第178回:宮内悠介さん

作家の読書道 第178回:宮内悠介さん

デビュー作品集『盤上の夜』がいきなり直木賞の候補になり、日本SF大賞も受賞して一気に注目の的となった宮内悠介さん。その後も話題作を発表し続け、最近ではユーモアたっぷりの『スペース金融道』や、本格ミステリに挑んだ『月と太陽の盤』も発表。 理知的かつ繊細な世界観はどのようにして育まれたのか。読書の変遷をたどります。

その5「卒業してからの迷走時代」 (5/6)

  • エクソダス症候群 (創元日本SF叢書) (創元日本SF叢書)
  • 『エクソダス症候群 (創元日本SF叢書) (創元日本SF叢書)』
    宮内 悠介
    東京創元社
    1,836円(税込)
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  • ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワ文庫JA)
  • 『ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワ文庫JA)』
    宮内 悠介
    早川書房
    799円(税込)
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  • 新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 (評論社文庫)
  • 『新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 (評論社文庫)』
    J.R.R. トールキン
    評論社
    756円(税込)
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  • 罪と罰〈上〉 (新潮文庫)
  • 『罪と罰〈上〉 (新潮文庫)』
    ドストエフスキー
    新潮社
    853円(税込)
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  • 地下室の手記 (新潮文庫)
  • 『地下室の手記 (新潮文庫)』
    ドストエフスキー
    新潮社
    562円(税込)
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――さて、卒業してからは。

宮内:迷走しています。大作RPGを作ろうとして行き当たりばったりで頓挫していた頃と同じようなものです。気が付いたら周囲が就職活動をしていたくちでして、本を読んで小説を書ける職場はないかと周辺を当たって、アルバイトでゲームセンターに勤めました。で、カウンターの中でこっそり小説を読んだり原稿を書いたりしていました。

――ああ、前に『エクソダス症候群』の原型はその頃にお書きになったとおっしゃっていたような。

宮内:『エクソダス症候群』の原型となるようなものを作ろうとして頓挫したのでした。こう振り返ると頓挫が多いですね。実現しなかった論文もそうですが、とにかく身の丈に余るものにチャレンジして頓挫することが多いです。アルバイトは1年か2年続けてお金を貯めて、世界旅行に行きました。
アルバイトをしていた頃はゲームセンターの真下に古本屋さんがありまして、そこで100円、200円で本を買ったり、同僚同士で薦め合ったりしていました。一度サブカルチャー寄りのミステリを志向して舞城さんの登場で頓挫したので、原点回帰で日本文学を多く読んでいました。その頃に読んでいたのがごく初期の北杜夫さん。『夜と霧の隅で』はダイレクトに『エクソダス症候群』に影響しています。

――世界旅行に行ったというのは。今でもよくご旅行されていますよね。

宮内:その時は半年間、インドを中心に5か国くらいを回りました。

――その頃にアフガニスタンにも行ったのですか。『ヨハネスブルグの天使たち』に反映されていますよね。

宮内:そうですね。インド、ネパール、バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタンに行きました。アフガニスタンは当時戦後間もない頃、米軍の統治が行き届いていたごく短い期間にあたりまして、私のような旅行者でもかろうじて入ることができたのでした。ただ、もちろん危険は危険ですので、短期決戦で1週間くらいと決めて、カブールやジャララバード、バーミヤンなどの各都市を回ってすぐに出ました。

――長期旅行の時、本は持っていきますか。

宮内:はい。まずは日本語で書かれた『指輪物語』の第1巻を持っていったのは憶えています。

――あ、1巻だけですか?

宮内:どうせ旅先では見るもの見るもの新しいだろうから、本を読む時間はないと思っていたのです。ところが案外、旅行中というのは時間があるものでして。夜はまず出歩けませんから、おのずと宿にいて一人になる。で、あっという間に『指輪物語』も読み終わる。しかも、いいところで終わるのですね。インドでたまたま洋書を売っていた露店があったので「まさかないよな」と思いながら「『ロード・オブ・リング』ありますか」と言ったら「あるよ」と言われて、分厚い、全部入りのものを渡されまして。欲しがっているのは丸わかりなので値切ることもできず(笑)、ぼったくられながらその本を買い、移動の電車のなかではそれを枕にして寝て、ちょっとずつ読み進めました。

――実際の旅と『指輪物語』の世界と、二重の旅をしたわけですね。

宮内:そうなんです。『指輪物語』を持って行ったのは、ビート・ジェネレーションへの憧れがあったからだと思います。かつてアメリカ西海岸の若者がそれを持ち歩いていたというエピソードを聞いたことがありましたので。他には『罪と罰』を持っていきました。というのも、ドストエフスキーの長篇は節目節目で読もうと考えておりまして。一気読みしたらあっという間に全部読み終わってしまいますので、スパンをおいて新鮮な体験にしたいのです。大学時代に『地下室の手記』を読み、じゃあ次は『罪と罰』で行こう、と。先日中央アジアに行った時は、『悪霊』を持っていきました。

――そういう読み方をしているのはドストエフスキーだけですか。

宮内:そうです。一番好きな作家はと訊かれたら、やや照れながらもドストエフスキーだと答えます。と、全部読んでいない癖に何なのですけれども、私が理系から文転したきっかけの、いわば人生を変えた作家でもありますから。

――何がそこまで響いたんでしょうね。翻訳者はこだわりあるでしょうか。

宮内:先に触れました私の感想文の力をいかんなく発揮させますと、「何がかは分からないけれど、とにかくやばい」となっていまいます(笑)。それではあんまりなのでもう少しお話しすると、明らかに何かがおかしい登場人物たちに、しかしことごとく共感できてしまうのです。
新潮文庫版で読んだのでおのずと訳者は決まっていますが、私はあまり誰の訳かは気にせずに読みました。

――さて、旅行から戻った後の生活といいますと。

宮内:帰国したてのころ、なぜか麻雀がすごく強くなりまして(笑)。それで勢い余って麻雀のプロ試験を受けたりもしました。が、小説を書く上で会社員の体験もしなければならないと思って、巷のソフトハウスの門を叩きまして。プログラミングは本当に好きだったので、ビジネスで通用する腕にまで引き上げてみたい思いもありました。
一発目でなぜか即採用してくださって、機密保持契約にひっかからない範疇でお話ししますと、最初は先輩たちの作ったシステムのデバッグをやったり、その後はカーナビの開発に関わったりしました。

――小説を書く時間はあったのですか。

宮内:それがなくなってきたのが悩みでして、ことによると転職しなければならないかなと考えていたところ、はるか昔に私にプログラミングを教えてくれた例の従兄弟が会社をローンチするということで、しかもそれがガレージだったんです。黎明期のアップル社などに憧れがありますものですから、そこに入り、その後は電子楽器などを作っていました。企画段階からかかわることもできたりと、なかなか面白い環境でした。が、余計に小説を書く余裕がなくなりまして、そんな時は『カラマーゾフの兄弟』を写していました。もちろん全部は無理でしたが。
でも無理がたたって身体を壊して、会社を辞めてしまったんですよ。ある日突然、家の中で一歩も動けなくなりました。その前には『エクソダス症候群』の原稿を書くにあたって精神医学を勉強していたのですけれども、いざ自分の身に降りかかったメンタルヘルスはまったく想像を超えたものでした。駅のホームに降り立つ瞬間に吐いてしまったりなんかも。会社のローンチから関わった責任と、それでも小説を書きたいというのと色々がぶつかりあって、知らず知らずのうちに自分で自分を蝕んでしまったようです。で、すごく恥ずかしい話なのですけれど、携帯電話を手にとって母に電話しまして「かくかくしかじかで訳が分からない」と言ったら「帰ってこい」と言われて、結局、後ろ足で砂をかけるように会社を辞めてしまったんです。まだやりたいことが残っていたし、後から入ってくれた後輩だっていたのに。それは今でも心残りになっていますし、申し訳ないことをしたと思っています。
さて、その頃の自分がどうかといえば、無職の病人です。いったいこの先どうしようと思っていたら、たまたまその前に送っていた創元SF新人賞の最終候補に残って、そして審査員特別賞をいただきました。

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