第178回:宮内悠介さん

作家の読書道 第178回:宮内悠介さん

デビュー作品集『盤上の夜』がいきなり直木賞の候補になり、日本SF大賞も受賞して一気に注目の的となった宮内悠介さん。その後も話題作を発表し続け、最近ではユーモアたっぷりの『スペース金融道』や、本格ミステリに挑んだ『月と太陽の盤』も発表。 理知的かつ繊細な世界観はどのようにして育まれたのか。読書の変遷をたどります。

その2「プログラミングに夢中になる」 (2/6)

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――インドアにならざるをえなかったわけですが、その頃趣味というか楽しみにしていたものは、やはり漫画ですか。ゲームとか......。

宮内:小学校4年生の頃、コンピュータゲームを買い与えられてすぐに取り上げられました。そればかりやっていたので、おそらく情操教育上よくないと判断されたのですね。ファミコン、向こうではNESと呼びますが、その「ゼルダの伝説」の頃です。取り上げられたのでなおさらゲームへの渇望が強くなって、自分で紙にプログラムを書き始めました。要するに、ゲームができないので、しかたないから自分で作ろうというわけです。プログラムを読んで自分の頭の中で再生して、ようやく小学5年生の頃にMSXという8ビットのパソコンを贈ってもらいまして、念願のゲーム作りを始め、それからしばらくはプログラムばかり組んでいました。

――独学でできるものなんですか。

宮内:日本に帰国した時に、コンピュータ好きの従兄弟が基本的な文法を教えてくれまして、いつの間にかプログラムを組んでいたんです。当時はそういった子どもがいまより多かったのかもしれません。
最初はBASICという、人間にも分かりやすい文章でコンピュータに命令を与えられる代わりに、速度が遅かったり制限があったりする高級言語を使っていたのですが、それに対して人間から見たら記号のようにしか見えないマシン語というものがありまして。そのマシン語を手取り足取り漫画で教えてくれる『HOW toマシン語』という本を従兄弟からプレゼントされて、それを読んでいました。

――それにしても、小学生4年生でできるものなんですね。

宮内:当時はクラスに一人はそういう奴がいるという感じでした。とりわけ珍しいことではなかったんです。あとは自動作曲プログラムを組んだり、仮想現実や人工知能には憧れていましたので、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤していました。それはある意味、今に繋がっていますね。ファンタジーRPGなんかを作る時は物語も考えましたし。でもそれは物語を作りたい気持ちが先にあったのではなく、ひとつの世界を箱の中に作りたくて、そこにおのずと物語も含まれた、という順序であったように思います。

――RPGはどのようなものの影響が。

宮内:小学校3年生の時に1年間だけ帰国した時期がありまして、その時に「ドラゴンクエストⅢ」が大ヒットしていたんです。自分の故郷で、日本語で話し合える友達たちがやっているドラゴンクエストにはすごく憧れが強かったです。逆にいえばその体験が鮮明すぎて、アメリカに適応しきれなかった面があります。ですから授業中でも紙にマシン語プログラムを書いたりしていたのですが、それが中3まで続きます。

――アメリカの学校には最後まで馴染めなかったのですか。帰国して日本の学校文化にはすぐ馴染めたのでしょうか。

宮内:小学校で馴染めなかったうえ、中学生になってくると、人種や言語についての自意識も皆強くなってきますので、それまで自然にできたことができなくなってきます。たとえば当時好きな女の子がいたのですけれども、その子の名前が発音できなくて、それは一つのトラウマでした。
それで、私から「日本に帰りたい」と言って帰ったという経緯があります。日本に帰ってきてからは、母語で喋れるという喜びでいっぱいでした。アメリカには4歳から11~12歳までいたにも関わらず、完全なバイリンガルではなく、日本語で考えてから翻訳して喋ることが多かったです。
ですが、一定数の帰国子女がそうであるように、帰ってきても馴染めないという現実に直面しました。登校初日にガムを噛みながら授業を受けて、注意されて廊下に放り出されたりして。

――どんな中学生時代だったのでしょう。一番の興味はプログラミングでしたか。部活は?

宮内:とにかく運動が苦手だったので、ブラスバンド部に入りました。でも一番の興味はプログラミングでした。相変わらず大作RPGにチャレンジしては頓挫したりですとか。今でしたら工数計算などきちんとしてから取り掛かると思うのですが、当時は作りたいところから無計画に作っていました。

――え、宮内さんはすごく段取りされる方というイメージがあるのに。

宮内:自分の手のなかで、偶然性とともに世界が生まれてくるというのは、それはもう鮮烈な体験なのです。自動作曲プログラムも、面白いやり方を思いついたのでまずやってみたい、と。最初に技術的なアイデアを思いつくのですが、規模的に完成がありえないものが多くありました。

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――当時、何か読んでいましたか?

宮内:今でいうライトノベルです。神坂一さんの『スレイヤーズ』ですとか。友達が読んでいて薦めてくれて、それが、批評的な視点なしにフィクションにどっぷりつかった最後の読書であったかもしれません。高校から小説を書き始めますので。

――授業の課題図書の小説とか、読書感想文の思い出などはありますか。

宮内:教科書に載っていた話はほとんど憶えていないです。国語は全然駄目でした。読書感想文が大の苦手でして。小3の日本での一年間で読まされた「ちいちゃんのかげおくり」いう短篇のことは今でも覚えています。戦時下の話なので、教材としての教訓は「こういう大変なことがかつてあった、過ちを繰り返さないようにしよう」だとは子ども心にも察せられるのですが、でもそれは子どもの、少なくとも自分の感性ではないと思うんです。描写の臨場感だったり、子ども自身の悲劇であったり、干し飯を齧るシーンを読むという生の読書体験はあるけれども、それは子どもにはまだスペクタクルにすぎず、感想などあろうはずもないといいますか。そんななか、みんなちゃんと空気を読んだ感想を書いてきたりする。でも私は感想をボイコットしてしまいまして。帰国間際になって誘導されるように書かされたのですが、何が自分の本当の声なのか分からなくなってしまいました。とにかく不器用でした。感想文が書けない子どもは一定数いると思いますが、実は今でも感想は苦手です。

――まあ。書評執筆の依頼も多いのでは。

宮内: 最初の頃はお受けしていたのですけれども、まだまだ勉強しなければならない立場の人間が、人様の作品の書評などは......。それよりは自分の仕事に集中するのが筋道だろうと思って、この頃はお断りしてしまうこともあります。まあ、書評は感想文とは違いますが、とにかく感想は何を言っても嘘になる気がしてしまいまして。私の場合、自分の読書体験を伝える方法というのは、結局あらすじを言うしかないところがあります。何か面白いものを読んで感想を伝えようとしても、たとえばツイッターには「やばい」しか書けなかったりします(笑)。余計なことを言って先入観を生んでしまっても嫌ですしね。

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