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勝手に目利き
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平野 敬三の<<書評>>



モダンガール論
モダンガール論
【文春文庫】
斉藤美奈子
定価 690円(税込)
2003/12
ISBN-4167656876
評価:B
 19歳で初めてアフリカを旅行して学んだことは、アフリカの人も「生きている」のだということ。朝起きて、ご飯を食べて、働いて、SEXして寝る。日常の些細な出来事で泣いて笑って悩んで喜んで。そんな当たり前の彼らの姿がひどく新鮮だった。でも、それは裏を返せば、僕の彼らに対する無知と偏見の証左だったわけである。本書を読んで、真っ先にそのことを思い出した。本書の主人公である20世紀を生きた女性たちがまさに「生きていた」ことに驚きと興奮をおぼえたのですが、それって要は「昔の女性」を画一的にとらえていたからに過ぎないし、彼女たちが何に悩んで、そして何に喜びを感じていたか、まったく想像つかなかったということなのである。しかしまあ、そういうことに考えを及ぼす「機会」自体がなかったのだから、そういう意味で本書を読む価値は非常に高い。結論は年収300万円時代ではもはや凡庸なものだが、そこまでのプロセスはノンストップで読ませてくれます。

銀杏坂
銀杏坂
【光文社文庫】
松尾由美
定価 600円(税込)
2004/1
ISBN-4334736157
評価:BB
 人は「失う」ということをある時は悲しみ、ある時はさみしく思い、そしてある時は恐れる。それは大切なものや人だったり、場合によっては形のない何かということもあるだろう。それゆえに「喪失」をテーマにした物語は古今東西、数え切れないほど存在してきた。本書は連作ミステリーという形を取りながら、本質的には、「失うこと」を恐れ悲しみ、さみしさに飲み込まれそうになりながら、それを受け入れ再生していく人たちの物語だ。つらいことから目をそらすために生まれたのが幻だと鋭い視線を向けながら、しかしそれがなんだというのかそれでいいではないか、と自然な笑顔で包み込んでくれるやさしさがここにはある。重松清が書けばもっと俺好みのぼろぼろに泣ける小説になっただろうな、と思いつつ、ここで寸止めするのが著者の味だということも納得した。奇々怪々な出来事を、京極夏彦などとはまた別の方向へ着地させた著者の世界観にとても好感を持ちました。

薔薇窓
薔薇窓(上・下)
【新潮文庫】
帚木蓬生
(上)定価 700円(税込)
(下)定価 620円(税込)
2003/12
ISBN-4101288143
ISBN-4101288151
評価:D
 酒を飲んでたからという逃げ道があったとはいえ要はやっちゃったくせに、相手をストーカーとか妄想癖とかなじる男はどう考えても笑いの対象ですが、どうもここでは一貫して聖人のように扱われていてそこが最後までしっくりこなかった理由かと。ころころ女も変えてるし、なんだお堅く見えてけっこうだらしないじゃん仲良くやれそうじゃんって気安く肩を叩いたら思いっきりにらまれた、そんな感じ。けっこう好きな作家だっただけに、かなりガックリきた。上下巻にわたる重厚な物語もスケールが大きい、といえば聞こえが良いが、冗長なだけ。一番やってはいけない、同時並行のいくつかのエピソードのひとつを置き去りにしているのも痛い。また、主人公がやけに冷静なのも気になる。「愛情」をテーマに扱うならば破綻を来してもいいからもっと踏み込んで主人公の気持ちを揺さぶるべきではなかったか。全体的には非常に印象的な物語だけに欠点が大きく目立った。

幸福な遊戯
幸福な遊戯
【角川文庫】
角田光代
定価 500円(税込)
2003/11
ISBN-4043726015
評価:A
 表題作を読み終えて。この作品に『幸福な遊戯』というタイトルを付けた著者のセンスに寒気がした。もう少し若い時の自分だったら腹が立っているだろうか、と考えながら、ああでもこの物語の残酷さには気が付かないだろうなとも思った。目には決して見えない、それでいながら当事者には見えているつもりの、人間関係(主人公の言うところの“この家の姿なき形”)というもののかけがえのなさと儚さをこれほど鮮明に描いた青春小説も少ないだろう。いや、これを青春小説と読んで良いのか。苦すぎないか。これでデビュー作とは怖ろしい女です(失礼)。ストーリーはシンプルだが、私と貴方の関係は私が勝手に抱いていた妄想だったの?という類の単純な話ではない。この女、バカだなあと思いながら、おい、なんだか胸が苦しいぞ、ということにふと気付く。ダメ男小説があるならダメ女小説があってもいい。当然のこと、こういう女性、嫌いじゃない、というのが“正しいダメ女”の条件である。

幻の女
幻の女
【角川文庫】
香納諒一
定価 940円(税込)
2003/12
ISBN-4041911044
評価:A
 過剰にシニカルな視点で自己を見つめる男が好きだ。滑稽なまでに自己嫌悪を続ける男の話を読んでいると、なにやら体内からアドレナリンがあふれてくる。別に自分に似ていて共感するとか、そんな格好のいい(?)話ではなく、単純にそういう設定が好きなのである。人生に美談なんてない、この世界はかくも汚れた俗世なのだと悟っているつもりで、実はかなりおセンチだったりする男の物語はいつだって胸にしみてくる。本書は1998年を代表する傑作ミステリーだが、多くの優れたミステリーがそうであるように、謎が解き明かされていく課程での登場人物たちのこころの揺れが大きなテーマになっている。主人公は常に正しくなければならない、ということはないし、最終的に正しい地点に辿り着かなくてはいけないということもない。誰しも迷い悩み揺れながら前に進んでいく。それを見事な筆力で描いた素晴らしい小説だ。主人公のシニカルなまなざしが最後に見つけた淡い光を僕は決して忘れないだろう。

天国の銃弾
天国の銃弾
【創元推理文庫】
ピート・ハミル
本体800円
2003/12
ISBN-4488210031
評価:C
 ある街を思い浮かべるとき、私の場合、飲み屋での光景が必ずついてまわる。単なる酒好きということもあるが、場末の雰囲気がその街の匂いを左右することも事実で、だから初めての土地ではなるべく地元の飲み屋を訪れることにしている。本書はまさに酒場の存在で土地の空気を見事に描いた作品で、短い描写で実に多くの事柄を浮かび上がらせている。それがたとえいくつもの争いのもとでひんやり冷たくなってしまった風景であっても、不快ではなくむしろ好ましく思えることが、そのまま本書の魅力になっている。物語は実にシンプルで、特に終盤でひねりに欠ける点は否めない。アイルランド紛争という、いまいち知られていないテーマを扱っていながら主人公の思い入れが先行しすぎて読み手がついていけなくなることもしばしば。しかし、20年も前の作品をこうして出版することの意義は、先にも触れた通り、過剰に登場する酒場での何気ないシーンを読むとよく分かるのである。ただいかんせん「面白くない」のが辛い。

探偵家族
探偵家族
【ハヤカワ・ミステリ文庫】
マイクル・Z.リュ−イン
定価 798円(税込)
2003/12
ISBN-4150784124
評価:C
 いくつかの、一見関係のなさそうな事件が物語の終末へ向けてひとつの大きな流れに収束していく。アルバート・サムスン・シリーズでもお馴染みの、リューインお得意のストーリー展開が、本書ではいまいち冴えていない。一家全員が探偵という設定は面白いし、ひとりひとりのキャラもきちんと立っている(特に親爺さんとその息子、アンジェラの口癖である「はっ!」には、個人的に自分と自分の父親を重ねて苦笑いでした)。他のシリーズ同様、例え殺人事件であってもなるべく殺伐とした雰囲気から縁遠く描こうとする作者の志向にも好感が持てる。思わせぶりな展開の結末が肩すかしを食うほど「日常的」なのもこの際、ひとつの味として認めよう。ただそれでもなお、愛すべきこの佳作をお薦めしきれないのは、やはり作者が「家族全員が探偵」という最大の武器を使いこなせずに物語が終わってしまうから。故にもっとこなれるであろうシリーズ次作は楽しみだったりします。