年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班
中原 紀生の<<書評>>
今月のランキングへ
今月の課題図書へ


道祖土家の猿嫁
道祖土家の猿嫁
【講談社文庫】
坂東眞砂子
定価 860円(税込)
2003/1
ISBN-4062736446
評価:A
 民話的リアリズム、あるいは土着的想像力の発火点とでも言おうか。火振村の道祖土家に嫁いだ猿顔の嫁・蕗が、屋敷裏の生き守様の祠の奥の闇の揺らめきに感じとったもの。この世のものでありながら生死を超えた、何かしら大らかでエロティックな力を秘めた根源的なものへの畏れ。──この作品は、自由民権運動から日露戦争、太平洋戦争へと激動する近代国家を背景に、土佐の一地方の名家の五代にわたる濃密な人間関係が織りなす物語を、蕗の嫁入りからその死まで、六つの説話的短編で綴った連作小説で、とりわけ終章、蕗の三十三回忌に、やがて取り壊されることとなる道祖土家を訪れた曾孫・十緒子によって語られる後日譚は深い哀しみを湛え、感動を誘う。「終わりとは、始まりを意味する。ここが裏山に呑みこまれた時、土地は山の一部として新たに息づきはじめるのだろう。…私は祠の中を覗いてみたが、子供の時と同じく、そこにはただ暗い闇しか漂ってなかった」。

走るジイサン
走るジイサン
【集英社文庫】
池永陽
定価 420円(税込)
2003/1
ISBN-408747531X
評価:AA
 鮮やかな作品だ。滑稽味と滋味と人情味をほどよく漂わせながら、シュールな寂寥感と苦い味わいを醸しだす、軽さと重さ、薄さと濃さが綯い交ぜになったちょっと不思議な、比類ない物語世界を見事につくりあげている。これはまったく新しい「青春小説」で、処女作でこれほどの達成をなしとげる作者の力量は相当なものだ。──
「走るジイサン」こと勝目作次(69歳)は鋳物職人あがりで、「人間の本音はもっと単純でやさしい言葉の中にひそんでいる」と思っている。だから、子連れの中年男との恋愛に悩む明ちゃんが描いた絵の赤い色の微妙な変化に気づいたり、息子の嫁の京子さんの凛とした硬質の輝きに惹かれたりする。それは、老人こそがもちうる鍛えぬかれた感受性である。友人の建造(66歳)が作次に語る。「老人ってのは異人だと私は思うね。稀人ですよ。多くなりすぎた稀人です。民俗学の柳田国男のいう魑魅魍魎のたぐいですよ。普通の人から見ればもう人間じゃないんですよ」。この作品は、川端康成の『山の音』にも拮抗しうる、まったく新しい「妖怪小説」である。

幻獣ムベンベを追え
幻獣ムベンベを追え
【集英社文庫】
高野秀行
定価 540円(税込)
2003/1
ISBN-4087475387
評価:C
 人はなぜ探検をするのか。そんな問いはつまらない。ある種の人々にとって、それはなぜ生きるのかという問いに等しい愚問でしかない。探検記の面白さは、感想や情緒を廃した徹底的なリアリズムにあるのであって、ほとんど日常の退屈さと紙一重の上にかろうじて読むに値する表現をなりたたせるのは、尋常でない出来事や痛快な行動などではない。記録はつねに事後に書かれる。すべてが終わり、あらゆる主観の軋轢や生の感情の錯綜が濾過された後で、しかし今なお完結しない物語として綴られるのだ。私にとってあの探検は何だったのか。それこそが問われるべき問いである。その答えを徹底したリアリズムでもって、克明にひとつの客観物として造形しえたとき、はじめてすぐれた探検記が生まれる。そういう意味で、本書で一番面白いのは文庫版あとがきだった。そこに記された「早稲田大学探検部コンゴ・ドラゴン・プロジェクト・メンバー」十一人の、消息不明の一人を含めたその後の人生が、読後の印象をやや濃いものにしてくれた。

あとがき大全
あとがき大全
【文春文庫】
夢枕獏
定価 790円(税込)
2003/1
ISBN-4167528088
評価:A
 なんの自慢にもならないけれど、私は夢枕獏の小説を一冊も読んだことがない。本書を読み終えたいまも、「この作者の小説を猛烈に読みたく」(北上次郎氏)なったわけではない。そんな私が言うのだから間違いない。この本は掛け値なしに、すこぶる滅法面白い。──『陰陽師』をめぐる岡野玲子さんとの対話や、本書にも出てくる中沢新一さんとの掛け合い、旅のエッセイなど、ときおり目にする発言や文章を読んで、この人はただ者ではないと思っていた。その片鱗は、はじめての本(『ねこひきのオルオラネ』)のあとがきのうちに既にくっきりと刻印されていた。「山と宇宙とは同質で、宇宙は神と同質である。そう気がついたら、なんだみんな山ではないか、そう思った」。「…写実[リアル]をつきつめた果てに、ふわっと幻想空間があらわれる…。もし、現代のファンタジイが生まれるとすれば、そういう方法によってだとぼくは思う」。夢枕獏は「物語」というものの実質を身をもって知っている。混沌のなかの原理、自然と身体と「表現」との関係を精確に見すえている。やはり、この人はただ者ではない。

涙
(上・下)
【新潮文庫】
乃南アサ
定価 (上)620円(下)700円(税込)
2003/2
(上)ISBN-4101425256
(下)ISBN-4101425264
評価:B
 真正の傑作になり損ねた「傑作ミステリー」だ。まず、失踪した婚約者の跡を追う旬子がストーリーの展開とともに成長しない。多少は強くなるけれど、結局最後まで「お嬢さん」のままで終わるし、宮古島での嵐の夜のことも「金輪際、思い出したくない」と封印してしまう。だから、プロローグとエピローグで明かされる後日譚が、本編と交差して作品を立体的に造形しない。何よりも、作品のクライマックスをなす嵐の夜に明かされる「慟哭の真実」に、いまひとつ説得力と迫真性がない。だから、作品は深い哀しみを湛えない。東京オリンピックの年(沖縄へ行くのにパスポートが必要だった時代)を本編の舞台に選び、時代の匂いを丹念に書き込みながら、淡々と物語の核心に迫る乃南アサの筆は冴えている。それだけにこれらの小さな疵が惜しい。ただ救いは韮山とルミ子の交情だ。「あんた、娘さんの何を知っていました」。殺された娘の本当の姿を知った時、韮山の凍った心がしだいに転回し、やがて不幸な少女を養女に迎える。この本編のもう一つのストーリーは深い感銘を与える。それだけに、惜しい。

沙中の回廊
沙中の回廊(上・下)
【朝日文庫】
宮城谷昌光
定価 (各)700円(税込)
2003/2
(上)ISBN-4022643021
(下)ISBN-402264303X
評価:B
 冒頭のいかにも大衆小説風の書き出しに、血湧き肉躍る爽快な物語を期待した。「この世は玄通だな。ひとつわかれば、そこに未知という回廊がいくつかあらわれる」。後に晋国宰相にのぼりつめる若き士会が吐くこの言葉に、希代の兵法家の痛快無比にして機略縦横の活躍を期待した。だが、所は中国、時は春秋の世、現代人の感覚では計り知れない論理がはたらく別世界である。人々を動かす原理は、礼であり義であり徳である。「徳の原義は、呪力のある目でおこなうまじないのこと」であったという。何しろ宗教が生まれる前夜、呪術が政治を支配する時代なのだ。内省を知った個人の主観的心理や感情ではなく、あくまで行動のうちに結晶する人としての格や器量こそが問題とされるのである。近代小説の骨法をふまえたロマンを期待するのは野暮というものだ。宮城谷昌光の文体は終始乱れず、この異界の物語を描写しつくした。偉業である。いったんはまると、おそらくぬけだせまい。

『坊っちゃん』の時代
『坊っちゃん』の時代(1〜5)
【双葉文庫】
関川夏央・谷口ジロー
定価 600円〜650円(税込)
2002/11〜2003/2
(1)ISBN-4575712299
(2)ISBN-4575712302
(3)ISBN-4575712310
(4)ISBN-457571240X
(5)ISBN-4575712442
評価:AAA
 かつて、「週刊漫画アクション」は伝説の雑誌だった。G5の仲間入りを果たしたプラザ合意の翌年の暮れ、日本が戦後の呪縛から解放され、モデルなき未知の国家へと突き進もうとするまさにその時、「“坊っちゃん”とその時代」の連載は始まった。リアルタイムで関川夏央の文体に痺れ、谷口ジローの画業に驚嘆した私である。だからこの五部作が希にみる傑作であることは実地に体験している。いままた文庫版で全巻を通読し、そこで示された歴史観がいかに時代を先駆け、かつ時代を拓いていったものであったか、あらためてその先見に畏れをいだいている。ここにはたしかに文芸批評の新しいかたちが息づいている。──もはやこれ以上の贅言は慎みたいが、文庫による再読の愉しみは巻末にある。高橋源一郎、川上弘美、フレデリック・L・ショット、加藤典洋、養老孟司の各氏による各巻の解説は、いずれも力のこもったものであったことを特筆しておきたい。

鉤爪プレイバック
鉤爪プレイバック
【ヴィレッジブックス】
エリック・ガルシア
定価 924円(税込)
2003/1
ISBN-4789719804
評価:AA
 LAの私立探偵「ヴィニー坊や」もしくは「ヴィンセントちゃん」ことヴィンセント・ルビオと相棒のアーニー・ワトソンの絶妙コンビが、謎のカルト教団「祖竜教会」の企みを暴き潰えさせる冒険活劇で、妖艶な魅力をたたえた「悪女」キルケーとヴィンセントの苦い恋の顛末が物語に陰翳をもたらすスラップスティック・ハードボイルドの傑作。でも、あまたの傑作と違うところが一つあって、それは(その昔はやった「奥様は魔女」風に言えば)「探偵は恐竜だったのです」。──この趣向が凄いのは、もちろん恐竜が人間に扮装して人類社会にとけこんでいたり、恐竜にもゲイがいたり、恐竜とのセックスを好む人間がいることのおかしさもあるけれど(笑える)、なによりも過激に個性的な登場人物のその過激さや、ヴィンセントがキルケーの強烈なフェロモンにラリってしまうことを、「まあ、恐竜だったらしかたがないか」と読者に有無を言わせず納得させてしまうことだろう。(それとも、チャンドラーに還るためには、尋常の趣向ではかなわないということか。)

モンスター・ドライヴイン
モンスター・ドライヴイン
【創元SF文庫】
ジョー・R・ランズデール
定価 630円(税込)
2003/2
ISBN-4488717012
評価:D
 手のうちようのない苦手なジャンルというものがあって、私にとってのそれはナンセンスSFとかドタバタ・ホラーの類。とはいえ、筒井康隆さんとかルーディ・ラッカーの書いたものなら結構どころか、かなり好きな方なのだけれど、「異才ランズデールの名を馳せしめた、伝説の奇想天外スラプスティック青春ホラーSF」と扉に紹介されたこの作品の場合は、まったく駄目。生理的に受けつけないというか、存在意義すらまったく理解できないありさまで、最後まで読み通すのが苦痛だった。まあそれは趣味の問題なのだから、いかんともしがたい話。これは言わずもがなの蛇足ですが、そういうジャンルを愛好される方は、私の感想など歯牙にもかける必要はありません。

拳銃猿
拳銃猿
【ハヤカワ文庫HM】
ヴィクター・ギシュラー
定価 861円(税込)
2003/2
ISBN-4151739513
評価:A
 読みはじめてすぐに、クエンティン・タランティーノ(「レザボア・ドッグス」とか「パルプ・フィクション」)の名が頭をよぎった。読後の楽しみに訳者あとがきを眺めていると、その道の目利きもやっぱりタランティーノの一連の映画を連想し、そこに「共通の空気感」を感じたらしくて、この作品のことを「二十一世紀初頭に生まれた新しいパルプ・フィクションと呼べるかもしれない」と評していた。なにしろ冒頭いきなり本編の主人公・殺し屋チャーリーと、チャーリーが殺したばかりの男の元妻で剥製師のマーシーが出来てしまう唐突さに驚かされたかと思うと、いったい時代はいつで、どこが舞台なのかさっぱり見当がつかないシチュエーションに投げ出され、たちまちギャングどもの陰謀と抗争が始まるや、わがチャーリーのボスや仲間や家族への熱い思い(というよりアドレナリン)が滾って、FBIが絡んでの混戦状態を累々たる屍とともに乗り越え、一気にクライマックスへと突っ走っていく。この荒唐無稽で単純で異様なまでのスピード感が、とにかくたまらない。

□戻る□