでは、自分に華やぎがなく、漫画ばかり読んでいてこのままだとどうなっちゃうんだろうと危機感を持ちつつ「でも女子校だからしょうがない」っていうのが絶対にあったんです。物理的に男子がいないから、ときめきも恋も起こりようがない。でも高校を卒業して、「しょうがない」という世界観から卒業したわけです。
で、まあ、制服を脱ぎまして、10代の女の子ですからやはりお洒落がしたいと思い、雑誌を参考にするんですよ。その時私や私が親しくしていた女子は「CUETiE」が好きだったんです。その頃は安野モヨコとかが漫画を載せていました。お洒落ですよね? そして安野モヨコを読む人は、岡崎京子にたどり着くんです。岡崎京子を読むと、自然とちょっとサブカルっぽいものに目がいくではないですか。そしてある時ふと気づくんです。あれ、今は物理的に周囲に男子がいるのに、私、なんか華やいでないって。地味だしキャラ的にもパンチがないし、みんな私の存在には気づいていないのではないか。かといって、華やかタイプの子はもう高校生の頃から華やかワールドの住人なんですよ。お洒落ワールドにいる子はたぶん、「少女漫画の古典勉強しよう」なんて思わない。メインカルチャーに乗るにはもう手遅れだと気づいたんです。
メインカルチャーの世界で存在感を出していくことはもうできない。じゃあ今から間に合うジャンルってなんだろうと考えました。ちょっと不良っぽい、夜遊びしているような子は、この時期にデビューじゃ遅いんです。なので私はそういう系ではない。洋楽とかに詳しい子を目指すというのも、私はちゃんと聴いていなかったのでもう追いつけない。それで、サブカル的なものならまだいけるかもしれないと思い、根本敬とかを読み始めるんですよ。

――「ガロ」系の方ですね。

竹宮:その当時は「TV Bros」とかをすごく真面目に読んでいました。「別冊宝島」のバックナンバーがほしくて古本屋さんを巡っていましたし。今はだいぶレイアウトが変わったんですが、神保町の三省堂の1階の奥のサブカルコーナーで、根本敬や村崎百郎を買うという青春時代を過ごしました。

――サークルには入らなかったんですか。

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竹宮:入らなかったんですよ。というか友達は結構いたので、そこで完結してしまって。入っていたら何かが違ったんだろうなとは思います。4月5月の新歓期間の間に「きゃーっ楽しそう!」って行けるような私じゃなくて「あー疲れた。まあまあとりあえず、学食で肉うどんでも食っておくか」という感じだったんです。実際飛び込んでみたら楽しい日々が開けていたかもしれないんですけれど、結果として根本敬、結果として『因果鉄道の旅』、『人生解毒波止場』です。

――一人で読んでいたんですか。根本敬について話す人は周囲にいたんですか。

竹宮:いましたね。そして19歳とか20歳くらいの、二度と帰ってこないキラキラした若い日を、サブカルの本を読んでゲラゲラ笑うことで費やしてしまいました。今思うと、あの時期は人生の中でほんの数年間のボーナスステージだったと思うんです。それを華やかに過ごせるわけもないと、毒が溜まっていくんです。それを発散することもなかった。その毒の溜まり方ってすごいものがあって、なんて表現したらいいのか、とにかくキラキラ感も透明感もなくて、どす黒かったです。世界の何もかもが黒いフィルターがかかっているんです。いくら根本敬や村崎百郎を読んでゲラゲラ笑いあってその日その夜は楽しかったとしても、毒が溜まっていくとしか言いようがない。今時のポップな「モテない」というキーワードでもないんですよ。今はみんな「モテない」というコンテンツを楽しんでいるじゃないですか。それとは違って、絶望、孤独といったような...。別に、サブカルが好きでキラキラしている人はいたと思うんですけれど、私はそんな自分の世の中における「選ばれなさ」に結構絶望していました。自己否定とかではなく、毒が溜まっていく感じとして。私の体感としては、時を同じくしてその頃世の中には読書ブームが来ていたと思うんです。J文学とか、新本格とか。もっと前から流行っていたと思うんですが、私が認知できたのは2000年になる前後くらいですかね。

――J文学はその頃ですね。新本格はもっと前からありましたよね。

竹宮:その頃、周囲の人が京極夏彦さんのものすごく分厚いノベルスをバンバン買ってバンバン読みはじめたという記憶があるんです。

――ああ、なるほど。

竹宮:ちょうど私の世代でパソコンを持っているのが普通になってきたのもこの頃でした。なので読書サイトとかも読んで、本を読むことを楽しむという文化に触れた気がしました。みんなが普通にネットで個人サイトを始めたり、人の読書ログを見るようになって、私も自分の中に毒を溜めながらも「とりあえずいっぱい本を読もう」という時期が来るんです。その頃に「このミステリーがすごい!」とかで話題になっているものを手あたり次第に読みました。倉知淳の「猫丸先輩」シリーズがすごく好きでした。他は有栖川有栖、森博嗣。SFなら神林長平をいっぱい読み、『戦闘妖精・雪風』を読んだ流れで「SF好きでもっとエモーショナルなものなら秋山瑞人さんだよ」と言われて秋山さんを読み。
まだまだ毒のタンクは一杯なんですよ。でも、いっぱい読んでその物量の圧で、だんだんタンクの上からぐっと圧されていくうちに、毒がどんどん浄化されていったんです。喉が渇いた時に人は水を欲するではないですか。そういう感じで、自然に解毒を求めていたんですよね。

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