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オーデュボンの祈り
【新潮文庫 】
伊坂幸太郎
定価 660円(税込)
2003/12
ISBN-4101250219 |
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評価:B
どことなく高橋留美子の世界を思わせる、シュールで軽妙で(高所恐怖症の人間ならきっとゾッとするに違いない)奇妙な浮遊感覚が漂うユーモア・ミステリー。殺されるのは、鳥を唯一の友とする、優午という名の喋るカカシ。優午は未来を予測することができるが、未来を変えることはできない。それはちょうど小説の中の名探偵のようなもの。事件の真相を解明することはできるが、犯罪を止めることはできない。舞台は、江戸時代以来ずっと鎖国のまま、ただ一人の「商社マン」によって外界とつながっている荻島。島には古くからの言い伝えがある。それは「この島には何かが欠けている」というもの。先に探偵役が殺されてしまうという、倒叙ならぬ倒錯したミステリーにふさわしい捻れた時空。これをファンタジーや寓話と受けとってしまうと、この作品は楽しめない。記号を、それが意味するものにおきかえて事足れりとするなら、それは論文を読むのと同じ。意味すること、あるいは謎の解明プロセスそのものを楽しむのでなければ、小説を読む意味がない。たとえ、記号に意味がないとしても。あるいは、真犯人がいないとしても。
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ロマンス小説の7日間
【角川文庫 】
三浦しをん
定価 620円(税込)
2003/11
ISBN-4043736010 |
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評価:C
歯の浮くような英国中世騎士道ロマンの翻訳を依頼されたあかりが、ボーイフレンドの神名とのドタバタ騒ぎに苛立って、勝手に作品を書きかえてしまう。やがて、フィクションとリアル、ロマンス小説と現実世界が渾然と一つになっていく。この趣向にはちょっと期待させられもした。あかりがリライトするロマンス小説の部分は、結構よくできている。でも、肝心のリアルの部分がちっとも面白くないし、翻案部分とうまく噛みあっていかない。こういうのをアイデア倒れという。──太宰治に「ろまん燈籠」という作品があるのを思い出した。正月の座興に、五人の兄弟姉妹が交代で五日かけて一つの物語(王子とラプンツェルのロマンス譚)を書き継ぐ。そこに子供たちの性格が露骨に反映していって、最後にちょっとした「感動」を誘うオチがつくという、愛すべき小品だった。
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白い部屋で月の歌を
【角川ホラー文庫】
朱川湊人
定価 580円(税込)
2003/11
ISBN-4043735014 |
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評価:B
表題作は、結末の意外性に新味がなく短編小説としてのキレはいまひとつだったけれども、語り口が滑らかで、作品の外面に漂う淫猥でどこかいかがわしい雰囲気と無垢で清純な内面世界とが品よくブレンドされていて、好感がもてた。併録された「鉄柱(クロガネノミハシラ)」は、丁寧に書きこまれた文章がしだいに薄ら寒い世界を紡ぎだしていく筆の運びに非凡なものを感じた。ただ、描かれている出来事や舞台設定はありふれていて凡庸。著者は、斬新なアイデアや読者を唸らせるトリックで勝負するより、語り口で読者を惹きつけ物語の迷宮に誘いこんでいくタイプなのだと思う。ホラー小説のジャンルに新境地をひらく、いや、ジャンルをつきぬけて読者の心を揺さぶる長編小説の書き手になりそうな予感。
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風転(上・中・下)
【集英社文庫】
花村萬月
(上)定価 720円(税込), 2003/09, ISBN-4087476146
(中)定価 760円(税込), 2003/10, ISBN-4087476251
(下)定価 700円(税込), 2003/11, ISBN-4087476375 |
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評価:A
ずいぶんと破格な作品だ。作者は、父殺しの少年ヒカルの言動を中心にすえながら、ヒカルとともにオートバイでの逃避行を続ける孤独なインテリヤクザの鉄男、ヒカルの子を流産した萌子、元刑事の恩田、萌子の親友で虚言癖のある夏美、殺し屋の「死に神」、そしてヒカルの母真莉子と、それぞれの生と死の軌跡を寄り添わせるのだが、そこには一貫性がなく、物語としてほとんど破綻している。登場人物は観念だけで行動し、およそ現実にはあり得ない会話を交わし、作者の操り人形のように唐突な関係を結ぶ。文学にかぶれた人間が勘違いして、強靱な体力だけで書き上げた最悪の失敗作と紙一重なのだ。その紙一重を突き抜けるためには、一度死ななければならない。花村萬月は、この作品を書くことで一度死んだ。登場人物の死に託して、自らを葬り去ったはずだ。作家として生まれなおし、想像力を鍛えあげ、観念に肉体を与え、再生の儀礼としての文学を産み出すために。──中巻の58頁に出てくる鉄男の言葉が深い。「じつは、オートバイが走るということの力学的な解明はいまだに完全になされていないんだ。論理が確立していない。でも、人間はそれを巧みに操ることができる。論理が確立していないからこそ、あれこれ試行錯誤して自分のスタイルをつくりあげる余地がある。」ここで、オートバイは人生の比喩ではない。むしろ肉体、躯、欲望と見るべきで、実はそこにこそ想像力の、つまり文学(スタイル)の根がある。
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恋愛論アンソロジー
【中公文庫】
小谷野敦
定価 940円(税込)
2003/10
ISBN-4122042771 |
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評価:B
恋愛論でアンソロジーを編むのなら、シェイクスピアやゲーテ(悩めるウェルテル)やサドやナボコフが出てきてもいいし、中国やインドの古典も漁ってほしいし、そのほか思いつくまま名を挙げるならば、近松門左衛門やらフランチェスコ・アルベローニなどに言及してもいいだろうし、オクタビオ・パス(『二重の炎』)や本邦のイナガキ・タルホ(『少年愛の美学』)ははずせないし、ロラン・バルトや澁澤龍彦といった希代のアンソロジストの向こうを張ってみせてほしい。と、まあ、無い物ねだりが延々と続くわけで、それほどまでにアンソロジーという試みは魅惑的なのだ。よほど周到細心に取り組まなければ、編者はサンドバックにされる。そんな危険な賭けに挑んだ小谷野敦の蛮勇がまず潔い。大学のゼミの教材を読まされているような感じがしないでもないけれど、明治大正昭和初期の文人、ジャーナリスト、知識人の文章が多く収められているのが地味ながら本書のウリの一つで、この編集方針に賛成の一票。
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ソクラテスの口説き方
【文春文庫 】
土屋賢二
定価 490円(税込)
2003/12
ISBN-4167588072 |
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評価:A
その昔、東海林さだおや山下洋輔や伊丹十三や椎名誠といった面々のエッセイにハマったことがあって、一時期、来る日も来る日も貪り読み、抜け出せなくなった。いま読み返してみてもやっぱり面白いし、名品揃いだと思うが、一時に大量読むのはよくない。トローチのように一粒ずつゆっくり舐めて、せいぜい一日五粒くらいにしないと胃が荒れる。とくに若い頃の大量摂取は、その後の精神の質を歪にするおそれがあってよろしくない。土屋賢二のエッセイには、東海林さだおや山下洋輔や伊丹十三や椎名誠といった面々の文章に通じる中毒性がある。いや、もっとたちが悪い。なにせ哲学者なのだから、一筋縄でいくはずがない。柔で未熟な精神は、そこにくっきりと描かれたパーソナリティ(ツチヤ教授)を著者の人格そのものと取り違えてしまう。過激過剰をユーモアと誤解する。書くという行為がいかに意図的なものか。だからそこでは悪意と欲望を巧妙に韜晦する技術がいかに狡猾に駆使されているか。そういったことを充分弁えた上で、味わわないといけない。だらしなく読み続けて、ゲラゲラ笑っているだけでは馬鹿になる。随所に挿入された稚拙で素朴なイラストが愛らしいが、騙されてはいけない。
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ラリパッパ・レストラン
【文春文庫】
ニコラス・ブリンコウ
定価 720円(税込)
2003/11
ISBN-4167661500 |
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評価:C
「一種独特なアホ」のホギーと「オリンピック級の精神異常者」のチェブのいかれたコンビは、いつもラリっていて危なげでどうしようもない人物だけれど、妙に心に残る。小麦文明論をのたまう売人のナズにしても、スーザンやジュールズにしても、大虐殺事件にまきこまれるその他大勢の人物にしても、いずれも妙に気にかかる。ストーリーはまるで面白くないし、読み終えてなんの感銘も残らない。ただ独特の雰囲気、ある時代の気分のようなものは濃厚に漂っている。それだけで充分なのかもしれない。誰と名ざすことはできないが、しかるべき男優、女優を得て映画化されたならば、珠玉の名品になったかもしれない。「ラリパッパ・レストラン」という邦題は、よくできているとは思うけれど、ちょっと損をしているのではないか。
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アップ・カントリー(上・下)
【講談社文庫 】
ネルソン・デミル
2003/11
(上)定価 1170円(税込),ISBN-4062738988
(下)定価 1240円(税込),ISBN-4062738996 |
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評価:A
アップ・カントリー(田舎のほう)。軍隊の内輪の言葉で、都会を出て、行きたくない場所(たとえば山林やジャングル)に赴くこと。陸軍犯罪捜査部を退役したポール・ブレナー(あの『将軍の娘』での活躍が懐かしい、でも映画でブレナー役を演じたジョン・トラヴォルタはミス・キャストだと思う)にとって、それは封印した過去へ、ヴェトナム戦争での忌まわしい記憶へと遡行することだった…。三十数年前の戦場での殺人事件の謎解きと冒険、法的正義と政治的謀略をめぐる確執、魅力的なスーザン・ヴェバーとの虚実まじえた駆け引きや執拗で陰湿なマン大佐との「友情」、ヴェトナムの諸都市と山岳地域、過去と現在をめぐる蘊蓄や情報。なんともゴージャスで読みごたえのある雄編なのだが、解説子(吉野仁)がいう「観光小説」の部分がやたらと冗長で、物語のスピードと質を損ねている。(二つの小説を同時に読んだと思えば、それは許せるのだけれど。)──ブレナーとスーザンのへらず口のたたきあいがとてもいい。なかでも傑作なのは上巻の493頁。「きみと三日間も過ごしたら、そのあと三日間の保養休暇が必要になりそうだよ」「年を食ってるにしては、きちんとシェイプアップしているくせに。泳げるの?」「魚も顔負けにね」「山歩きは?」「ロッキーを駆けぬける山羊なみに」「ダンスは?」「ジョン・トラヴォルタもまっ青さ」
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ルールズ・オブ・アトラクション
【ヴィレッジブックス】
ブレット・イーストン・エリス
定価 840円(税込)
2003/9
ISBN-478972106X |
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評価:B
気のせいかもしれないけれど、初めてヌーベルバーグ映画を観たときの印象がよみがえった。名著『〈映画の見方〉がわかる本』の著者町山智浩さんが書いた解説によると、この作品には、ジェームズ・ジョイスの「意識の流れ」とドストエフスキー(『地下生活者の手記』)の延々と続くモノローグとヘミングウェイの一人称の語りという、三つの文学的伝統が脈打っているという。まことに鮮やかな分析で、この比類ない言語体験をもたらしてくれる作品世界の質を見事に言い当てている。ただ、やや読み急いだため、その世界にじゅうぶん浸りきることができなかった。(読む時と心身状態を得ていたならば、きっと忘れ難い作品になっただろうと思う。)
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亡国のゲーム(上・下)
【二見文庫】
グレン・ミード
2003/12
(上)定価 1,000円(税込),ISBN-4576032143
(下)定価 1,000円(税込),ISBN-4576032151 |
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評価:AA
周到に練りあげられた無駄のない構成。丹念に書き込まれた(まるで映画のカットをまるごと文章化したような)細部の積み重ね。適度に類型化されたわかりやすい人物群。物語の骨格をなす主要人物たちが奏でる対位法(ロシアの血が混じったチャチェン人テロリストのニコライ・ゴレフとパレスチナ人テロリストのカルラとその息子ヨセフ。FBI捜査官ジャック・コリンズと亡くなった妻子、そして現在の恋人ニッキとその息子ダニエル。これら二組もしくは三組の男女、親子の関係の対比。ロシア連邦保安局のクルスク少佐とゴレフとの友情。アル・カイーダのテロリスト、ラシフに対するジャックの憎悪。これら二つの感情の対比。高潔な合衆国大統領と邪悪なアル・カイーダの指導者との対比。)そのどれをとっても良くできた第一級の娯楽小説で、だから安心して著者の術中にはまり、時を忘れることができる。あらかじめ約束された大団円とカタルシスをめざし、緩急をつけながら頁を繰っていける。──著者覚え書きによると、この作品の第一稿を書き終えた直後に「9.11」の惨事が勃発したという。このできすぎた偶然に著者は動揺したかもしれないが、気にすることはない。たかが娯楽小説、リアルな世界の薄っぺらな表層と底知れぬ深層を抉ることなど、はなから期待していない。
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