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「きのうの空」
評価:AAA
歴史に名をとどめなくても、その道の大立者でなくても、人はその人数分だけ、かけがえのない人生を生きている。そのときどきの微かなきらめきや淡いため息。それらをそっと両の手のひらですくい集めたのがこの短編集である。どれも素晴らしいが、しいて挙げるなら、少年のここではないどこかへの憧憬を生き生きと綴る『旅立ち』、嫁ぐ姉と弟が共有する愛おしさを濃密な時の流れに詠み込んだ『短夜』、若いゆえの無力さがやりきれない『イーッ!』、正月前の慌しさは、後ろを振り返らないための先人の知恵なのか、一家の大黒柱となった寡黙な青年の、老いた母と弟妹を包む眼差しが暖かい『家族』、日常からはみ出せない青年が、元ヤクザの男にとまどいながらも、自身の慾動を重ね合わせる『かげろう』、永遠にぎくしゃくする母子に苦笑いする『息子』、家族を捨て余命幾ばくもない父に長男がほんの少しだけ意地を緩めた『高い高い』、聞こえなくなった線路の響きが寂寥感を誘う『夜汽車』、とても他人事とは思えぬ『男親』、少年期の恋心が儚く匂う『里の秋』、なんだ全部ではないか結局。行間から溢れる<小説力>にしばし呆然と言葉を見失う。そう、元来小説とはそんなものなのだ。新世紀ベスト1必至。 |
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【新潮社】
志水辰夫
本体 1,700円
2001/4
ISBN-4103986034
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「錦絵双花伝」
評価:AA
紀州秦栖藩の命運を握る家康ゆかりの魔剣垢付丸の紛失。その先棒を担いだ奥女中薄墨がいまわの際に産み落とした女児。因果は巡り巡ってやがて舞台は江戸へ。笠森稲荷鳥居脇の水茶屋に、やたら元気で勇ましいお仙はいる。このお仙、茶汲み娘とは世を忍ぶ仮の姿、その実態は幕府御庭番の先手である。そうとは知らないお調子者が江戸一の美女などともてはやしたから、話はややこしくなる。数奇な運命に翻弄されるもう一人の美女お藤、魔剣の邪気に触れた幕府要人のバカ息子、絵師摺師彫師小悪党その他取り巻き野次馬入り乱れ、山田風太郎もびっくりの大活劇になだれ込む。怪物と化したバカ息子が地獄の炎を呼べば、お仙の必殺釣独楽はうなりを上げて空を切る。すべては無念の涙を呑んだ薄墨の母性から始まった。巧妙な伏線あり、意外な結末あり、誇大広告過剰包装一切なしの爽快時代娯楽小説。お仙の上司、倉地政之助の情けない中間管理職ぶりも面白い。 |
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【新潮社】
米村圭伍
本体 1,700円
2001/4
ISBN-4104304034 |
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「ミステリ・オペラ 宿命城殺人事件」
評価:C
人体浮遊に貨物列車消失、密室殺人に見立て殺人と矢継ぎ早に繰り出される大技小技。入り組んだ人間関係。過去と現在の不可解な交錯。これぞ王道の、それもど真ん中を往く堂々たる本格長編ミステリである。ところが贅沢なもので、ミステリ・マニアは足るということを知らない上に、口さがない。よって柔道の公式試合のようにあやふやな判定は頼まれてもできないのだ。本の厚みに比例して、不可能興味の<量>は確かに充分すぎるほどある。あとは、それを上回る<質>をもって解決してくれれば文句なしだった。長丁場を支えるよすがは、やはり全ての疑問が氷解する期待にある。大仰な仕掛けでひねくれた読者をねじ伏せるには、そうとうな体力が不可欠だ。謎のための謎では寂しい。それとあまり魅力的な人物がいないのもつらい。探偵小説に首まで浸かっていた頃なら、もっとのめり込めたかもしれない。 |
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【早川書房】
山田正紀
本体 2,300円
2001/4
ISBN-4152083441 |
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「ホテルカクタス」
評価:A
アパートなのになぜかホテルカクタス、そこにたまたま住む帽子ときゅうりと数字の2の交流。ん? す、数字の2……? あやうくさらっと読み飛ばすところだった。きゅうりと帽子はまだいい。いや、別によくはないが、なんとなく私の頼りない大脳新皮質前頭連合野なら見逃してくれそうな気はするのだ。一応、三次元の物質だし。しかし、数字の2にはたまげた。こんな衝撃を受けたのは、草野心平の『春殖』ぐらいである。高橋新吉もプルトンも裸足でスキップしながら逃げ出すだろうな、数字の2をもってこられたのでは。この言語感覚はただごとではない。不勉強なので私は江國香織という作家をよく知らない。いつも素でこんな風なら、すごいことである。これはもはや<詩>の領域だ。賢治星雲を横切る足穂流星群と、クラフト・エヴィング惑星を結ぶ透明な子午線。その方角から伝わってくる、えもいわれぬパルス。最新にして最大級の超脈動電波星の発見である……などと、いまごろはしゃいでいるのは私だけなのか、ひょっとして。 |
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【ビリケン出版】
江國香織
本体 1,500円
2001/4
ISBN-493902914X |
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「蹲る骨」
評価:B
初めて読むシリーズなので、リーバス警部がいまの立場に置かれている経緯がさっぱりわからないが、それはそれとして、独立したミステリとしてもけっこうな読み応えがあった。リーバスは有能だが、完璧ではない。頑固なわりに軽率なところもある。作者は推理機械としての緻密さよりも、生きた人間の皮膚感覚に重きを置いている。地道な調査に配属された部下の不満とか、上司に付きまとわれる女性刑事の困惑といった、一見どうでもいいような描写も、端役の刑事たちを物語の単なる部品から生身の人間へ昇格させている。国の成り立ちに関わる背景はちょっとうるさい気もしないではない。300年前に併合されたスコットランドの不満より、世界中で行った植民地支配やアイルランドのことをもっと真剣に考えてもらいたい。余談だが<ステープル>と正しく表記した訳には感激した。 |
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【早川書房】
イアン・ランキン
本体 1,800円
2001/4
ISBN-415001700X |
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「真夜中に海がやってきた」
評価:A
詩的な響きの表題に加えて、<覚醒の瞬間>という主題がひときわ刺激的である。語り手が断片的な主観を各々の座標軸に書き留めていく手法には、迷路に踏み込んだ子供さながらに不安をかりたてられた。時計回りに歩く男が作るアポカリプス・カレンダー、メモリーガールの売る記憶、黒く塗られたパラボラアンテナ、狂女の地図など、閉じられた無限大の球体に転がるオブジェが、何度醒めても終わらない悪夢を執拗に思い出させる。覚醒したあと世界は変貌を遂げるのか、それとも単に永いスパンの振り子運動がリセットされるにすぎないのか、その答えは誰にもわからない。変貌したとしても別のカオスが待ち受けているだけのような気もする。傑作ぞろいの6月分テキストだが、実はこの作品がいちばん気に入っている。OSに接続する端子の形状があまりに私とぴたっと合いすぎて、怖いぐらいだった。だから人に教えたりせず、レオノーラ・カリントンの絵画のように、自分一人だけでこっそり楽しんでいたいと思った。 |
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【筑摩書房】
スティーヴ・エリクソン
本体 2,300円
2001/4
ISBN-4480831886 |
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「血脈」
評価:AAA
なんともすさまじい一族である。読んでいると小説がすごいのか、登場する人々がすごいのか、だんだんわからなくなってくる。このもたれ合い、依存し合う小宇宙の重力圏からは誰も脱け出すことができそうにない。常日頃<家族>という単位に幻想を抱いている人は、しばらく立ち直れなくなるだろう。ここに書かれていることがらやできごとは、規模の大小はあるにせよ、おそらくどこの家の中でも起きているはずだからだ。人間の生は醜く意地汚い。作者の筆は生皮を剥がすごとく、容赦なくそれらを暴き、我々の眼前に晒す。理想は気高くとも、心の内には暗い情念をも併せもつ。それが人間なのである。読後、文学者ってなんなのだろうと、考えさせられた。倦むことを知らぬ洽六と息子たちの放恣に押し潰されることなく、孤塁を貫き通したシナの生涯は見事の一言に尽きる。上中下と三巻にも及ぶ大長編だが、文章は平易で非常に読みやすい。私小説の白眉。 |
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【文藝春秋】
佐藤愛子
本体 各2,000円
2001/1-3
ISBN-4163197907
ISBN-4163198601
ISBN-4163199004 |
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「世界の中心で、愛をさけぶ」
評価:A
薄幸な少女のアコースティックな物語である。100人中100人が、そうなるだろうと思うことが、多分その通りになる。そこがよい。ついでだが、アキという名前も非常によい。というよりアキ以外の名前は考えられない。この哀しみに満ちた音感がどうしようもなく胸にくる。たとえ世界の中心でなくても、私だって愛を叫びたい……って、うわごとではないか、これではまるで。けれども、古い体質の人間はこういうシチュエーションにあきれるほど弱いのである。ねじれ曲がったラヴ・ストーリーに飽き飽きしている中年世代は、涙腺がゆるむこと請け合いである。朔太郎の祖父が長年胸に秘めた思いもいじらしく、素直に頷ける。思いはかなわないから美しい。美しいから胸を焦がし、胸を焦がすから余計に思いは募る。昨今の若者にこの気持ちはわかるまい。歳はとってみるものだ。悔しいかね、全国の本を読まない少年少女諸君。 |
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【小学館】
片山恭一
本体 1,400円
2001/3
ISBN-4093860726 |
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「Dr.ハンディーマン」
評価:A
子供の頃から、ハヤカワといえば、ミステリとSFである。ところが本欄のテキストにはしばしばそれ以外のジャンルが取り上げられる。そうでもなければ、長年凝り固まった私の観念は解凍しなかったろう。本書も恋愛小説である。とっかかりの部分に、話ができすぎの感もあるが、カウンセリング・ビジネスの本場アメリカなら、たまにはこんな事故が起きても不思議ではない。ようく考えてみると、人間はどうしたって悩むようにできている。悩まない人間の方が珍しい。要は、ちゃんとした話し相手がいてくれるかどうかである。マギーはそれがいないから嫌な友人に無理やり精神科医のドアを叩かされたのだ。改装工事に来ていて<間違えられた男>ジェイクが行きがかり上とはいえ、持てる力を総動員して、マギーの悩みを一つずつ取り除いていく様子はまことに微笑ましい。映画化されれば、きっと誰もがスクリーンに向かって拍手したくなることだろう。 |
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【早川書房】
リンダ・ニコルズ
本体 1,900円
2001/4
ISBN-4152083433 |
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「オンナ泣き」
評価:AAA
いまのいままで、こんなに簡単なことから我々は目をそらしてきたのか。物事の真理というものは大上段に構えなくても、見るべきものに目を向け、聞くべききことに耳を傾ければ誰にでも理解できたのだ。私は2001年5月20日以降、この北原みのりを無条件に支持し尊敬する。愚にもつかぬ観念論を並べ立てて恥じない学者や、腰の引けたテレビ文化人たちは著者の爪の垢でも煎じて飲めばいい。レイプシーンを好んで書く作家と、それを喜ぶ読者も、なにか反論する勇気があるならやってみるといい。<ジェンダー>のなんたるかを一度も考えたことのない人は、騙されたと思ってこの本をお読み願いたい。著者の人柄がしのばれる痛快な語り口で、とてもわかりやすく書かれている。そして、ここには二つの道が示される。いますぐにでも目を見開くか、残りの半生も引き続き愚か者として過ごすかだ。今月は図らずもAAAの大盤振る舞いとなった。だが、いいものはいいし、面白いものは面白いのだから他にどうすることもできないのである。ところで、誰にいいわけしているのだ私はいま。 |
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【晶文社】
北原みのり
本体 1,600円
2001/4
ISBN-4794964838
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