第220回:辻堂ゆめさん

作家の読書道 第220回:辻堂ゆめさん

大学在学中の2014年に『いなくなった私へ』(応募時「夢のトビラは泉の中に」を改題)で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、若手ミステリー作家として注目される辻堂ゆめさん。小さい頃からお話を作っていた彼女をミステリーに目覚めさせた1冊の本とは? アメリカで過ごした10代前半、兼業作家となった後に取得した免許など、読書遍歴はもちろん、今の彼女を形作るあれこれをうかがいました。

その4「在学中に作家デビュー」 (4/7)

  • いなくなった私へ (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
  • 『いなくなった私へ (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)』
    辻堂 ゆめ
    宝島社
    792円(税込)
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――書くことも再開したわけですよね。

辻堂:高校の時に構想したり書いていたりしたものを完成させて新人賞に送ったりはしたのですが、その時は箸にも棒にもひっかからず。で、大学2年生の時にはじめて大学に入ってから構想したものがあって、それを大学3年生の終わりに発掘して続きを全部書いて出したのがデビュー作になりました。

――2014年に『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞し、改題して刊行した『いなくなった私へ』ですね。ところで、大学でミステリー研究会みたいなところに入るなど誰かと感想を語り合ったり情報交換することはしなかったのですか。

辻堂:大学では、音楽サークルに入ったんです。合唱団で、軽音とミュージカルもやるような音楽サークルで。学部も法学部なので文学に全然関係なかったんです。
 書くことは趣味として誰にも言わずにやっていて、読書も、まあ多少読んでいることはまわりも知っていましたけれど、読書量が戻っていたわけではないので周りには「そこそこ本が好きなのかな」というくらいにしか思われていなかったと思います。

――じゃあ、在学中にデビューが決まって、まわりは驚きましたよね。そういえば、サークルで森絵都さんの姪っ子さんとご一緒だったとか。

辻堂:そうです、そうです。今でも親交はありますが、私が受賞するまで彼女も親戚に作家がいるって言わなかったので知らなかったんですよね。私が受賞してはじめて、「私のおばも作家なんです」と言われて、しかも森絵都さんだというのでびっくりしました。森さんの『カラフル』は中学時代に読んでいましたし。それで、サークルの発表の時に森さんが見に来てくださって、ご挨拶をしたりして(笑)。

――そんな作家同士の出会いもあるのかという。

辻堂:しかも森絵都さんですから。本当にびっくりしました。

――ふふ。ところで、法学部に進学されたのはどうしてだったのですか。

辻堂:作家になるのは夢だったんですけれど、やっぱりすぐ叶うような夢じゃないと思っていたんですよね。能力も必要だし、運も多分に影響するだろうし。家族にも昔から「作家以外の夢を見つけろ」って言われていて、それで、「小学校の学校の先生になりたい」とも言っていたんです。勉強するうちに、「東大とかも行けそうだから、文部科学省にいけば」みたいに言われて。高校の時はそれを真に受けて「ああ、もっと大きな視点から教育に関われるから、私は官僚になろう」って思ったんです。高校の先生にも誘導されていた気がしますね。「法学部か教育学部に興味があります」って言ったのに「じゃあ、文Ⅰだね」とか言われたので(笑)。で、安直に法学部に入ったんです。ただ、大学に入ってから自分には官僚は合わないと思ったので、その道はまったく選びませんでした。
 先によく考えろよって感じなんですけれど、私がやりたかったことって、生徒に教えるとか、勉強を手ほどきすることだったんですよね。でも先輩の話を聞くと官僚の仕事は法律を作るとか国会の答弁を考えるとか、そういうことなので「あれ、私がやりたかった教育というのとは全然違うじゃん」ってなってしまって。法律の授業もいっぱい取りましたが、「法律自体が好き」みたいなオタク気質の学生も結構いて、まったく勝てないなと思って。法律が好きな人や勉強が好きな人が多かったので、「あ、義務感だけで勉強してきた私が官僚になれたとしても絶対に生き残れない」と思ってやめてしまいました。

――小説の新人賞の応募先として、『このミステリーがすごい!』大賞を選んだのはどうしてだったのですか。

辻堂:その後活躍している方がいっぱいいる賞に応募しようと思いました。新人賞っていっぱいありますけれど、受賞しても2作目が出せない人や、その後活躍できるかどうかはその人次第みたいな賞もいっぱいあるので、できることならやっぱり知名度があるというか、過去の受賞した方々が活躍している賞に応募しよう、って。
 自分が書きたかったのはミステリー系統だったので、ググっただけですが調べてみたら、昔から権威があるのは江戸川乱歩賞で、一次選考からネットに選評が掲載されてデビュー後も編集部が面倒見てくれて3冊くらいまで出せるのが『このミステリーがすごい!』大賞で。そのふたつの賞の募集の時期が全然違ったので、「じゃあ、半年に一本書いて応募していこう」と考えました。それで、最初に締切がきたのはこのミス大賞だったので、応募しました。

――それで受賞した、と。

辻堂:はい。次は江戸川乱歩賞に出そうと思っていたので、思いっきり殺人事件が出てくるようなものを途中まで書いていたんですが、このミスで受賞が決まったのでお蔵入りになりました。

――いきなりミステリーを書けましたか。謎の設定とか伏線とかどんでん返しとか、プロットづくりの苦労はなかったですか。

辻堂:最初にミステリーを書こうと思った高校1年生の時のプロットを読み返すと、全然ミステリーとしての体をなしてなくて、解決篇のところでいきなり新事実が出てきちゃったりしてましたね。プロットがうまく組み立てられないから、謎解きまできてごちゃごちゃしてしまうところがありました。ある程度きちんと組み立てられるようになったのは大学に入ってから、何個目かのプロットからだったと思います。でもミステリーの書き方のような本は読んでいなくて、昔読んでいたホームズや、東野圭吾さんや辻村深月さんや湊かなえさんを読んでなんとなく分かっていることのなかでやっていた感じです。だから「ノックスの十戒」のようなミステリーのルールはデビューするまで知らなかったです。逆に、デビューしてからちょっとは勉強しました。

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