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勝手に目利き
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和田 啓の<<書評>>



モダンガール論
モダンガール論
【文春文庫】
斉藤美奈子
定価 690円(税込)
2003/12
ISBN-4167656876
評価:B
 斎藤美奈子は、いつも本を読んでいる。本を読み透している。読み終わった本を上下左右空になるまで揺すっているイメージが彼女にはある。巷では、「負け犬の遠吠え」が女性の間で話題。家庭か、自立か。結婚か、キャリアウーマンか。いつの時代でも女性にとって答えの出ない切実なテーマである。
 これまでもテーマを決めて本を上梓してきた彼女がこの本で、明治・大正・昭和の女性100年史に挑んだ。要は、女の幸福論である。戦争が終わるまで職業婦人(なんて素敵な響き)の圧倒的な比率を占めた女工(工場労働者)、女中(家事使用人)の過酷な時代。隔世の感がある平成バブル期おやじギャルと云われた彼女たち……。生きる根っこは不変、「女の幸せって何?」。
 学術的価値は高いのだろう。だけどいつもの彼女らしい、憎たらしいほど膝を打ちたくなる面白さが欠けている。テーマの本質がひとりひとりの主体性に委ねられる分、分析すればするだけ、思索すればするほど総花的になってしまう。だからモダンガールはいつだって永遠なのだけれど。

銀杏坂
銀杏坂
【光文社文庫】
松尾由美
定価 600円(税込)
2004/1
ISBN-4334736157
評価:C
 不思議な感覚の作品である。全編を通じて妖しく、湿潤を帯び、とらえどころがない。北陸の地方都市が舞台である。登場人物は市井に生きるごく普通の人々。そんな中、事件は起こる。ここで謎解きの鍵に、霊的な存在が当たり前のように出現してくる。幽霊である。もちろん理性も手際よく作品中に入っているのだが、この世のものと思われない事象が、現実感の中に分け入ってきて絶妙な余韻を残すのだ。あとは作品を読んでいただきたい。生活下に隠れた人間の情感は、どこかもうひとつの世界と地下水路でつながっているのかもしれない。そう、この世の中には手で掴めないものがたくさん存在している。

薔薇窓
薔薇窓(上・下)
【新潮文庫】
帚木蓬生
(上)定価 700円(税込)
(下)定価 620円(税込)
2003/12
ISBN-4101288143
ISBN-4101288151
評価:B
 パリ。シテ島の裁判所の中、サント・シャペル礼拝堂にその薔薇窓はある。
19世紀末、万国博覧会で湧くフランスの首都が舞台。エッフェル塔はすでに高く聳えているが、地下鉄は開通したばかり。地上では馬車が走っている。主人公はフランス人の精神科医だ。症状多感な患者が連日押し寄せ、どこか世紀末的な雰囲気が漂っている。
身元不明の瞳に光が射している可憐な日本人少女、音奴との邂逅がストーリーの縦糸となっている。街では5人の女が消え、主人公も謎の貴婦人につけまわされる。(芝居になるならポリニャック婦人は黒木瞳が適役)
物語の構成は秀抜。細部の検証も緻密かつ一糸の縺れもない。巧みな人物造形など文句のつけようがないのだが、いかんせん長過ぎる。薔薇窓と小説のテーマとの結びつけが弱く感じられた。1900年のパリの香りは、濃厚に漂ってはくる。

幸福な遊戯
幸福な遊戯
【角川文庫】
角田光代
定価 500円(税込)
2003/11
ISBN-4043726015
評価:AA
 そういえば、ぼくの大学生活もこんなだった気がする。なにものでもなく、未来は自分の掌にあり、世の中に無縁で、不安はあるにせよひとつのきっかけで乗り越えられた、二度と戻らない時代。
 男2女1の若者三人の共同生活。端から見ると確かに妙な気はする。けれどもいいのだ。主人公がいう「姿のない形」があり、「奇妙な共同意識」と「バランス感覚の共有」が保たれさえいれば。寄る辺があるようでない、自立と持たれ合いの曖昧さの心地よさ。三人ばらばらの生活でも、誰かが必ず片手は「それ」をつかんでいる意識は三人とも持っていた。あの日、までは。この世のすべては川の流れのようにたえず変わっていく。
 真っ昼間、柔らかい日差しの中カーテンも窓も開けっ放しで目を閉じる瞬間の描写がある。風のそよぎを感じながら。気が付くとまた夕暮れで、それから商店街を散歩したものだ。気が付けば朝方まで話していて藍色を落しきってない空をふと感じた。
 角田光代はそうやって詩情豊かに遠い子供の頃のあの日までを描いている。

幻の女
幻の女
【角川文庫】
香納諒一
定価 940円(税込)
2003/12
ISBN-4041911044
評価:A
 愛していた女が、ある日忽然と消えうせる。男は失望し続ける。
五年後突如現れた女は、あくる日死体となって発見される。別の名前で女は生きてきたことがわかる。何のために偽名で、なぜ女は自分を捨てたのか、殺された理由はなんだったのか。こうして一人の女にこだわる男の堂々巡りは始まる。
 彼女の人生を見つけなければ今ここにある男の人生も見えてこない。
 闇。裏社会で暮らすヤクザ、政治家、土建屋が蠢く世界に彼女の真実を求め、分け入っていく。また闇が待っている。彼女のことを何ひとつわかっていなかったのではないかという恐怖感、猜疑心が顔をもたげる。理由もなく消えたのが現実なのだ。彼女を信じることの反動としての自己憐憫と必死の自己肯定が胸を打つ。
 終盤、焙り出された透かし絵のように彼女の人生が浮び上がる。乾き切った原野に落ちる澄明で純粋な彼女の滴(しずく)は、男と女の別れのバラードとなって結晶する。

アンジェラの灰
アンジェラの灰(上・下)
【新潮文庫】
フランク・マコート
(各)定価 660円(税込)
2003/12
ISBN-4102025111
ISBN-410202512X
評価:A
 愛蘭人は、誇り高い負けの民族であると司馬遼太郎は、書いた。戦いはいつも敗北に終わったが、戦い続けたのだ。この小説には人生がすべて入っている。ひとりの少年の、生への率直なまなざし、森羅万象への観察眼、溢れんばかりの感受性に満ち満ちている。
 お父さんは呑んだくれでどうしょうもなく、お母さんは苦労のしっぱなし。極貧の暮らし。食べ、排泄し、恋をし、金を稼ぎ、寝る原初的な営み。生きるということはキレイごとだけでは済まされない。少年の周りには今日も多彩な世界がある。どんな悲惨な出来事にぶちあたっても悩む暇なんぞないのである。少年は夢を見る。いつか豊かな国アメリカに渡り金持ちになって成功する夢を。生きていく上で夢は必要だ。
 筆者は些細なディテールを積み重ねることで、優れた真実を獲得している。いわば、真の幸せやヒューマニズムを。太陽で乾かした服を着る気持ちよさ。晴れた秋のシャノン川のきらめき、緑色の野原に朝露が光る描写。泥炭が燃える甘い匂い、牛と羊が草を食むシーン。そう、少年はアメリカに行きたくはないのである。

天国の銃弾
天国の銃弾
【創元推理文庫】
ピート・ハミル
本体800円
2003/12
ISBN-4488210031
評価:D
 地図で眺めるとアイルランドの上部、北アイルランドと云われている地域はアイルランドと色分けが違う。そこはユナイテッド・キングダム、イギリス領なのだから。小説の設定は80年代。今のイラクやパレスチナのように、内戦状態にあった北アイルランドが舞台となっている。日本でもよく知られているピート・ハミルはアイルランド系米国人。イギリスに痛めつけられた濃厚なアイルランドの歴史を背負い、かつジャーナリストとして培った資質を十分にこの作品に現出させている。
 主人公がかっこよすぎて、現実離れしたスーパーマンであるところが気になった。どうもハードボイルドを書くと皆がこうなってしまうらしい。ハミルのニューヨークの描写は、エッセイの方が素敵だし、読みやすく硬骨な文体はノンフィクションを書いた方がハマル。愛すべき彼の人柄は、小説にも現れてはいたのだが。