評価:A いろいろと事件をおこしてはマスコミをにぎわせている<中学生> その実像は、意外なほどに、評者が中学生だったころと、かわっていない。手にのこる精液のにおいを親にかぎつけられたくなくて、(わかるわけないのに)一緒に出かけることを拒否してみせたり、わけのわからない<あせり>を感じていながら、うまく説明できないことにいらだって、母のつくる料理の材料をゆかにぶちまけてみたり。ほしくて買ってもらったはずなのに、いざ手元にあると、そんなにギターがほしかったわけでもないことに気づいた。て、のは評者も覚えがあります(笑)おとなは誰もがかつては中学生であったはずなのに、そのことを忘れている。それは、どんどんかわっていく自分のからだや周囲の環境にうまく対応できなくて、とまどったり、照れてみたりした<中学生の自分>が、思い返してみると、こっけいで、恥ずかしいものに感じられてしまうからでは、ないだろうか。読みながら、じぶんが中学生だったころのことをいろいろと思い出してしまった。
評価:D 今月は「昔の女が忘れられへん」日米の<あかんたれ>競演です(もうひとつは「ハートウッド」)。ストーリー展開の巧みさ、警察がらみの事件という話題性ではピカイチ。け’ど、主人公の心情があきまへん。「彼が何故美奈子に入れあげ、幸恵に振り向こうとしないのか、その男心の微妙なありようをぜひ読みとっていただきたい」と解説の香山二三郎はんは言うてはります。け’ど、あかん。指一本ふれたことない女に入れあげるて、評者には信じられへん。一方で、これだけ主人公を慕ってはんのにソデにされる幸恵はんは顔が不自由やのん?ラストの言葉「いつかは美奈子が心を開き、私を振り向いてくれる時も来るだろう」に、「来(き)いひん、きいひん」とツッコミをいれてまいました。
評価:E 前回パスしてしまったので、小野不由美初体験。「由美にあらず、不由美」という名前が前から気になって仕方がなかった、のではあるが。そんな名前の著者だから滅法、漢文には強いらしく、登場人物、官職名、地名等々、固有名詞は全て漢字。中国歴史小説のつもりで読み始めると、台詞の軟弱さに肩透かしを食う事になる。中国歴史小説が徹底して男の論理で描かれているのに対し、不由美的神話世界は女・子供の論理で貫かれている。為か、幻想小説ではなく、中国歴史小説の戯画化と読めてしまう。参ったか、この批評も漢字を多くしたぞ(笑)
評価:A わらっている場合ではありませんよ。いちおう2075年という設定になってはいますが、この物語の世界の芽は、現代のなかに生まれつつあります。<役にたつ/たたない>だけで人間を選別し、選別した側は、その結果にたいしてなんら責任をとらない。いまのリストラとかわらないじゃないですか。斎藤家は太田道灌から土地をあたえられた由緒あるおうち。当主、総一郎は裁判官として日本のために働いてきたのだが、裁判がコンピュータ化されたことにより失職、すなわち「役にたたない」烙印をおされたことに(本人はなかなか気づかへんけど)。斎藤家は道灌ゆかりの土地をおわれ、移り住んだ東京湾の人工島も貴金属バナジウムが発見されたことで、再度の移転をせまられる。今度の移転先は毒ガスで汚染された成田空港の跡地。国家のためにつくしてきた斎藤総一郎もこの仕打ちに、さすがに反旗を翻す。小林よしのりに「サヨク」と言われようが、この際言っておく、資本主義だろうが、共産主義だろうが、軍国主義だろうが、官僚がのさばると権力は腐敗する。<国のため>という国民の誠意は、官僚主義のためにやすやすと踏みにじられる。斎藤家のように。
評価:B 翻訳調の文体がめっちゃクサイ! 関西人にはうけへんやろな(笑)何をそんなにきどってはりまんの、言われて。池袋を舞台にしたストリート・ライフ。この<疾走感>はイメージとしての<東京>やねんけど。池袋って、こないに、かっこよかった?プロット、スピード感は言うこと、ありまへん。若者が赤と青のチームに分かれて抗争、いうのんは、何年かまえにテレビ番組で紹介されてたのんを見たことある! ほかにも、援助交際、スピード(薬)など、素材のつかみ方が、なかなかリアルやね。
評価:D 悪夢です。早く覚めてほしいと願いながら、けっして覚めることのない。目をそらすこともできない。540ページの不条理。よくわからない展開も悪夢と思えば、いたしかたない。ヨークシャー・ポストの記者エディーは、父親が亡くなったばかりなのに仕事に就かなければならない。すっきりしない気分のまま少女失踪事件を担当。これが猟奇殺人事件となるのだが、「親切」な警官ふたりが、エディーの骨を折るのとひきかえに遺体の写真を提供してくれたりする。これは単なるはじまりで、天中殺、大殺界、十三日の金曜日がまとめてやってきたかのように、厄災が彼のうえにふりかかっていく。ちょっと気をつけていれば、酒を飲んでいなければ、やけにさえならなければ、避けられたトラブルも少なくなくて、読んでいて腹立たしくもなる。事件は、過去のふたつの少女失踪事件とむすびついて、ヨークシャーの政財界をまきこんだ一大スキャンダルに発展する。の、だが、エディーは立ち直ることができないまま、みすみすワナにはめられていく。景気のいいイギリスでは、余裕をもって、ノワール(暗黒)小説をたのしむこともできようが、今の日本では、気が滅入ってしまい、ちょっと、いや、かなり、つらい。
評価:B 水鉄砲を片手に、強盗よろしく、女の子の家に押し入るフロリダの高校生。バカですねえ。日本なら十中八、九きらわれる(笑)そこに、本物の殺し屋がいて、樹上生活者がいて、蟇蛙にエサを横取りされていつもおなかをすかせたアホな犬までいて、もう、むちゃくちゃでんがな。核兵器ジャックまで話がいくかあ!? この本を読んでいる間、評者も、わけのわからんギャグを飛ばしつづけて、周囲のヒンシュクをかいまくりました。たった3日間だけど。日本の景気回復は、この本を読むことから。核兵器も、不景気も、笑い飛ばせ!
評価:B ハヤカワepi文庫のおかげで、本誌も純文学をとりあげるようになった(笑)。「社会主義下のチェコで」と語られることの多い作品ではあろうが、主人公ヤロミールのもつ残酷さ、独善性は古今東西、<若さゆえのバカさ>がもたらすもの。ドストエフスキー『罪と罰』のラスコリーニコフ、連合赤軍事件の永田洋子とも共通する。クンデラはドストエフスキーと違い、主人公を改心させることなく、肺炎で死なせる。主人公によって災厄に巻き込まれたすべてのひとの人生を<犬死>にさせるために。そのへんに著者の祖国への<怨み>がこめられているのだろう。評者としては、むしろ、文化人のスノッブさ、母から与えられた時代遅れの下着に嫌悪する少年の心理に、体制をこえた普遍性をかんじ、共感することができる、のだが。高校生・大学生諸君には、若さのもつ危うさをかんじとってもらいたい。ラストがわかりにくいのがちょっと難。
評価:C 現代は「ワイルド・ホースイズ(荒馬たち)」。ラスベガスで保母をしていた主人公アリスンが、悪党どもにおわれているうちに、自分のなかで眠っていた野生の血にめざめていく。というテーマもさることながら、プロットまでもが、いかにもアメリカ人の喜びそうな、追いつ追われつの展開。が、100ページ近くならないと、話がおもしろくなってこないので、忙しい人には不向きかもしれない。「銃のおかげで病的ともいえる安心感や、真偽はあやふやではあるものの自分は無敵だという感覚を味わっている。」やれやれ。アメリカ人は、どこまでも銃を信仰し、警官の世話になんかなるもんかという、開拓時代の哲学を21世紀にももちこしたのであった。
評価:B アメリカ南部の自然が美しく描かれている。でも、出てくる人間はどいつもこいつもクレイジー。主人公のビリー(弁護士)さえもが、青春の日の思い出に幻惑されて、依頼人や下請け女性探偵のひんしゅく・失望をかう始末。アメリカ人は、田舎の弁護士からクリントンにいたるまで、やっていいことと悪いことの区別がつかなくなっているらしい。さて、話はアール一家の悪行の数々に、お人よしのビリーもついに堪忍袋の緒が切れて、テキサス・レンジャーに大変身。馬にまたがり、ショット・ガン片手に、投げ縄をふりまわす。アメリカの水戸黄門(爆)。それにしても、アメリカの小説にはどうしてこうもクレイジーな人間ばかり出てくるのか? (1)アメリカ人はみんなクレイジー(2)アメリカの作家はクレイジーな人間がすき(3)アメリカの読者はそんな人物ばかり出てくる小説を読みたがる(4)日本の編集者はそんな話ばかりを翻訳したがる。さて、正解は?