第201回:古内一絵さん

作家の読書道 第201回:古内一絵さん

映画会社に勤務したのち作家デビューを果たし、さまざまな舞台を選んで小説を執筆している古内一絵さん。ドラァグクイーンが身体にやさしい夜食を出してくれる「マカン・マラン」もいよいよ完結、今後の作品も楽しみなところ。では、どんな読書体験を経て、なぜ小説家へ転身を果たしたのか。その転機も含めて読書遍歴をおうかがいしました。

その4「中国に留学、帰国後は映画会社へ」 (4/7)

――やはり卒業後は映画の方面を志望されていたと思うのですが、どういう方面を考えていたのですか。

古内:そうですね。学校では映画史を習うわけですけれど、みんな過去のことなんですね。アメリカン・ニューシネマもイタリアン・ネオレアリズモも、ヌーヴェルヴァーグも、松竹ヌーヴェルヴァーグも。リアルタイムで観ることはなかったんです。ところが、文芸坐でアルバイトをしている時についに中国の第五世代がやってくるんです。チャイニーズ・ヌーヴェルヴァーグ。チェン・カイコーやチャン・イーモウが現れて、私は大ショックを受けました。それまでは文化大革命があって、前進、前進、前進みたいな共産党っぽい映画が多かったんですけれど、そこにいきなりチャイニーズ・ヌーヴェルヴァーグと呼ばれる「新潮派」が現れた。「黄色い大地」とか「大閲兵」とか、もう今までの中国映画とガラッと違うんですよ。「あ、中国映画、今だ」と思いました。それでどうしても中国映画を勉強したくなったのですが、当時中国映画について書かれていたのは佐藤忠男さんくらいしかいなかった。じゃあ中国に行くしかないだろうと思ったら、登川直樹先生が行かせてくれたんです。「じゃあ行きなさい、単位のことは心配しなくていいよ」と。私、わりとやり始めるとそれだけしか見えなくなるので、それで半年くらい日本で中国語を勉強して、北京と上海に留学して、撮影所に取材に行くくらい頑張って、卒論は中国新潮派で書きました。
その頃、西安映画撮影所といって、新潮派の撮影をしている場所が西安にあったんですね。チャン・イーモウが「赤いコーリャン」を撮ったり、チェン・カイコーが「大閲兵」や「黄色い大地」を撮ったりしていた場所です。そこにも一人で取材に行きました。そうするとね、やっぱり、会ってくれるんです。製作所の所長だった呉天明さんとかも、日本の学生が中国語を習って訪ねてきてくれたといって、スタジオセットとかも全部見せてくれて、若手の監督を紹介してくれて。すごくいい時代でした。ところがそれから1年後に天安門事件が起きちゃうんです。

――ああ、1989年ですね。

古内:そうです。それで一気に映画が失速するんですよ。一回新潮派というのは終わってしまう。だから、すごい過渡期に留学したなと思っていて。このことは後々小説に書いていくことになると思います。当時の中国というのは今からは考えられない、民主化の百花繚乱な感じがありました。映画だけでなく芸術が新しくなって、文学でもそれこそ莫言とかが出てきた時代ですね。

――ノーベル文学賞を獲った、『赤い高粱(コーリャン)』の原作者ですね。

古内:他にも田壮壮とかが出てきていたのに。それが1年でぺしゃんとなってしまった。それを如実に見てしまったので、いずれ小説のテーマになっていくと思います。
それで、中国語がある程度話せるようになったんですが、帰国したのが4年生の夏で。本当だったらもう就職活動は間に合わなかったんですが、某老舗の映画会社がまだ募集をしていて、ギリギリ間に合いました。中国語が喋れるというのを売りに、なんとか新卒入社することができました。当時その会社は中国との合作とかもやっていたので。それで、入社してすぐに、キン・フー映画祭という、中国の黒澤と呼ばれている胡金銓(キン・フー)監督の映画祭があって、スタッフとして参加しました。
その頃は、本当に現場でバリバリやれるくらい話せるかといると、今思えば話せてなかったと思うんです。そのキン・フー監督も、中国や台湾や香港で映画は撮っているんですけれども、普段はロサンゼルスに住んでいる方で英語がペラペラだったので本当は英語の通訳でよかったんですよ。でも中国語が懐かしかったんでしょうね。私のつたない中国語を非常に愛してくれたと思います。もう亡くなられたんですけれど、映画会社勤務時代は何回もお仕事をご一緒させてもらいました。私にとっては登川先生と同じくらい、師です。
「侠女」という映画がいちばん有名で、カンヌ国際映画祭高等技術委員会グランプリを獲っています。いわゆる華麗な、踊るようなカンフーアクションをはじめてハリウッドに持っていって、剣劇ブームの元を作った人でもある。だから、アン・リーとかの師匠に当たる人ですね。心臓のバイパス手術の失敗で亡くなってしまったので、本当はもっと長く生きられたんです。亡くなる直前まで仕事させていただいたこともあり、台湾で作られたキン・フー監督の回顧映画に、私、出演しています(笑)。キン・フー映画祭のプロデューサーと、宇田川幸洋さんという映画評論家の方と、3人で。これは「時不我与 MEMORY OF KING HU」というタイトルでDVDが出ています。キン・フー監督は多才な方でエッセイもいっぱい書かれているんですが、その中にも私は結構出てきています。いずれはその翻訳もやりたいですね。絵も上手で、絵コンテなんかも本当に画家のよう。それもぜひ出したいです。

――映画会社勤務時代、読書はされていましたか。

古内:それが暗黒時代に入りましてですね。仕事関係ではない本をあまり読まなくなっていました。読むのはいわゆる「映画化するから読んで」と言われたベストセラーばかり。仕事が大変だったので趣味で読むとしても軽く読めるものが増えて、それこそ森瑤子さんなんかは読みやすいし面白かったですね。ほかには山田詠美さんや川上弘美さん。それと、映画化のために読んだのだと思いますが、高村薫さんがすごく面白かった。他の会社に取られましたけれど(笑)。

――あ、『マークスの山』ですね。

古内:そうですそうです。他は中国語のものを読んでいました。『赤い高粱』とか『芙蓉鎮』とか、莫言とか。この頃、映画で福井晴敏さんや岩井志麻子さんとお仕事させていただいていますね、福井さんの『戦国自衛隊1549』や岩井さんの『ぼっけえ、きょうてえ』のDVD化の宣伝マンとして。他にも綺羅星のようなベストセラー作家さんにもお会いして、パンフレットやDVDの特典のためのコメントをお願いしたりしていました。当時は自分が作家になるなんて思っていなかったですから、映画会社の人間としてこういう人たちと付き合っていくんだろうと思っていました。

――じゃあ、出版社の人たちとも交流があったんですね。

古内:ああ、角川書店さんとか文藝春秋さんとか、宣伝マンとして会いに行っていました。「帯にこの写真を使ってください」とか(笑)。

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