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和田 啓の<<書評>>



脚美人

脚美人
【講談社文庫】
宇佐美游
定価 490
円(税込)
2004/6
ISBN-4062747979

評価:B
 女の持つ嫌らしさ、計算高さに嫉妬、潜在化に隠れた暗い情念を描かせたら宇佐美に敵う書き手は、今の文壇にいないのではないだろうか。水商売のウラをあけすけなく書く姿勢にスケベオヤジどもは拍手喝采する。しかし、圧倒的な支持を受けるのはやはり同性からだと思う。  緊迫感に溢れた状況を書き分ける機知に富んだ会話の妙、一瞬の表情の変化やしぐさから読者にイマジネーションを膨らませる技術は天賦のものといってよいだろう。すべて宇佐美の実体験かも知れない。  きっと彼女は長篇恋愛小説で傑作を残す。時代の表層に隠れた女の哀しみをポップにしかも普遍的に抉(えぐ)り出す作家は、性格の違いこそあれ他に山田詠美ぐらいしか見当たらない。


ヒートアイランド

ヒートアイランド
【文春文庫】
垣根涼介
定価 710
円(税込)
2004/6
ISBN-4167686015

評価:A+
 早く映画化して欲しい。流麗なカメラワークとザラザラした粗い手ぶれ映像を混ぜて誰か撮ってくれ。ブクロじゃない。ストリートキッズの本家はシブヤだ。
 同世代の垣根涼介の風評はわたしの耳にも入ってきていた。小説を書くために脱サラしたこと。一作目を当てたはいいが、寡作のため食えるまで苦労したこと。死ぬ気でアイデアを出していること。
 ホーチミンが舞台の初期作「午前3時のルースター」。わたしもベンタイン市場付近で窃盗団に遭い、危うい思いをした。繊細なタッチと骨太な意志力がこの人の持ち味だが、作品の完成度は順を追って高くなっている。
 六本木の非合法のカジノバーを襲撃するシーンは喉がカラカラに乾き、ヒートアイランドの日本の暑さを忘れさせてくれた。読んだことがない方、垣根さん必読です。

十八の夏

十八の夏
【双葉文庫】
光原百合
定価 600
円(税込)
2004/6
ISBN-4575509477

評価:B
 やわらかくって品のある関西弁が心にやさしい。登場人物の心情が胸にスーと入ってきて心地よい。空は青くて広い。嬉しかったことを好きな人に早く話したくなる、そんな作風だ。
 本文から引く。「人が笑顔を作るのは、自分を美しく見せるため、相手への好意を伝えるため、誰かを励ますため、その目的が何であれ、幾分かは誰かに見せるためのものだ。純粋に自分の喜びから沸き上がるような笑顔には、赤ん坊をのぞいてめったにお目にかかることはない」としながら、人の心の軌道や日常の奇蹟を市井の人々から光原百合は立ち上げてみせる。清々とした生成りのような魂を現出してみせるのだ。淡い水彩画がストーリーとともに完成していく様は、読者の心を静かに満たしていくだろう。

蹴りたい田中

蹴りたい田中
【ハヤカワ文庫JA】
田中啓文
定価 735
円(税込)
2004/6
ISBN-4150307628

評価:C
 スーパーで、「辛口」と印字されたカレーのルーを買い求め、家に帰ったら「甘口」だったという経験はないですか?−ありませんよね。(笑)わたしなんか二度も間違えました。辛さが違う箱(ブランドはまったく一緒)が置いてあって、左から甘口、辛口、甘口(そのルーには中辛が存在していません)と三列に並んでいると(左と右は全く同じもの)、つい辛口を甘口と錯覚してしまうのです。
 第130回茶川賞受賞作と聞いて、芥川賞との違いに気付かなかったのは私だけではあるまい−ほんまかいな?しかも「蹴りたい田中」だと。ご親切にも「りさちゃんにも捧げる」って冒頭にメッセージがついている。こういうのはとてもかわいらしい。
 芥川賞でも茶川賞でも構わない。出版点数無限大、価値紊乱なご時世である。正直、最後まで騙されたと言ったら怒られるだろうか。


観光旅行

観光旅行
【ハヤカワ・ミステリ文庫】
デイヴィッド・イーリイ
定価 987
円(税込)
2004/6
ISBN-4151748016

評価:C
 欲望に膿み、倦怠感にまで嵩じたアメリカの病を感じた旅行記だった。こんな観光旅行はまっぴらごめんだ。どこに連れて行かれるかわからない。旅先で何が用意されているかも知らされない究極のミステリー・ツアーにあなたも参加してみれば?
 野生のジャングルがあり、熱帯の湿潤があり、異性には不自由せず、見知らぬ土地で欲望は解放され、自我は溶ける。蜃気楼的光景が足元を揺らがせ、幻覚の世界に読者も導かれていく。作中の人物は観光旅行に来ているのだと唯一自覚し、読者はなんなのだこれは、という思いで読み進めていくしかない。終わることのない観光旅行……
 快楽の花を咲かせ、すべてを手にすることは果たして幸せなのか。文明から離れ自分を傷つけ、痛い思いをするためのツアーがあるなんて。倒錯した好事家にだけ任せておけばいい。


夜の回帰線

夜の回帰線(上下)
【新潮文庫】
マイケル・グルーバー
(上)定価 740円(税込)
(下)定価 780円(税込)
2004/6
ISBN-4102143211
ISBN-410214322

評価:AA
 阿弥陀如来のエイリアンのような表紙にまずぶっ飛ぶ。
 才能、才幹あるレトリシアン(文章家)とはこういう筆者のことをいうのだろう。全編が奇想横溢で学殖に満ち満ちている。訳文が精妙を極め、才のはなやぎを饗宴している。
 呪術的な殺人事件を追ってストーリーは展開していくのだが、通り過ぎていく物事の解釈が素晴らしい。アメリカ合衆国、マイアミ、異文化、色、人種、宗教、政治、哲学、薬物、思想、医学、アフリカ、歴史、記憶……ひとつひとつの素描に魅入ってしまった。
 呪術は五万年の歴史を持つテクノロジーなのか?夜の回帰線とは何か?この夏、小旅行の友に最適。まさに、驚愕のスーパーナチュラル・スリラーだ。


悪魔はあくまで悪魔である

悪魔はあくまで悪魔である
【ちくま文庫】
都筑道夫
定価1,365
円(税込)
2004/5
ISBN-448003966X

評価:B
 一読してこれはつげ義春の活字版だと思った。戦後の日本が色濃く投影されている。暗い、悲しい、おぞましい。紛れもない日本人の原風景がある。風邪をひいた際に見る悪夢のような作品が永遠に続いていく。たまらない。が、妙なやすらぎが得られるから不思議だ。
 四畳半のすすけた壁紙、捨てられた猫、魅惑的な人妻、屋台のラーメン、友情の亀裂、覗きに自殺、あげく狐の憑依や幽霊の出現……湿った題材のオンパレードだ。
 プラズマテレビが鎮座する打ちっぱなしのコンクリート住宅に暮らし、欲しい情報は瞬時にネットで手に入る。外に出れば出たで高級車が街を席巻し、百貨店では世界中のものが買える現代の日本。
 遠い汽笛だとか鉄橋に感じる、望郷に似た愛惜に想いを馳せるのもたまにはいいだろう。